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第6話:敵の思惑

 コロシオの街西部――、中州を介して東部へと続く連絡橋を封鎖することに成功したジンとクロの二人に、先程まで聞こえていた土壁の向こうにいる筈の店主の声は聞こえない。


 壁の向こうにいる筈の店主の安否は不明だが、先程まで聞こえていた悲鳴を思い返せば、彼がどうなったのかは想像に難くない。


「兄様……、どうしよう……。店主さん……クロ達の所為で……」


 彼の悲鳴に表情を青ざめさせているクロ。


 この状況に後悔を覚えているのはクロだけでは無い。ジンもまた、他に何か高い方法は無かったのかと自問する。


(無理だ……あの状況じゃ……。おそらくは一度操られてしまったら、もう簡単には身体を操る呪いを振りほどけない。助かる為には、彼を犠牲にするしか無かった……。こっちに彼が残れば、傷が原因になる被害者を増やすことになる。そんな状況にする訳にはいかない)


 自分自身に対して言い聞かせるように想像を巡らせるジン。


 彼の行動や思考はおそらくは間違っていない。何も見えない状況の中、適切な行動をとったと帝国軍人であれば断言していただろ。


 だがジンは『間違ってしまった』という考えを拭うことができない。


「どうしよう、兄様……。兄様ぁ……」


 それでもジンが取り乱さなかったのは、クロが傍にいたことが大きい。いつものようにどうすれば良いのかをジンに頼ってくれるクロが、ジンにとっても精神的な支柱になっていた。


「あの人達はこの土壁を簡単に越えることはできない筈だ。だけど、念の為にこの連絡橋を封鎖する壁を、もう少し補強しておこう。壁を中心に例え乗り越えてきたとしても簡単には上れない穴を作って、二重に壁を作っておけば、もっと時間が稼げるはずだ」

「う、うん! 壁造りならまかせて!」

「ああ、頼りにしている」


 ジンの指示に明るい表情を見せるクロ。僅かにクロが壁の向こうを気にした素振りをしたが、何も出来ないことをクロ自身も悟ってはいるのだろう。


 物陰に入って完全な竜の姿となると、真剣な表情で壁を中心に堀を作るように穴を掘り始める。 


 コロシオの街の人々も竜となったクロに驚きはしていたものの、今はこの異常事態に対処することが必要だとわかっている。気が付けばクロが掘り出した土を使って、街の人々が壁造りに参加していた。


(あの人達の狙いは何だ……)


 そうした人達を遠巻きに眺めながら、ジンは街の状況を整理しようとする。頭の中に想像するのは街の全体像だ。


 街の東西を分断するように北から南に向かって流れる運河。街を繋ぐのは中州を介した連絡橋と、運河を行き来する幾つもの船。もしも操られている人々が船を使うことができたなら、遠からずジンのいる街の西側にも上陸してくるかもしれない。


 そうなれば広大な運河を守るように兵士達を配置し、せめて町の西側を守ることが重要だった。


 一方でジンが考えるのは、街の人々を操っている黒幕の存在だ。


 クロにだけ見える黒い靄が原因だというのなら、おそらくはその靄を操っている誰かが、街の人々を操っているのだろう。だとすれば、その黒幕を討ち倒せば、操られた人々を解放できるのではと考える。


「……またこんな状況か」


 ポツリと口から出たのは、この状況に対する不満とも思える言葉。同時に、ジンは自分の口から「また」という言葉が出たことに違和感を覚える。


 そして思案を巡らせれば、彼が思い出したのは霧深い森の洋館で巻き込まれた人形化の騒動。今の状況が、その時の状況に酷似しているように思えた。


(あり得ないことだ。あの時の原因になった悪魔は、ミラが魔法で倒したと言っていたはず……)


 頭を振って正体についての思考を止める。敵の姿を想像することは、現状においてはノイズにしかならないと、ジンは経験上で理解している。


 だからこそ考えるのは敵の狙いだ。


 敵の狙いがわかれば、そこから逆算して敵の行動をある程度推測することができるし、対処や対応もできるようになる


(狙いとして考えられるとしたら……)


 ジンの脳裏によぎるのは、高級や度に残してきたキャトリンの存在だ。現在の帝国皇帝の継承権第1位であり、敵が狙うとするならば妥当な標的には違いない。だが、キャトリンを狙いにしているとするのなら、違和感がある。


 そこで思い出したのは、この街で行われる予定になっている式典の存在だ。そもそも、この街に多くの商人などが集まっているのは、帝国第二皇女が帝国領西部の有力貴族と婚礼を結ぶためだ。


 もしもこの街で人々を操ることで何かを害しようとするのであれば、狙いは第二皇女である方がしっくりとくる。


「兄様、橋の周りにたくさん壁を作ったよ!」


 思案を巡らせる中で不意に声を掛けられる。見れば壁を作り終えたクロがジンに褒めて欲しいとばかりに擦り寄っていた。


「ああ、ありがとう。クロのおかげで時間を稼げそうだ」

「うんっ♡」


 クロを労うように彼女の髪をクシャリと撫でると、甘えるように目を細めている。少し恥ずかしそうに身じろぎする彼女から手を離すと、ジンは次の行動をクロに話す。


「とりあえずは帝国の第二皇女様を探すことにしようと思う」

「第二皇女様? 何で?」

「敵の狙いがわからないからな。要人を狙うなら、キャトリン様や第二皇女様が狙われる可能性が高いと思う」

「うん。それはわかるけど……、それは兄様がしなくちゃいけないの?」

「……え?」


 ジンに対してまっすぐな視線を向けるクロ。しかし、その表情にはいつもの子供っぽさは無い。キャトリンの前で見せた、どこか大人びた表情をクロはジンに向けていた。


「兄様は只の商人だよ? 連絡橋は塞いだよね? だったらこれで十分だよね? だからこんな危ないところからは逃げた方が良いよ。ミラ姉様を迎えに行って、竜車に乗って何処までも逃げよう」


 クロの言葉に揺れるジンの心。


 確かにクロの言うとおり、今はこの街から離れる方が良いだろう。だが――、


「ごめんな、クロ。それでも俺は、もう少しこの街に残った方が良いと思うんだ」


 クロに優しく語り掛ける。


「たぶん俺なんかが心配しなくても、この街は大丈夫だと思う。キャトリン様の連れて来た兵士もいるし、その人達がきっとなんとかしてくれる。だけど、できれば俺はキャトリン様を危険にしたくも無いんだ……」

「……そう」


 ジンの言葉にクロは静かに瞼を閉じる。


 もしかしたらクロはわかってくれないかもしれないと思っていた。クロは明確にキャトリンに対して敵意を向けていたからだ。


 けれどもキャトリンに対しての敵意よりも、クロにとってはジンの期待に応えたいという思いの方が強かったのだろう。


「仕方が無いなぁ……、兄様は」


 そう言うとクロはいつもの子供っぽい笑みを浮かべてジンの手を取る。そしてクロは「それなら第二皇女様を守りに行こう」とジンの言葉に応えてくれる。


「とりあえずは第二皇女様がどこにいるのかを調べないとな」


 そう言うとジンは周囲の人々に第二皇女の滞在先を訪ねる。聞けば、中州を挟んで街の東部に式典用の聖堂があるらしく、おそらくはそこに滞在しているだろうという話だ。


「それなら……、この運河を渡るしか無いか」


 そしてジンとクロは岸に繋がれた小船を借りる。オールを漕いでゆっくりと運河を進んでいく小舟。


 夜の闇の中を対岸の灯りを頼りに、船が進んでいくのだった。

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