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第2話:紅花の町

 旧ソーラム領、森の廃墟となった洋館での騒ぎの後、旧街道を進んでいたジン達。


 森を抜けた先は帝国領西部の入り口となるイメダ領だった。


 つい8年前に戦禍に見舞われた土地だが、現在その町には帝国の名の広まった商家が派遣されており、領主として土地の管理を行っている。


 ジンにとっても、この町に訪れるのは数年ぶりであり、彼が最後にみた町は廃墟に近かった。


 しかし、鬱蒼と茂る森を抜けてジンが目にしたのは黄色やオレンジ色の花畑の広がった町の光景だった。


「これはまた広い農園だな。栽培されているのは花か?」

「そうみたいね。ここまで広大な花畑は見たことが無いけど……」


 御者台に座るジンに応えるミラ。


 一面に広がる彼等の視線の先では町の人々がまさに今、枯れた花の種子の収穫を行っている。そして彼等は黒竜の引く竜車に乗っているジン達に気が付くと、物珍しそうな視線を送っていた。


「この花は何なんだ?」

「見たところ紅花みたいね。一年草で種を蒔いたら一年以内には育つ花よ。まぁ、観賞用としてもそれなりの賞品にはなるし、花からとれる染料なんかも化粧品なんかにも使える便利な商品よ」

「詳しいな」

「フォルンにもよく届いていたしね。フォルンの痩せた土地でも栽培できないことはないから、育てている農家があったくらいよ」


 花畑に感心するジンに対して、ミラが説明をする。


 しかし、広大な花畑に感心しているジンに比べると、幾らかミラの表情は優れない。


「こんなに広大な畑をどうして……」


 彼女が小さく呟いた言葉は、花畑を吹き抜ける風にかき消されてジンの耳には届かなかった。


「とりあえず今日はこの町に滞在しよう。さっそく宿を探さないとな」


 花畑を進む竜車は町の中へと進み、そして一軒の宿屋の前に停まる。


 無事に宿を確保したジン達三人は宿の裏手に竜車を停めると、今まで竜車を引いていたクロが人の姿へと戻っていた。


「これで寝床はオッケーだな」

「そうね。じゃあ後は食べ物かしら?」

「そうだな、結局森の中じゃあ、保存食が中心になったし、そろそろ温かいものが食べたい」

「同感ね。それじゃあ、とにかく食事にしましょうか。商談の相手を探すのはその後にする?」

「いや、この待ちの領主に炎の魔石の商談を持ちかけるにしろ、市場でヒヒイロモスの絹を売るにしろ、市場を見ておいて損はないだろ? このあたりの市場価格の調査もしたい。商談相手を探すのはそれからだ」

「あら……、分かってるじゃない」

「市場調査をせずに痛い目を見るのはもうごめんだからな」


 ジンの言葉に関心を見せるミラ。そして人の姿に戻ったクロはジンと手を繋いで彼に同行しようとする。しかし、そんな彼女に待ったを掛けたのはミラだった。


「クロ、悪いけど、貴方は竜車で留守番をしてくれる?」

「ええ! 何で? クロも兄様と市場に行きたい!」


 前の町と同じように留守番を任されたクロが不満を口にする。しかし、ミラはそんな彼女に困った表情を浮かべた。


「貴方にしかお願いできないのよ。このあたりの治安は分からないけど、竜車には魔石に絹糸、いろいろと高価な物を積んでいるでしょう? 宿の部屋に持って行くには大変だし、誰か残っているのが安全なの」

「それなら、クロじゃなくても……」

「私やジンが残っていても戦力にならないわ。少なくても、人間相手なら貴方が一番の適任よ」

「それは……、そうだけどぉ……」


 ジンとしてはクロを危険な目に遭わせるつもりはない。しかし、市場に連れて行って、クロが何かをしでかす可能性を考えれば、ミラの留守番という選択は、まだ納得の出来るものだ。


