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第6話 領主・アンゴラ

 鈍い輝きを放つ剣や槍の穂先を向けられる中、ジンの頬を伝う冷や汗。


 彼の後ろには竜から人の姿に戻ったクロが庇われている。


 だがクロもまたジンに武器を向けている兵士達を警戒しているようで、赤く双眸を光らせて今にも牙をむき出しに襲い掛かりそうになってた。


「賊はこの二人か? まったく、とんでもないことをしてくれたな」


 武器を持った男達の中心に立ち盾を持つ兵士の後ろから、ジンとクロの二人に語りかけたのは恰幅の良い一人の男。明らかに町の人々に比べて身なりの良い彼が、おそらくは町の領主であるアンゴラなのだと理解できた。


「領主様、申し訳ありません。この子は私を守ろうとして――」


 そんな中、ジンと同じようにクロを庇うように、彼らの前に出てきたライカがアンゴラに対して頭を下げる。しかし、アンゴラは彼女の謝罪だけでは済ます気が無いようだった。


 しかし無理もないだろう。

 暴れているクロを取り押さえようとしたのか、数人の男たちが複数人昏倒させられている。全員命に別状はなさそうだが、程度の差はあれケガをしている者もいた。


「これが子供のしたことだと? どうあっても許すことなどできん! その子は獣人だろう! このまま拘束して犯罪奴隷として売り払ってくれる!」


 顔を真っ赤にしたアンゴラの言葉にジンが焦りの表情を浮かべる。


 状況だけ見れば、一方的にクロが役人に対して暴行を働いたようにしか見えない。この状況ではアンゴラの言う通り犯罪者として連れて行かれるのが当然。


 もしもこの場を逃げ延びたとしても、クロは勿論、ジンや同行するミラまでもが手配をされてもおかしくなかった。


「おい貴様、その子供を引き渡すんだ。渡さなければ、力ずくでおまえもーー、」

「……っ」


 アンゴラが怒りの表情でジンを睨みつけ、取り囲んでいた兵士たちがそれぞれ刃を突き付ける。


 背に庇ったクロは怯えている様子はない。だが、ジンに対してまで危害を加えようとしているアンゴラに対して怒りを覚えているのは間違いない。


 もしもジンに突きつけられている刃がかすり傷の一つでも負わせれば、一瞬で理性を失って猛威を振るうのは容易に想像ができた。


(何か切り抜けられる方法は……。駄目だ、こんな状況では……)


 思考を巡らせるが打開策を考えることもできない。そもそもジン自身がどうしてこんな状況に陥っているのかが理解できていないのだから当然だった。


「ちょっといいかしら」


 そんな中、領主に声を掛けたのはミラ。彼女は真剣な面持ちでアンゴラの前へと歩み出ると淑女の礼をとった。


「貴様は?」

「お初にお目にかかります。ヘルテラ帝国フォルン領領主・セレスト=フォルンの娘、ミラ=フォルンと申します。貴方様がイメダ領領主・アンゴラ様でお間違いありませんでしょうか?」

「フォルン領……」


 ミラの名乗りに黙考するアンゴラ。そして彼女が一般市民とは異なる貴族の家系だと気が付いたのだろう。


 アンゴラは怒りを納めて、むしろミラに対して笑みさえ向けていた。


「これは申し訳ありません。まさか帝国領東の荒野を納める貴族の方がいらっしゃっているとは露知らず、お見苦しいところお見せいたしました」

「いいえ、非はこちらにあります。そこにいる彼と、後ろの竜の子は私をこの地に運んでくれた行商人。私の関係者です」

「彼らが? あなたの?」


 その言葉にアンゴラの表情から笑みが消える。しかし、すぐに彼は取り繕うような笑みを再び浮かべた。


「そうでしたか。しかし、我が領地の役人に対して被害を出したことは看過できません。その子供を引き渡してはいただけませんか?」

「そうですね。本来ならば引き渡すべきでしょう。しかし、どうかこの場は子供のしたことと、情状酌量を考えてはいただけませんでしょうか?」

「子供のしたこと? 何人もの兵士が傷つけられているのですよ?」

「ええ、その通りです。これに対しては私から相応の保証をさせていただきたいと考えています」

「その子にそれだけの価値があると?」

「ええ、彼女に引く竜車には、イメダ領領主様と交易を開くに必要な商品を多数乗せております。故あってフォルン領より西方の街との交易路を開拓の為に旅をしているのですが、この場でその子がいなくなることは互いにとって損失を招く結果につながりかねません」

