目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報

第8話:ジンに対する信頼

「どうやら杞憂だったようだな」


 コロシオの高級宿を出たキャトリンを中心にした帝国軍。人数の規模だけで言えば兵士の数は小隊程度。


 それでも50人近くの武装した兵士が集まれば、コロシオの市民達は彼等のために道を空ける。だがキャトリンが言う通り、彼等が中州へと続く連絡橋に辿り着いた時には既に対処が終わっていた。


 連絡橋への侵入を阻むように半円を描くように建てられている。その上で壁の向こうには更に大型の土壁と二層になる壁の間には土を掘り出した堀のような穴が掘られていた。


「確認が取れました。この対処をしたのはジン君みたいです。黒竜を連れた商人がここで指揮を執っていたと、この壁作りに協力をしていた市民が話していました」

「なるほどなぁ……、どうやら勘は鈍っていないようだ」


 喉を鳴らすように笑うキャトリン。だが、この壁については市民の間でも意見が割れているらしい。


「こんな壁があったら、交易ができないだろうが」

「これだけの軍人がいるんだ。騒動なんてすぐに鎮圧してくれる」

「軍が到着したんだから壁を壊しても良いだろう?」


 遅れてこの連絡橋に到着した商人や市民が、この壁を守ろうとしている市民と衝突を始めていたのだ。


(どこまでも愚かな者どもめ……)


 しかしキャトリンは利益を守ろうとしている彼等を冷めた目で一瞥すると、魔力をもって壁の上へと舞い上がる。


「ちょっ……、何やってんのよ!」


 キャトリンに付いて来たミラが地上から彼女に向かって呼びかけると、不意に彼女の身体も舞い上がる。


  見ればミラの周りにも淡く光る青い精霊が舞っており、アリシナが自分とミラを同時にキャトリンに続くように壁へと浮き上がらせていた。


「どう言うつもり?」

「これだけの壁を作ったには、ジン君なりの訳があると思わない? 下の人々を説得する為にも、証人は一人でも多い方が良いでしょ? っていうのは建前、本音を言えばジン君の軍師としての実力をあなたにもしっかりと見ておいて欲しいと思ってるのよ」

「……そう」


 アリシナの言葉に憮然とした表情を浮かべるミラ。しかし、連絡橋を包囲する壁の向こうの状況を見たミラは表情を引きつらせた。


 兵士として数々の修羅場をくぐり抜けたアリシナや、これまでも数の戦地に立っていたキャトリンであっても、その光景は異常に見える。


 軍の小隊程度では到底鎮圧もできない程の人々が連絡橋に集まり、立ちはだかる壁に群がっている。しかし、その人々はどう見ても勝機には見えない。


 光彩を失った虚ろな一人でフラフラと立ち尽くしている。そして彼等は一様に口周りを血で汚し、そして壁の上にキャトリンやミラの姿を確認すると、届くはずも無い両手を彼女達に向けていた。


「どういうこと? この人達……まるで……」

「ああ、死人だな」


 眼下の人々に対してキャトリンが断言する。彼女尾示すとおり、血に染まっているのは彼等の口周りだけでは無い。フラフラと立っている人々の着ている衣服は所々が破れ、そして体中から血を流している。


 連絡橋が赤く染まり、血の川が中州から続いていた。


「ミラと言ったな。お前には何が見える?」

「何って……、そんなの……死んだ人達が操られているようにしか……」

「そうか。お前に見えるのはそれだけか」


 冷やかな目で眼下を見下ろすキャトリン。しかし、そんな彼女に疑問符を浮かべたのはミラだけでは無い。アリシナもまた、それ以外には何も見えなかったからだ。


「キャトリン様には何か見えるのですか?」


 だからアリシナはキャトリンに何が見えるのかを問いかける。だがキャトリンの言葉は二人には理解ができなかった。


「私の目にはこの死体を包むように悍ましい魔力に包まれているのが見える。靄に見える魔力と瘴気があたりに広がって、さながら黒い雲海の上に立っているようにも見える」

「靄……ですか?」


 キャトリンの言葉にアリシナが目を凝らそうとする。精霊魔法を使う彼女の魔法感知であれば、大抵の魔法は一瞥しただけで感知できる。しかし、そんなアリシナでも魔法完治を最大限に上げて目を凝らせば、ようやく人々の身体から薄い何かが出ているのが知覚できる程度。


