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第7話:フローライト=ヘルテラ

 フローライト=ヘルテラは現皇帝と正妃の間に産まれた第二皇女だ。


 幼い頃は帝国の継承権の第三位であり、第一王女が暗殺されてからは、優秀な兄が継承権の第一位となり、自分はいつかは有力貴族か他国の皇子に嫁いで、帝国の繁栄の為に身を捧げると想像していた。


 産まれてから今日まで特に苦労もしていなかったし、ギシアや腹違いの妹であるキャトリンと比べても、自分自身に帝国を統べるだけの実力が無いのは分かっていた。


 だからギシアがキャトリンによって粛正される事になっても自分には無関係なことだと思えたし、その頃から台頭し始めたキャトリンが皇位継承権の第一位になったとしても、彼女には仕方が無いことだと理解できた。


 そして彼女の婚礼の相手が帝国の西部を治める有力貴族に決まった時にはフローライトは喜んだものだ。


 これで帝国の首都で暮す必要は無くなる。


 有能な妹と比べられて、失望の視線を向けられることも無くなる。キャトリンに対して抱えていた劣等感で苦しむことも無くなるとさえ……。


(相手は私と同じ年齢の男性を選んでくれたあたり、キャトリンも私に対して冷遇をしようとは思っていないのでしょう。皇位継承権も放棄をしてこのまま西部の地で安全な暮らしを享受できれば……)


 せめて平凡で安らかな日々を送ろうとしていたフローライト。だが今、彼女は窮地に陥っていた。


「も、もう……聖堂の門扉は塞いだのですね!」

「は、はい……、しっかりと塞ぎました」


 婚礼の式典を行う筈だった聖堂。その敷地内に滞在をしていたキャトリンは、数時間前までは休息をとっていた。


 明日には婚礼の式典が催される為、今日は何人もの貴族が彼女への挨拶に赴きいつもよりもずっと彼女は疲れていたからだ。


 そんな中、俄に街の様子が騒がしくなったのは数時間前。間も無く夜の帳も降りようとしていた時だった。街のそこかしこから騒動が起こったと報告が相次ぎ、フローライトに対しては最低限の護衛を残して、彼女の連れて来た兵士が、街の自警団と協力して騒動の鎮圧にあたったのだ。


「明日の式典を前に、酒を飲み過ぎた市民が暴れているのでしょう。フローライト様のような方がこの地に嫁いで来てくれたことを、彼等も喜んでいるのですよ」


 彼女と行動を共にしていた婚約者はそう言って彼女を安心させようとしてくれる。しかし、どれだけ時間が経っても騒動は治まらない。


 それどころか時間経過と共に聖堂の周辺でも騒動が起きるようになり、フローライトは安全を考慮して婚約者と共に聖堂の二階にあたる客室へと避難をするように言われた。


(あと少し……。あと少しというところで……)


 隣を見れば、精悍な顔立ちをした婚約者がフローライトを安心させようと彼女の手を握ってくれていた。だが、状況は刻一刻と悪くなっていき、遂に彼女の護衛に負傷者が出たのだ。


「どうして騒動が治まらないんだ? 街の自警団は何をしている? 帝国軍の兵士の助力まで得ているのだぞ?」


 婚約者が負傷して戻ってきた兵士に訊ねる。しかし返って来た言葉にフローライトは耳を疑った。


「自警団の衛士や、フローライト様の兵士までもが、今回の騒動に加担をし始めたのです。彼等は逃げ惑う市民に対して持っていた武器を使って襲い掛り……」


 彼の言葉に息を呑むフローライト。やがて聖堂のそとから聞こえてくる声が大きくなり、彼女が街の様子を窓から見れば、彼女は目の前に広がる非日常の光景に悲鳴を上げそうになった。


 聖堂の周りにも既に街の人々がやって来ていて、周囲を取り囲むように彼等は徘徊を始めていたのだ。だが、どう見ても聖堂の周りにいる人々は普通の状況では無い。


 青白い顔に正気とは思えない瞳。口から顎に掛けて血を滴らせている者もいれば、身体に刃物が刺さったまま徘徊をしている者までいる。


「これじゃあまるで死者が動いているようでは無いですか……」


 聖堂に常駐をしている聖職者が怯えをみせる。そして彼はフローライトと婚約者に語り掛けた。


「おそらくは今の状況は魔の者の仕業でしょう。しかしご安心ください。この聖堂の周囲には魔の者の侵入を拒む為の結界が幾重にも張られています。その結界が機能をしている以上、ここには何人たりとも侵入することはできません」


 彼の言葉に安堵の表情を見せる婚約者。しかし、その言葉に一抹の不安がフローライトの脳裏をよぎる。そして、彼女のその不安は的中した。


 負傷した兵士がゆらりと彼等前で立ち上がる。


 彼の腕や首には噛まれたかのような傷痕が残っており、どろどろとその腕からは未だに血が流れていた。


「お、お逃げください……、フローライト様!」


 そして彼は驚愕の表情を浮かべながら、彼等の前に立っていた聖職者の男性に襲い掛ったのだ。


「なっ……、何を……!」


 聖職者の男性が怯えの表情を見せる中、兵士に噛みつかれた彼の手に滲む血。


「ひぃぃいいぃぃぃっっ!」

「許してくれ! 許してくれぇっ! 身体が勝手にぃぃ!」


 兵士が必死に叫び、取りつかれた聖職者が逃げ惑う。


 そんな状況を前にフローライトを守護していた兵士の一人が二人に向かって体当たりをすると、二階の窓から聖堂の周りを徘徊している人々の中へと落ちていく。


「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!」

「助け……、助けてくれぇぇっ!」


 人々の群の中に落ちた二人の悲鳴と絶叫が聞こえる中、フローライトの護衛兵の動きは速かった。


「他に負傷者はいないな! おそらくは負傷をきっかけに身体の支配権を奪われる呪いが広がっている! 聖堂の門を閉ざし、何人たりともこの聖堂に入ることを許すな!」


 護衛兵の筆頭が指示をすれば全員が傷を無い事を示し、彼等は聖堂の中に籠城をする事になる。フローライトが窓の外を見れば、先程まで行動を供にしていた聖職者の男性が、正気とは思えない表情を浮かべ、二階にいるフローライトを見返していたのだった。

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