何故だ? 何故だ? 何故だ? 何故だ?
ダイアナは糸を通して操っていた使用人達が次々と倒されていることに動揺していた。
相手はたかが貴族令嬢。
戦う力も無く、知略に長けている訳でも無い。自分のように特別な力を持っている訳でも、獣人のように身体能力が高い訳でも無い。それなのに一方的に彼女は押されていた。
「あの貴族令嬢はどんな力を持っていると言うのですか?」
人形と化した彼女の仲間に問いかける。しかし、意志を持たない人形であるジンとクロは彼女の問いかけに答えられる筈も無い。二人はダイアナが望む言葉しか口にできないのだから。
ミラは屋敷の廊下を駆けていた。
彼女の手に握られているのはヒヒイロモスの絹布を巻き付けたただの箒。その箒を彼女が自分に向かってくる操り人形に向けると、人形の動きを制御していた幾つかの糸が焼き切れる。
格段に運動能力が落ちたところでミラが人形の上をなぎ払うように箒を振るえば、糸の魔力に反応して箒から走った炎が糸を焼き払っていく。
「これで……残っているのは、ジンとクロだけね」
カランッと小気味よい音をたてて崩れ落ちたのは玄関ホールを守っていたリックスの操り人形。物を言わない木製の人形に戻った彼は、もうピクリとも動かない。
そのうちダイアナから送られていた力が消えたのか、人の大きさを保てなくなったリックスの人形は人の頭程度の大きさに縮んでいた。
「ミラ様、こっちです。糸はこの先から伸びていたみたいです」
「分かったわ!」
ミラを先導するのはシュタリット。彼女の手にもミラと同じ絹布を巻き付けた箒が握られていたが、彼女は人形と戦うよりも、もっぱら糸を辿る役割を担っていた。
箒を手に二人が向かったのはここ数日彼女達が歓待を受けていた食堂。そしてその入り口を守るようにクロがゆらりと立たされていた。
「クロ……」
「えへへっ……、姉様……ここは通さないよ」
操り人形となったクロがぎこちなく両手を上げる。瞬間、その手が木製の竜の手へと変化する。しかし、その爪の動きは緩慢で、とてもミラの行く手を阻む脅威にはなり得ない。
(普通に戦ったらクロにはとても敵わないけど……)
所詮は操り人形。人形使いがクロの潜在能力を持て余し、部分的に竜になったクロの動きを制御できていなかった。
「ちょっと熱いかも知れないけどごめんね!」
ミラがクロに向かって箒を向ける。
それだけでクロの身体がグラリとバランスを崩して倒れ、ついでシュタリットと二人がかりでクロの身体に向かって箒を振り下ろせば、やがて操り人形となったクロは小さく縮んでいた。
クロの人形をそのままに食堂に入るミラとシュタリットすると、そこにはジンを傍らに置いたダイアナが憎悪の表情を浮かべてミラを待ち構えていた。
「どうして……あなた、たった一人で……私の人形を……」
箒を手にしたミラに向かって怒声を浴びせるダイアナ。彼女の言葉に違和感を持つものの、ミラはこれ以上時間をかけるつもりは無かった。
礼拝室から食堂に向かうに当たって、ほぼ全員の人形に足止めをされていた為、ダイアナの魔眼の最使用可能まで、あと十分を切っていた。
「後はあなただけよ。今すぐ全員を元に戻しなさい!」
箒を手に凄むミラ。しかし、ダイアナはそんな彼女を前に、傍らに立たせていたジンのクビ元にナイフを突きつけた。
「その箒を放してください。さもないと……この男を二度と修復できないように破壊させていただきます」
ジンの喉元に突きつけられている銀色のナイフに僅かに怯むミラ。しかし、ミラは構わず彼女との距離を詰める。
「何なの? この人がどうなっても良いのですか!」
「壊すなら壊しなさい! その時はあなたを私が殺してあげる!」
ダイアナの脅迫に対して断言するミラ。
「このまま時間が経てば、私まで人形にされる。そうなったら、もう誰も助からない。全員が人形になれば、きっと壊れるまであなたに使われ続ける。そうなるくらいならいっそ……」