 ただの貴族令嬢であるミラには到底見ることもできない程の、微量の魔力が漏れ出ていた。


「どうしてあなたにだけ見えるの?」

「さあな。考えられるとしたら王家の魔力が関係している可能性が考えられるが……」

「王家の魔力?」


 彼女の言葉にミラが聞き返すが、キャトリンはそれ以上何かを応えるつもりは無いのだろう。銀色の髪をたなびかせながら、中州から続く操られた人々の列を見つめる。


「さながら骸兵と言ったところか。放置すれば、いずれはこの街を埋め尽くすだろう。そうなればこの骸がいずれは帝国を吞み込むことになるだろう」


 加速度的に増えていく骸を前に、キャトリンの決断は早かった。


「アリシナ。精霊魔法ですぐに近隣の帝国軍に連絡を取れ。この街を……コロシオを完全に封鎖し、骸兵以外の人間を一人でも多く逃す。兵士と市民には骸兵との接触を禁じよ。取り込まれるぞ」

「は、はい。かしこまりました」


 キャトリンの言葉にアリシナは再び精霊を操って自身とミラを地上へと舞う。そしてミラをそのままにアリシナは即座にキャトリンの指示を兵士へと伝えていく。


 一方でキャトリンは壁の上に残り、壁を崩そうとしている市民に向けて呼びかけた。


「我が名はヘルテラ帝国が第三皇女・キャトリン=ヘルテラだ。現在、この街は邪法で操られている骸兵によって襲われている。この壁は我が軍師が市民を守る為に作り上げたものだ。急ぎ、この街から離れよ! このコロシオの街は間も無く戦場となる!」


 彼女の言葉に人々の間に走るどよめき。


 しかし、彼女の言葉に同調するように壁を守っていた人々が声を上げれば、もう誰も壁を壊そうとはしない。連絡橋へと集まっていた人々はそれぞれ橋を後にして散っていく。


「アリシナ、この橋を守れ。骸兵どもが集まり続ければ、いずれは最初の壁を崩すために動き始めるだろう。遠距離から攻撃できる魔法使いが適任だ。

「は、はい、かしこまりました。キャトリン様は?」

「ジンの元へと向かう」

「ちょっ……待ってよ。ジンが何処に行くのかわかってるの?」


 さも当然のように応えるキャトリンに対して問いかけるミラ。しかしキャトリンはそんな彼女に対して薄く笑って応えた。


「そういうお前こそ、もうわかっているだろう? この状況にジンがジッと出来ると思うか?」

「……それは、たぶん……この騒動を止めようとすると思う」

「そうだな。だとしたらジンは何処へ向かう?」


 キャトリンの言葉にミラの視線が向かうのは、暗闇に流れる運河。少し歩けば、そこには幾つもの小舟が岸に繋がれていた。


「そういうことだ。引き返すなら今のうちだぞ」

「……冗談でしょ」


 兵士の一人も連れること無く、キャトリンが小舟に向かって歩き始める。そんな彼女に追従するようにミラが後を追えば、二人の背後では焦ったアリシナの声が聞こえていた。


「キャ、キャトリン様? ミラさんまで……危険すぎます! すぐにお戻りください!」


 しかしキャトリンは止まるつもりは無い。ミラについても同様だ。

 二人の信頼するジンはおそらくは対岸に向かっただろう。二人はそう信じて疑っていなかった。


「さてと……我が軍師を追いかけようか」

「ジンを軍師に戻すつもりはないから!」


 二人を乗せた船はキャトリンの魔法によって運河を挟んだ対岸へと走り出したのだった。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?