運河を渡る船の上、キャトリンはこれから自分達が向かうコロシオ東部の街を見て、体中に虫が這い回るような嫌悪感を覚えていた。
(ジンはこの中に……)
運河に繋がれた幾つもの船、そして骸兵達が徐々に運河の中へと入っていく様子を見れば、既に街が骸兵達によって占拠されていることは明白だ。
既にコロシオの被害は甚大では無くなっている様子を見れば、連絡橋を封鎖したジンの判断は正しかったと言わざるを得ない。
「それでこれからどうするつもり?」
「決まっている。ジンの元へと向かう」
それでもキャトリンはミラを連れて率先して岸へと上がると、台頭していた剣を抜く。ミラもまた護身用に杖を手にしていたが、彼女が使える魔法程度では、気休め程度にしかならないことはキャトリンも理解している。
しかし、それでもキャトリンは剣を手に彼等の前へと歩み出た。
「ちょっ……、待ちなさいよ!」
未だミラやキャトリンの存在に気が付いていない骸兵達は、変わらず街の中を徘徊している。それなのに姿を隠すこともなく歩みを進めるキャトリンに、ミラは驚きで目を丸くしたが、次の瞬間には彼女の進む先の骸兵達が燃え上がるように火に包まれると崩れ落ちた。
「何だ? やはり怖気付いたか?」
燃え上がる骸兵達を意に介さずにキャトリンが振り返る。真っ白な肌が燃える骸に照らされ、自分を見る赤い瞳がミラを射すくめる。
背筋が凍る程に美しい。
そう形容するしかない状況。だがミラは燃え上がった骸兵達を前にキャトリンに問いかける。
「これは……あなたがした事なの?」
「そうだ」
ミラの問いかけに対して端的に答えるキャトリン。ミラに背を向けると彼女は更に歩みを進め、彼女の前に立ちはだかる骸兵達が次々と炎に包まれると炭と化して倒れていく。
街の人々を燃やしながら歩いて行くキャトリンの姿は場合によっては残酷に見えるかも知れない。だが、ミラはもうそうするしか無いと理解をしていた。
「平気なの?」
「平気だと思うか?」
「……思えないわ」
燃える人々を前にキャトリンが怒りを露わにしているのはわかっている。ミラに表情を見せないのは、彼女なりの矜恃なのかもしれない。
奥歯を噛みしめて歩く彼女が手にした剣を一閃すると、更に勢いを増した火炎が街の人々を焼いていく。人の焼ける臭いが周囲に広がっていく。
それでもキャトリンは犠牲を厭わずに歩みを進めた。
「今までも多くの人を手にかけた。戦争でも、政争でも、手を汚さずに済んだことなど一度も無い。だがこれ程に後味の悪い戦いは初めてだ。だが私には帝国皇族としての務めがある」
キャトリンが彼女の行く手に視線を向ける。行く先には更に血に濡れた人々が虚ろな目で二人に向かっている。
「死して尚、その骸を辱めることを許しはしない」
宣言と共にキャトリンが剣を振るえば、街の人々が切り裂かれるように燃え上がり、二人の行く手に屍の道が出来上がる。その上をキャトリンは進んでいくが、ミラには彼女の背中が酷く孤独に見えていた。
………………。
一方でジンとクロの二人は窮地に立たされていた。
「兄様……、大丈夫?」
二人の目の前に露わ割れた元帝国第一皇子のギシア。その姿はジンがよく知る彼の姿のまま。多くの死者が街中の歩みを進める中、彼もまた死者には違いないのだろうが、涼しげな表情を浮かべていた。
「今の攻撃を凌ぐか。良い竜を連れているじゃ無いか、ジン」
喉を鳴らすように笑うギシア。
その視線の向かう先にいるのはクロ。竜化をしたクロがその手の鱗でジンを彼が扱う風の魔法から守っていた。
「竜種の鱗は厄介だな。手傷さえ負わせればそこから操ることは容易いが、そもそも傷をつけることが難しいときた。もっとも、その竜が守るジン……、お前は簡単に傷つく人には違いないのだが……」
明らかな敵意を見せるギシア。
そしてクロもまた彼が全身から発している魔力が人々を操っているものだと同種だと感じていた。
「兄様、間違イナイヨ。コノ人ガ街ノ人ヲ操ッテル」
「……っ!」
クロの言葉に息を呑むジン。ジンは驚きで彼を見るが、しかし彼は玄の言葉を否定する様子も無い。それどころか、平然とした様子で二人に対峙していた。
「どうしてだ! あなたは帝国の第一皇子だった筈だ! それなのにどうしてこんな真似ができる! このコロシオに暮す人々は、今はもう帝国領に暮らしている人々だ! それをどうして、あなたは害するんだ!」
「帝国領に暮している人間だからだよ」
ジンの問いかけに平然とした様子で答えるギシア。そして彼は夜空の下で両手を広げて嗤った。
「キャトリンに殺された俺は全てを呪った。俺を認めなかったキャトリンも、俺の行く手を阻んだジン、お前も。そして死にいく俺とは対照的に、安穏と暮らしている人民も! 何もかもが不愉快だった」
狂気さえ見せるギシアの言葉。そして彼は死者の徘徊する街並みを見て、満足そうに口の端を吊り上げる。
「だが今はどうだ? これは素晴らしい光景だとは思わないか? 俺の中に入った何かがこの俺に力を与えてくれたんだ! 死者を束ねる力をな! この力さえあれば、俺は再び帝国の頂点へと返り咲くことができる。そして、この死者の列の中に、俺を殺したキャトリンも、俺を失墜させる原因になったジンも、のうのうと生きている帝国領民も、あのミラ=フォルンも加えてやる! これこそが帝国皇子としての俺の覇道だ!」
彼の口にした言葉にゾクリと背筋に走る悪寒。
ギシアの口から出たミラの名前。やはりギシアの狙いの一人にミラが含まれているのは、もう疑いようも無かった。
「今度こそ、俺はこの街に暮らす衆愚を操り、俺の為の国を作って見せる。まずはジン……、お前からだ!」
言いながら魔力を広げていくギシア。
その濃密な魔力を、今度はジンも感じることができる。それ程までに禍々しく強い魔力だった。
「兄様!」
その禍々しさにクロはジンを引き寄せると、その場から逃走を図る。ギシアの操る風がクロに向かうが、風の刃はクロの鱗を貫くには至らない。
ジンの耳には逃げ去っていく二人を嘲笑うギシアの嘲笑がいつまでも聞こえているようだった。