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第12話:操られたミラ

 ミラの腕から流れ落ちた血の雫。


 彼女が着ていた白いブラウスに赤い血が滲み、彼女の手を伝ってポタポタと石畳に落ちていく。


「ミラ……、お前……俺を庇って……」

「いいから……。私の事は気にしないで……」


 傷口を押えながら表情を歪めるミラ。彼女が負った傷自体はそれ程大きいものではない。だが骸を操る呪いを受ければ、その傷口に黒い靄が掛かることをクロとキャトリンだけは知っている。


 そして今、その靄がミラの傷口にも掛かっていることを二人も気付いていた。


「ジン、何をしている! そこをどけ!」


 言いながら券を抜き放っていたキャトリンが駆けるとミラに迫る。


「だ、だめぇっ!」


 そのキャトリンの行動にクロが表情を真っ青にしてキャトリンの前に立ちはだかれば、竜となった手の爪でキャトリンの振るう白刃からミラを庇おうとする。


 しかし、キャトリンは身を翻してクロの手を避けると、ミラに肉薄して彼女の鳩尾へと剣の柄を叩き込んだ。


「んぐっ……」


 ジンの目の前で攻撃を受けたミラの身体が意識を失ったように、その場に崩れる。その光景を見ていることしかできないジンとは違って、クロはその瞳に怒りを宿して吼えた。


「よくも……、よくもミラ姉様を!」


 市街地に広がる竜の咆哮。しかし、この状況の中で誰よりも冷静だったのは、ミラを昏倒させたキャトリンだったのだろう。


「ジン、何をしている! ミラに猿ぐつわでも何でも良い、何かを咥えさせて拘束しろ! むざむざギシアに、その女を渡す必要は無い!」

「……っ」


 その言葉にようやくジンもキャトリンが何をさせたいのかを理解したのだろう。ジンは自分が羽織っていたマントの一部を切り裂くと、ミラの口に猿ぐつわとして噛ませる。


 その上で彼女の両腕を後ろ手に拘束すれば、ミラはもう行動はできない。だが、やはりもう手遅れだった。


「残念だが、ミラ=フォルンはもう俺の手駒だ」


 宙を舞うギシアがニタリと嗤いながらミラに指を向けると、クロとキャトリンが目にしたのは、傷口に掛かっていた靄がミラの全身を包む光景。


 そして意識の無い筈のミラが、その場でゆっくりと立ち上がる。


 未だ昏倒している筈のミラ。しかし彼女はその場で猿ぐつわを噛みちぎろうとするかのように身じろぎし、両手の拘束すらも解こうと藻掻く。


「あははははっ! まるで罪人のようじゃないか! 俺の野望をくだいたお前にはお似合いの姿だよ!」


 そんなミラを見下ろして嘲笑するギシア。


「ミラ、あんな奴に……」


 そんな彼女を見ていられず、ジンはミラをその場で組み伏せようとする。しかし、普段のミラからは考えられない程に力が強く、ジンの拘束すら解こうと動いていた。


「どうした、ジン? その女が操られたのが、そんなに嫌なのか? ざまぁ見ろ! お前が地べたに額を擦りつけて奴隷にしてくれと懇願するなら、お前もミラと同じように操ってやってもいいぞ!」


 もはや怨恨のみで動いているギシアの言葉にジンの表情が怒りに染まる。しかしそんな彼にキャトリンは「落ち着け」と声を掛けた。


「彼女は軍人ではない。猿ぐつわを噛ませ、両手を拘束していれば、少なくとも舌を噛んで自死をすることも、周囲の私達を傷つけて被害を拡大させることもできない。違うのか、我が兄上?」


