時は遡り、ジンたちが霧の中の洋館にたどり着く数日前。
帝国第三皇女からジンを連れ戻すように勅命を受けたカロル、ハネット、アリシナの三人は大きな問題に直面していた。
元々、ジンに比肩する把握能力を持つ第三皇女の読み通り、ジンは以前に滞在していたフォルン領からまっすぐ西方へ向かうことはなかった。
ジンが選んだのは追っ手を躱すかのように南西の街道を利用して帝国領の西方を目指す道。
黒竜のクロに竜車を引かせているジンについては目撃者も多数いたこともあって、情報の収集には事欠かない。
カロル達三人も帝国では責任ある立場を任される実力のある三人だった為、速やかにジンの後を追って、彼が滞在したと思われる宿場町まで辿り着くことが出来た。
そして彼等は街道沿いに次の宿場町まで辿り着くことができていたのだが、そこでぷっつりとジンの消息が不明になってしまったのだ。
「駄目ね。ジンは黒竜に竜車を引かせているんでしょう? そんな御油商人が目立たないはず無いけど、目撃したって言う人は誰もいないわ」
拠点としている宿に戻ってきたのは魔術師のアリシナだ。真紅の赤い髪をボブカットに切り揃えた彼女は、汗をかいたと手ぬぐいで汗を拭う。
うだるような暑さが続く中、三人は重苦しい軍服を着て、行商人であるジンを追っている。偏に、ジンの情報を速やかに手に入れる為だ。
既にジンの行動を予測した第三皇女のメモは、今後の動きについては何も書かれていない。おそらくは第三皇女の考えでは、ここでジンに三人が追いついているという目算だったのだろう。
だが三人は未だにジンと会うことさえ出来ずにいた。
「そっちは?」
「このあたりの宿は全て回った。だが、ジンも竜車も、あの令嬢も目撃情報はまるで無い。くそっ……、これはもうこっちの動きを気取られたと考えるしかないな」
「だったらどうするのよ? ジン君と知恵比べ? この広い帝国領をノーヒントで? 私達じゃ勝てる見込みは無いんじゃない。さっさと皇女様に報告にでも上がった方がいいかしら。少なくても、皇女様なら何かヒントをくれるかもしれないし……」
「途中まで追っていたけど見失いました、なんて情けない報告ができるか! 俺達三人、揃って無能の烙印を押されるだけだぞ!」
「あ~……、皇女様ならやりそうね……」
にっこりと微笑みながら三人に怒気を向ける第三皇女を想像して、表情を引きつらせるカロルとアリシナの二人。こうなれば是が非でもジンの足跡を見つける必要があった。
「何をやっているんだ」
宿のテーブルの上に帝国領の地図を広げ、げんなりとしている二人の元に戻ってきたのは、槍使いのハネットだ。
アリシナやカロルは熱い熱いと汗をかいている中、短い金髪に碧眼の彼は、端整な顔立ちのまま汗一つかいていない。軍服の中に冷却魔法でも流しているのかと聞きたくなるような様子だった。
「ハネットか……。どうだ手がかりは?」
「相変わらず、ジンに関する物はないよ」
「そう……。いよいよ打つ手無しね」
「だが、ちょっと興味深い噂を聞いた」
ハネットは言いながら二人に何かを差し出す。それはここらでは滅多に目に掛かることのない竜の鱗を使ったアクセサリーだった。
「これは何だ?」
「緋竜の鱗のアクセサリーだそうだ。これは情報提供の謝礼に買ったものだが、この町には異様に竜の素材を使った武器や防具、こういった装飾品が多くはなかったか?」
「あ~……、どうだったかなぁ」
「うん、確かに多かったわね。こんな地方でも立派な武器があるんだって感心したもの」
ハネットの言葉に賛同を示したのは、商人達を相手に聞き込みをしていたアリシナだった。
「緋竜なんてこのあたりにはいない筈なのに珍しいと思ったわ。でも出所は冒険者ギルドって話しだし、はぐれた竜でも冒険者が討ち取ったんじゃないかと思っていたんだけど……」
「なるほどな」
アリシナの言葉に納得を示したカロル。だが事実はもう少し込み入った内容だった。
「どうやら緋竜の素材を手に入れたのは冒険者達ではないらしい。ある二人組の商人が宿場町へと続く洞窟で、老竜の遺体を見つけた為、その素材がこのあたりに出まわったんだ」
「ちょっと待て……、商人と言ったか」
ハネットの言葉に目の色を変えたカロル。そんな彼に頷きを返すと、ハネットは聞き込みで聞いた話を続ける。
「聞けば、その二人組の商人は洞窟の中で異常発生したヒヒイロモスを手がかりに緋竜を発見して、竜の遺体があったことをギルドに報告したそうだ。竜の遺体はその時点で二人の商人に所有権が認められたらしいが、その二人は、竜の素材の全てをギルドに最低値で全て売り払ったそうだ」
「あぁ、なるほど。それでギルド経由でこっちの街にまで素材が出回って商品が販売されるようになったのね」
「竜の素材とは言え、時間経過での劣化は免れないからな。ギルドを通せば、劣化しきる前に広めることは可能だ。行商を行っているジンであれば、考えられない事じゃない」
それぞれに思案を巡らせるカロルとアリシナに頷きを返すハネット。そして彼は地図上に今の情報と照らし合わせて思考する。
「竜の素材が売り払われたのは、ちょうど俺達があの町を旅だった頃だったらしい。と言うことは、おそらくはジンはあの時には、カロルの知っている令嬢とあの町にいたんだ」
「なるほど……。だが、それなら翌日、遅くとも数日以内には俺達に追いついていないとおかしいんじゃないのか?」
「そうだな。街道を進んでいたのなら、俺達がいるこの町に辿り着いているはずだ。だが、この町には辿り着いていない。辿り着いているのなら目撃情報が無いことに説明が付かないからな」
「でも、もしも街道を外れたとしたら……」
言いながらアリシナが先の宿場町から指し示したのは、西の町へと続く直線道。
今は没落して亡くなった旧ソーラム領を経由する旧街道だった。
「ジン君、もしかして街道を外れて西の街を目指し始めたの?」
「まず間違いないだろう。おそらくはジンは何かのきっかけで俺達が後を追っていることに気が付いたんだ。その上で、現在の街道を離れて旧街道を進んだんじゃないか? それならば、この町で何の目撃上も得られなかったことも説明が付く」
「なるほどな……」
ハネットの説明に納得するカロル。
しかし、カロルは旧街道の続く先を見て、表情を渋くする。旧街道がの行く先は帝国領内でも悪評の広まっている貴族の領地・イメダ領だったからだ。
「ジンの奴、この事を知っていると思うか?」
「知らない訳じゃないと思いたいけど……」
「知っていたとしたら、今のジンが領地を見て何を思うのかは想像したくないな。あいつは、帝国のこういう体質を嫌って軍を離れたんだろう?」
「もしもジンが領地に辿り着いて、その実上を知ったとしたら……」
揃って表情を引きつらせる三人。
「こうなったら、できる限り早く俺達が後を追うしかないだろう」
「今から? ジン君達に追いつけると思うの?」
「間に合わない可能性の方が高いが、ただの宿場町に滞在しただけで緋竜の遺体を見つけた奴だ。何が起こるか想像もつかん」
「同感だな」
これ以上はこの町に滞在している必要は無いと考えたのだろう。三人は荷物を纏めると早々に宿を引き払い、馬に乗って来た道を引き返す。
三人とジンとの再会の時は刻一刻と近付いていた。