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第2話 クロが秘めていたもの

「クロ……?」


 ジンとキャトリンの間に割って入ったクロに対して、ジンが驚きで目を丸くする。しかし、ミラはそんなクロの反応を意外にも思っていないのだろう。


 むしろ、クロが二人の間に割って入ったことを当然の様に感じていた。


 いつもジンと一緒にいた彼女は幼い雰囲気を残していた。事実として、クロはジンにとっては子竜であり、奔放な性格をして、どこか無鉄砲な一面を持った少女だ。


 だが一方でクロは無邪気さとは別の一面を持っているのも事実だ。


 こと、ジンを傷つけられた時の反応は普段の無邪気さからはかけ離れてもいる。


 フォルン領でジンが剣の販売で嵌められた時、森の中で火の粉によって物理的に危険が迫った時など、本来なら振るうことを求められていない暴力的な一面さえ垣間見せた。


 そして今、クロは明確にキャトリンに対して敵対を示していた。


「お前は……。そうか……、あの時の子竜だな。あぁ、これで納得ができたよ。私はただ一点だけ理解ができなかったんだ。自分に与えられた仕事や責任といったものを投げ出すことなど無いと思っていたジン。そのジンがどうして全てを投げ出したのかを理解できていなかった。だがまさか、それを唆したのは子竜だとは思わなかったよ」

「本当にそう? あなた、ずっとクロに対しても警戒していたよね?」


 キャトリンの言葉にどこか大人びた口調で答えるクロ。その姿がジンには信じられなかったし、キャトリンはむしろこれこそがクロの持つ、一面だと見抜いてもいるように見えた。


「クロはね、ミラ姉様やアリシナさんが一緒に来ることは、別に気にしてないよ。だって最後には兄様はクロを選んでくれるってわかっているもん。でもね、軍は駄目。軍は絶対に兄様を傷つける。軍が兄様を連れて行くって言うなら、クロが何処までも走って兄様を逃してあげる。クロにとって兄様は特別だもん」


 ニコニコと笑みを浮かべながら、しかしあくまでもキャトリンに対しては敵意に近い雰囲気を醸し出していた。


「将来的には私につくことがジンの幸せだとはわからないのか?」

「将来は知らないよ。クロは今の兄様が幸せになることの方が大切。だからあなたに兄様を渡したくない。だって――」


 口元を緩めながらジンの腕をとるクロ。そして彼女は幸せそうな笑みを浮かべながら言ったのだ。


「クロは兄様が大好き。クロはね、兄様だけいればそれでいい。だから兄様を誰かに渡したり、譲ったりは絶対にしないよ。ね、兄様? 兄様だってクロのことは好きだって言ってくれるもんね?」

「あ、あぁ……」


 クロに好意を向けられて、ジンは思わず頷いてしまう。するとクロはキャトリンに対して勝ち誇るかのような笑みを向ける。その姿にキャトリンは勿論、ミラやアリシナもようやく理解する。


 見た目にはまだ10歳程度の少女にしか見えないクロ。


 しかし彼女がジンに対して向けている好きという感情はジンがクロに対して向けている親愛としての感情とは、その本質が大きく違っている。


 クロは一人の少女として恋慕や愛情に近い好きという感情を、ジンと帝国内を旅する8年間の中で培っていたのだ。


「わかってくれたよね? だったらもう行くね。行こう、兄様♡」


 ジンに甘えながら彼の手を引いて部屋を出て行こうとするクロ。


「ちょっ、ちょっと……」


 そんなクロの様子を見て、ミラが思わず二人を引き留めようとする。しかし、ミラにできたのは二人を呼び止めることだけ。


「ミラ姉様……、今は来ないで欲しい」


 スッと赤い目を細めたクロが振り返るように視線を向ければ、ミラの肩がビクリと震える。その冷たい眼差しに拒絶を感じて、ミラは背筋に冷たいものが走るようなお燗を感じていた。


 これまではミラに対しても好意的だったクロ。しかし、キャトリンというジンにとっての忘れられない存在の登場と、ジンを奪われるかもしれないと言うことにクロは今まで以上の警戒をしているのだろう。


 クロの声には今までのとぼけた様子は無い。


 ただ明確なジンに対しての明確な独占欲を剥き出しにしていた。


「これは……やられたな」


 ジンの出て行った部屋の中、深く嘆息するキャトリン。アリシナですら表情を引きつらせて、ミラは未だ信じられないものを見たかのような表情をしていた。


「アリシナ、あの子竜はどうやら本気でジンを好いているらしいな」

「……ですね。いや、薄々は感じていました。あの子のジンに対する依存は相当なものだと思っていましたから」


 沈痛な面持ちで言葉を交わす二人。しかし、残されたミラはそれどころでは無い。


(依存しているのはクロだけじゃ無い。ジンだってあの子には……)


 これまでクロに危機が迫れば、本領を発揮できなくなっていたジン。

ミラその危うさを知っている。


 そして今、クロが拒絶をすればミラを置いていくことにジンは何も言わない状況になっている。その事実が彼女の胸に痛みを与えていた。




 一方でクロに連れて行かれたジンは、クロに手を引かれていた。


「クロ、何処に行くつもりなんだ? あまり離れると……」


 今更ながらにミラを置いてきてしまったことにジンが戻ろうと訴える。だけどそんなジンに対して、クロは悪戯っぽい笑みを浮かべて答えた。


「ねぇ、兄様。……また逃げちゃおっか?」

「え……」


 クロの言葉にジンの歩みが止る。だけどクロはそんなジンに対して明るく言葉を続ける。


「せっかく二人の旅だったのに、皇女様に見つかっちゃった。だからね、また兄様が考えて、クロが竜車を引いて逃げちゃお。本当はミラ姉様を連れて行きたいけど、今すぐ逃げれば、すぐには追いつけないよね。だからね、このまま逃げちゃお」

「………………」


 クロの言葉に逡巡するジン。


 もしもジンが幼い頃のままだったなら、かつてのように今にも責任に押し潰されそうな程に傷ついていたのなら、ジンはクロの言葉に頷いていたのかもしれない。


 だけど、自分が逃げた後に悲しそうな表情を浮かべるミラの姿が脳裏によぎると、ジンはクロの言葉に「それはできないよ」と答えていた。


「確かにキャトリン様に見つかったのは困ったことだけど、ここでミラまでおいていくことはできない。俺は三人での旅もけっこう気に入っていたからな」

「むぅ~……」


 ジンの言葉にクロは子供っぽく頬を膨らませる。だけど「仕方ないなぁ~」なんてジンの言葉に答えていた。


「兄様がそう言うなら、ここはクロが我慢するよ。でも、クロにとっての一番は兄様だからね。絶対に誰にも渡さないんだから」


 そう言って抱きついたクロの温かさをジンは感じていたのだった。

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