 キャトリンが手にした剣の切っ先を彼に向けて問いかけると、ギシアが忌々しげにキャトリンを睨みつけていた。


「黙って操られていればいいものを……。キャトリン、すぐにお前もそこの女のように俺の奴隷にしてやる」

「愚かな兄上様らしい発想だな。こうして魔の道に堕ちることでしか人を従えられないとは……。まさかここまで愚かだとは、私の想像を軽く超えているが」


 ギシアの言葉に薄く嗤うキャトリン。その上で彼女は傍らにいるジンとクロにだけ聞こえるように語り掛ける。


「骸を操っていることから想像できたことだが、どうやら身体が原型をとどめていれば、操れる程度の能力なんだろう。そう言う意味ではただの人形遊びと変わらない」

「人形遊び……」


 その言葉に、やはりジンが思い出してしまうのは、森の洋館で人々を人形に変えて操ろうとしていた悪魔の記憶。しかし、そんなことはあり得ないとも思えてしまう。


「お前……まさか、森で俺達と戦った悪魔なのか?」


 ジン自身はその悪魔と戦ったことはない。だが、ジンはキャトリンから聞いて知っている。ジンとクロが人形に帰られてしまった時、最後に二人を守って悪魔に勝利をしたのはミラだ。


 その為、ジンはミラから自分が人形にされてしまった後の顛末を聞いていたのだ。


「悪魔?」


 ジンの言葉にキャトリンが問いかけると彼は無言で頷く。


「このコロシオを目指す旅の途中で、同じように人形で襲われたことがある。その時に襲ってきた人形使いを操っていたのが、人に取り憑く悪魔だったんだ」

「なるほどな」


 ジンの言葉に納得がいったと言うように、キャトリンが更に笑みを強くする。


「ギシアがどうやって蘇ったのかだけがわからなかったが、ようやく得心がいったよ。つまりギシア、愚かな兄上様は寄生虫のごとき悪魔に操られているという訳だ。ははっ、有力貴族の傀儡になりそうだった愚かな兄上様は、死んだ後も今度は悪魔の傀儡とは、まさにお似合いの姿だよ。真の奴隷はどちらかわかったというものだ」


 キャトリンの言葉に怒りで顔を赤くするギシア。


「もういい! キャトリン、お前も俺の奴隷として操ってやろうと思っていたが、その価値も無い! お前は俺の手で切り刻んでやる!」


 怒りにかられたギシアが風の刃を降り注ぎ始める。


「兄様、下がって!」


 ギシアに対してジンとキャトリンを庇うようにクロが竜化すると風の刃から二人を守る。ギシアの魔法では竜の鱗を貫通することもできないのだろうクロは傷一つ負ってはいなかった。


「おい、黒竜」


 そんなクロに対して、庇われた形のキャトリンが問いかける。


「……何? 今、あなたの相手をするつもりは無いんだけど」

「ああ、そうだろうな。お前は私が嫌いらしい。安心しろ、私もジンを唆したお前のことを好ましくは思っていない」

「……そう」

「だがな、この状況下でこのミラとジンを救えるのはお前だけだろう?」

 キャトリンの問いかけにクロは何も答えない。だが、クロは彼女が何を言おうとしているのかを察していた。

「三人一度には無理だよ」

「それでいい。私を置いていけ」

「なっ……」


 キャトリンの言葉に絶句するジン。しかし、キャトリンはもう腹を括っていた。


「ジン、この状況をひっくり返せる何かを思いついたのだろう? その企てを成功することを祈っている。でないと……、私が死ぬからな」


 言いながらクロの影から駆け出すキャトリン。


「皇女様!」

「だめっ、兄様!」


 ジンがキャトリンに向かって叫ぶが、二人の行く手を遮るように火炎が舞う。次いでギシアが風の刃を降り注がせるが、完全に頭に血が上っているのだろう。


 彼が放つ魔法はキャトリンだけを標的としている。


 そしてその隙を突くようにクロは拘束したミラの身体を抱いたジンを背に乗せると、連絡橋に向かって駆け出していく。連絡橋に群がる骸兵達をなぎ払いながら、彼等はコロシオ西部へと戻っていく。


 東部の街ではキャトリンが放った炎の魔法が荒れ狂っていた。

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