「クロ、戻ってくれ! 戻るんだ!」
遠ざかっていく聖堂を見ながら自分を掴んでいるクロに戻るように叫ぶジン。しかし、クロは一刻も早くギシアから離れる道を選んでいた。
ジンはきっと第二皇女すらも助ける道を探すだろう。だがその道がどれだけ危険かをクロは直感で感じ取っていたのだ。
(これ以上、あの人に近づけちゃ駄目だ……。あの人に近付けば兄様はきっと……)
屋根から屋根へと飛び移り、逃げ続けるクロ。そんな中で街の一角から火の手が上がっているのが見える。そこに漂う魔力を感じ取って、クロはそちらへと逃げる方向を変えた。
そして見えてくるのは炎で道を作っているキャトリンとミラの姿だ。二人を眼下に捉え、クロは地面に降り立つ。瞬間、目の前に現われた黒竜にキャトリンが剣を構えたが、ミラがそれを止めていた。
「ミラ……、それにキャトリン様まで……。なんでこっちに!」
「馬鹿! あんたを追いかけに来たに決まってるでしょ!」
人の姿へと戻るクロの目の前で連れ帰ったジンとミラが口論を始める。その様子にホッと胸を撫で下ろしながら、クロは完全な人の姿へと戻ると、いつものように屈託の無い笑みを浮かべた。
「姉様も来てくれて良かった。クロだけじゃ兄様はきっと逃げてくれなかったから。これで兄様、街から逃げることができるね」
可能な限りあどけない表情で、できる限りジンにとって最善の道を選べるように、クロはこの街からジンを逃すことだけを考える。
クロにとって最も大切なのはジンであり、ジンと一緒に居ることだけがクロにとっての最善だったからだ。しかし、そんなクロの様子を見て、キャトリンはクロに剣を向けていた。
「どうしたの、皇女様?」
「今更見え透いた子供のフリをするな。おそらくは何も知らない子供のフリをしていれば、ジンが守ってくれると理解しているのだろうな。だが私はお前が何も知らない子供では無いと分かっている」
二人の赤い瞳が互いを牽制するように見つめ合う。剣を向けられたクロも怯む様子は無く、二人は睨み合っている。だが、そんな二人を仲介したのはミラだった。
「こんなところでやり合わないでよ。只でさえ面倒な事になっているんだから。それよりも今は、この場から離れた方が良いんじゃ無い? いくらあの骸兵が皇女様の手に機ならないって言っても限度があるでしょ?」
「……そうだな。一時休戦と行こうか」
「……クロは元々、皇女様と喧嘩するつもりはないよ」
ミラの言葉に不承不承と言った様子ながらも矛を収める二人。そしてジン達一行は一度街を離れて運河の岸へと戻っていく。これからどうするにせよ、一度今後の事を話し合う必要があると全員がわかっていた。
「まず一つ報告がある……。今回の首謀者は、元帝国第一皇子・ギシア=ヘルテラだ。第二皇女様の立て籠もっている聖堂の近くで遭遇した。どうも死者を操る力を手に入れたと言っていた。もっとも、あの人もとっくに死んでいた筈なんだが……」
ミラとキャトリンの二人に遭遇したギシアの事を話すジン。
ミラは驚きで目を丸くしていたが、一方でキャトリンは今回の騒ぎが起こった経緯に納得さえしていた。
「なるほどな。あの愚兄が魔の道に身を堕としていたとは思わなかった。だがジン、よく調べてくれた。これならば対策ができるというものだ」
「どうするつもりですか?」
「決まっているだろう。この街を遠距離魔法によって爆撃する。ここで一人でも残せば、兄上の思惑通りに帝国は骸兵に侵食されることになるだろう。そうなる前に、この街を破壊するしかあるまい」
キャトリンの言葉にジンも納得せざるを得ない。
ギシアの討伐をする事ができれば、骸兵達は操られる事は無くなるかもしれない。だが、どうやっても無傷で討伐することなどできないのはジンにもわかりきっていた。しかし――、
「ちょっと待って! この街を爆撃するしかないの? この街を爆撃して、もしも生き残っている人がいたらどうするの? それに、大聖堂にはまだ第二皇女様もいるんでしょう?」
キャトリンの意見に異を唱えたのはミラだった。
「どうしようも無いのはお前もわかっているだろう? 生き残りがいたとしても、いずれは骸兵に吞み込まれる。第二皇女も帝国の皇族の一人だ。覚悟はできているだろう」
「そんな……。そんな言い方無いでしょう!」
ミラに対してあくまでも冷たく答えるキャトリン。
そして彼女はいつもならこの状況をひっくり返すであろうジンに助けを求めるように縋った。
「ねぇ、ジン。あなたには何か考えがあるんじゃ無いの? この街の被害をこれ以上広げないように、今いる以上の被害を出さないように、何か方法は無いの?」
だがジンはミラに何も答える事が出来なかった。
ミラの言う理想通りの結末を、今のジンには思い描けない。今ここで対処を間違えれば、きっと今以上の多くの血が流れることになる。
ジンはもう『間違える』ことができなかった。
「姉様もわかるよね? 兄様にも、姉様にも、もうできることは何も無いよ。ここは帝国の人達に任せて、クロ達は避難するしか無いんだよ」
ジンの代弁をするように歩み出たのはクロだ。そしてクロはその小さな手でミラの手を取ると、優しく語り掛ける。
「ね? 姉様ももう諦めよう。今までが上手くいきすぎていたんだよ。この街はもう手遅れで、兄様にもどうすることもできない。あの皇子と戦っても、兄様が傷つくだけ。だからね……、わかって」
クロの言葉にミラが顔を伏せる。
そんな彼女を見て胸を痛めるのはジンだ。彼は今もっているカードを目の前に並べる。東西に分断された街、既に多く出ている犠牲者、そしてこの街の特殊な条件。
その時、ゾクリとジンの中に浮かんだ一つの考え。それはこの状況を根底から覆す物ではない。ただの時間稼ぎにしかならないかもしれない状況を打破する為の一手。
しかしもう、この街の状況を変えるには、その方法しか無いように思えた。
「キャトリン様……、俺に一つだけ考えがあります」
そしてジンが自分の考えを彼女達に語ろうとする。だがその時だった。
一陣の風がジンに向かって振り下ろされる。風は切り裂くようにジンに向かって進んでいく。そして次の瞬間には鮮血が舞う。
「あははははははははっ! ようやく見つけた、ジン! それにキャトリンも! お前達はもう終わりだ!」
哄笑が聞こえてキャトリンが見上げれば、そこには風の魔法で空を飛ぶギシアがいる。しかし、ジンは空を見上げることは無かった。
「ミラ!」
ジンの視線の先には、ギシアの魔法からジンを庇おうと、咄嗟にジンを庇ったミラが倒れている。そして彼女の腕には血が滲む程の傷が刻まれていた。