「クロ、悪いけど頼めないか? たぶん何も無いとは思うんだけど、これはクロにしかお願いできないんだ」


 だから彼はミラの指示を後押しするようにクロへと声を掛ける。


 するとクロは不承不承ながらもジンの言葉に頷きを返した。彼女にとってはジンのお願いは、できるだけ聞いてあげたいものだったからだ。


「ありがとうな。美味そうな肉料理があったら、クロにも買ってくるよ」


 それだけ言い残すとジンはミラと並んで市場へと向かっていく。そんな彼の後ろ姿を見て、クロはチクッと胸に走る痛みを感じていた。



 ………………。



 宿屋を出て待ちの中央広場に並んだ市場へ向かうと、ジンとミラの二人は二手に分かれてそれぞれに露店を見ていく。


 だが、今回の市場の状態は、今までにジンが見ていた町の市場とは明らかに様相が違っていた。


 それなりの雑貨や服飾などは並べられている物の数に乏しく、おまけに食料品を扱っている店を見て見れば、その額は相場の二倍近くにまで跳ね上がっている。


 町の市場がまともに機能しているとは言えない状態だったのだ。


(一軒や二軒なら分からないこともないが、市場の荒れ方は全体に波及している。これじゃあまともな商売なんて、とてもできそうにはないな)


 ここでの行商は上手くいかないであろうことは、商人としての経験の浅いジンですら理解できる。


 炎の魔石や絹糸などはあれば嬉しいものだが、食料以上に重要な物ではない。ここでは需要が見込めなかった。


 当然、ミラも市場の状態を理解していないはずもない。ジンと郷乳すると彼女は「やっぱりね」と肩を竦めて見せていた。


「ミラは市場がこういう状態になっているのを想像していたのか?」

「……ん? まあね。あの花畑を見れば分かるじゃない。どう考えても、花畑で使っている土地の規模が大きすぎるのよ。この町は簡単に言うと、農作物のバランスが全くとれていないの」


 ミラが指摘したのは圧倒的な食料自給率の低さだ。


 花畑ではなく、小麦畑や菜園が広がっているのなら、彼女もまだ理解はできていただろう。だが、町に広がる花畑の規模は明らかにそういった食料の栽培を阻害するだけの規模になっていたのだ。


「食料を町では作っていないって事は……」

「そう。輸入に頼るしかないのよ。ここよりもっと西の町から取り寄せているか、それとも帝国首都へと続く街々から輸入しているのかは知らないけど、商人が買い付けに行っているんでしょうね」


 輸出に食料の供給を頼れば、当然食料の価値は上がる。


 商人達が町で自分達の売るものでしか食料を供給できないと気が付けば、待ちの暮らす人々の足下を見て、更に価格を引き上げる。


 それでも食べなければ生活できないとなれば、人々は自分達の買える範囲で食料を買い取るしかない。


 幸いにもイメダ領の近くには広大な森が広がっている為、狩りや採取で飢えることはないだろうが、ケガや病気のリスクを考えれば、先細りは目に見えている。


「町は幾らか復興してるように見えたのにな」

「見てくれはね。でも本当の意味で復興をしていないだけよ。この土地の運営をしているイメダ家の現頭首は、よっぽどの無能でしょうね」


 辛辣なミラの評価にジンは苦笑いをするしかない。

 しかしミラは町の実情を見ても、やはり理解できない。


「広大な花畑を作るメリットが町のためにならないのはわかりきっている。それなのにどうして、領主はこの愚策を続けているのかしら……」


 そんな彼女呟きは、今度はしっかりとジンの耳に届いていた。


「そんなにおかしな事なのか? あの花だって立派な商品にはなるんだろう?」

「まあね。さっきも言った通り、あの花は一年草で比較的育てやすいわ。その上、種子からは油が採れるし、生薬としても取り引きはされている。花の状態でも染料として取り引きがされているわ」

「へぇ……。話しだけを聞くなら、やっぱり凄く優秀な商品に聞こえるな」

「そうね。唯一の欠点は、花だけじゃお腹は満たせないってところよ。茎なんかは食べることもできるんだけどね」


 言葉を交わすジンとミラ。


 二人の立ち止まった通りを一台の馬車が通り過ぎていく。そしてその馬車の上にはオレンジ色に染まった紅花が積まれている。


 そしてその場者はまっすぐに町を一望できる丘陵に建てられた一件の屋敷に向かっているようだった。


「今回の商談相手は決まりね。とりあえずは、あの屋敷に住んでいる貴族について調べてみようかしら」


 そう言うとミラは口元に小さな笑みを浮かべていたのだった。

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