ミラの蒼い瞳の中に覚悟を見たのだろう。ダイアナの手が下がる。そして彼女は苦しむように呟いた。
「私……、私は……ソーラム家を元に戻したかっただけなのに……。帝国に奪われた……ソーラム家を復興させてたかっただけなのに……」
彼女の言葉にソーラム家に何があったのかを悟るミラ。
そして今にも崩れそうなダイアナに、ミラは自分のあったかもしれない未来を重ね合わせていた。ミラのフォルン家と同じように、全ては帝国の侵略から始まっていたのだろう。
ダイアナは失ったものを取り戻そうとしていた。
それでもミラは今の自分に必要な物を、彼女の為になげうつことなどできなかった。
「もう一度言うわ……。人形化を解きなさい」
箒を手にダイアナに迫るミラ。そんな彼女を前にダイアナは全てを諦めたのだろう。傍らに立っていたジンの身体がグラリと揺れる。そしてジンの身体が倒れながら人の身体へと戻っていく。
ミラが箒を捨て、慌てて彼を受け止める。だがジンは動かない。生きてはいるようだが気を失っていた。
(これで皆も……)
クロや屋敷の各所に置いてきた人達が、今頃は人の姿に戻っているだろう。ミラは安堵で胸を撫で下ろす。だが――、
『諦めることは許さない』
不意に聞こえたその声。同時にダイアナの全身から立ち上ぼる黒い煙。次の瞬間、彼女のアメジストの瞳が輝き、ダイアナは絶叫していた。
「ダイアナさん? 何で……!」
自分の瞳を抑えて苦しむダイアナ。
そんな彼女の身体から立ち上ぼる煙の中に煌めく幾つもの糸。ダイアナもまた何かに操られていたようだった。
「あああぁぁぁあああぁぁぁっ!」
絶叫を響かせながら、ダイアナがミラを見る。その瞬間、ミラの全身に走る悪寒。自分の右手に痺れるような感覚が走り、ミラが右手を見れば指先からゆっくりと人形化が始まっていた。
「やめて……、もう止めてぇぇっ……!」
瞳から血の涙を流しながら拒絶をするダイアナ。魔眼のクールタイムはまだ終わっていない。けれど彼女を操っている何かが強制的に彼女の能力を限界を超えて発現させている。
ダイアナは拒絶をしているが、彼女の意志とは裏腹に彼女の魔眼による人形化は進行していく。ミラは自由に動く左手で箒を手に取ろうとする。しかし、箒の柄に巻き付いた糸がミラの届かぬ場所へと箒を運んでいく。
(これ……不味いかも……。ダイアナさんの魔眼を、誰かが無理矢理に使わせて……)
苦しみながらもミラは何とかジンを守りながら距離をとろうとする。しかしその時だ――。
「ダイアナ、もう良いのです」
不意に聞こえたのはダイアナをいたわるような優しい声。見れば、シュタリットが、ミラが与えた箒をダイアナに向けていた。
「ぁっ……ぁぁ……」
ダイアナの全身から立ち上る炎。彼女の身体を操っていた糸が切れて、ダイアナの瞳の発光が止まる。しかし、ダイアナの全身の炎は消えようとしない。
シュタリットはそんな彼女を抱き留めると、強く抱き締めていた。
「シュタリットさん、あなたは……」
「ミラ様。あと少しです……ダイアナを操っていたモノを……」
シュタリットがダイアナを抱き締めながら天井を指さす。するとそこにはゴブリンにも似た魔物が潜んでいた。
「ダイアナの弱みにつけ込んだ悪魔です。アレを……」
シュタリットの言葉に従って、ミラは魔物に向かって氷の矢を放つ。氷の矢は魔物を簡単に貫くと、断末魔をあげて魔物は消えていく。
「ありがとうございます……。これでソーラムは解放されました」
朦朧とする意識の中で聞こえた声。
ミラは最後の力を使い果たして、そのまま抗いがたい眠りの中に崩れ落ちる。ただ一つミラがハッキリと見たものは、炎に包まれるダイアナを抱いていたシュタリットが、微笑みを浮かべて嬉し涙を流していた姿だった。