「……なるほど」


 ミラの言葉に僅かに逡巡するアンゴラ。そして彼はなお一層口元を緩め、ミラに対して媚びへつらうような笑みを浮かべた。


「なるほど、あの南方との交易路を開拓されたフォルン家が、今度は西方との交易について乗り出されたのですね。そして、このイメダ領とも交易を開いていただけると?」

「ええ、前向きに検討をしています。この地の紅花の広大な畑を見れば、フォルン家との交易の相手にふさわしいことは一目瞭然です。フォルン領鉱山で採掘される炎の魔石など、西方では入用でしょう?」


 ミラの言葉にアンゴラはその通りだと頷きを返す。そして彼はあっさりと前言を翻した。


「いや、申し訳ありません。兵士の一人から黒竜が暴れているとの報告を受けたもで、鎮圧の為に兵を引き連れてきたのですが、どうやら私の部下の勘違いだったようですな」


 その言葉に今度は彼の兵士たちが驚愕の表情を浮かべる。しかし、アンゴラはミラとの接点を作ることが、自分に対してどのような利益を生むことを正しく理解をしていた。


(南方との交易路を一から確保するには多くの労力を要する。しかし、フォルンが仲介になれば、この地にも多くの南方の商品を取り寄せることができるだろう。それに炎の魔石を西方に売りさばくことができれば、その利益は計り知れない)


 市民の生活でも活用され、軍事兵器にも使用されている炎の魔石。それを手に入れることは、更に西方の街へイメダ家が影響力を持つことに等しい。


 それを考えれば、アンゴラはミラと良好な関係を結ぶ必要がある。その為には少々の被害など目をつぶることは容易かった。


「こちらの過剰な反応に、竜の子を興奮させてしまったのでしょう。いや、お恥ずかしながらイメダ領ではこのような騒ぎは殆どないもので、兵の練度も知れているのですよ。

 これ、武器をおろさんか。いつまでミラ様の連れ添いに武器を向けているつもりだ」


 彼の言葉に兵士たちは不満の表情を浮かべながら、それでも命令には従って武器を下げる。ようやく向けられていた武器が引かれて安堵の息を漏らすジンと、同時に警戒をとくクロ。


 そしてアンゴラは厭らしい笑みを浮かべながらミラに礼をする。


「さて、このような所で立ち話というのも失礼になります。どうぞ、ミラ様は我が屋敷にお越しください。今後の交易についてなど、詳細なお話をさせていただきたい」

「願ってもない申し出です」


 彼の言葉に頷きを返すミラ。


 そして彼女は連れ添いに一言告げると言うと、アンゴラから離れてジンにだけ聞こえるように小声で語り掛けた。


「クロのことを注意しておきなさい。今回は何とかするから」

「いいのか? この領主との交易なんて、きっと禄でもないことになる」

「今更仕方ないでしょ。とりあえず、しばらくの間お願いね」


 そう言い残してアンゴラが呼び寄せた馬車へと乗せられるミラ。と同時に思い出したかのようにアンゴラは様子を見守っていたライカに告げる。


「そうそう、この教会の税については、今月はまだ納められていませんでしたな? 一両日中に、今度こそ屋敷にお支払いに来てください。支払いが滞った際には、教会敷地内でも畑で紅花の栽培に注力してもらうつもりですが、滞納分の返済はそれだけでは足りません。わかりますね?」


 彼の言葉に視線を逸らしながらも頷きを返すしかないライカ。

 そんな彼女の肢体に舐めるような視線を向けながら口元を緩めると、アンゴラはようやくその場から去っていく。


 遠ざかる馬車を見送って残されたジンとクロの二人。そしてジンは嘆息すると、この中で状況を知っているらしいライカに問いかけた。


「とりあえず……何があったのか教えてくださいますか?」と――。

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