どれだけの骸を焼いただろう。
どれだけの敵を切り裂いただろう。
そしてもう、何時間この街を駆け抜けているのだろう。
「……はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……」
未だ夜の闇が支配するコロシオの東部では、キャトリンが奮戦を続けていた。鍛えられた王家の魔力を使い炎で向かってくる骸を焼き払い、腰に下げた剣で炎の中から肉薄する骸兵を切り倒す。
街に広がる炎の魔法に骸兵は徐々に数を減らしているが、しかしその数は膨大だ。ギシアの目を盗んで地下水道や建物の中を進んでいても、一時として気の休まる時はない。
それでもキャトリンは時間を稼ぎ続ける。時間さえあれば、ジンが反撃の糸口を見つけるだろうと信じていたからだ。
しかしやはりキャトリンにも限界はある。操る炎の魔力は徐々に弱くなり、腕は徐々に重くなる。そして彼女はついに東部の街の中、袋小路のような場所へと追い込まれていた。
「ははっ! ここまでだなぁ、キャトリン!」
追い詰められたキャトリンを見てニヤニヤと口元を緩めるギシア。
鉛のように重い身体。剣を辛うじて構えながら、キャトリンは忌々しげにギシアを睨む。ここ数時間、ギシアと大量の骸兵に追い回されても、キャトリンが逃げ続ける事が出来たのは彼女の予想と読みが正確だったからだ。
しかしギシアは自分の行動が読まれていることを察すると、コロシオの街に徘徊する骸兵達でキャトリンのいる地区を包囲するように配置し、その包囲の輪を徐々に小さくしていったのだ。
「無様だなぁ。皇位継承権を持つ皇女の姿とは思えないよ。兵装もボロボロ、汗と泥に汚れ、下水道を逃げ回って足下を汚水で汚す。まさにドブネズミのような姿だ」
疲弊したキャトリンを嬲るようにギシアが彼女に向かって語りかける。しかし、キャトリンはそんなギシアの言葉を笑いとばしてみせた。
「やはり浅慮だなぁ、我が愚かな兄上殿は。私はいずれ皇帝として帝国の先頭を歩く者。その私が足下の汚れを気にしてどうして国が導けるというのだ? 我々皇族の責務は、国に暮す人々の安寧を守ること。先頭に立つ以上、危険を冒し、泥を払うのが我らの役目だ。先頭の者が汗と泥に汚れず、どうして人々を導くことができる!」
「そのようなこと、臣下にさせればいいではないか。少なくても、俺はそうやって来た」
「だから今、兄上の周りにいるのは、物言わぬ骸だけになったのではないか!」
余裕の表情を浮かべていたギシアの表情が強ばる。
その眼下でキャトリンは彼に剣を向けていた。
「私がどうして無視をしてもいい骸兵を焼いて回ったと思う? 事切れて尚、兄上の人形として使われる姿を哀れに思ったからだ。帝国領の臣民としての誇りさえ汚され、利用される姿を哀れに思ったからだ。結局、兄上は人形のようになった者しか操れなかったのだろう?」
「……黙れ」
「周りにいる骸を見ることができるのか? 誰も兄上のことを皇帝などと認めてはいない。物言わぬ人形となり、ただ身体を動かされているだけ。しかし、私は違うぞ! 私が目指す皇帝は帝国領の全ての人々を守り、人の心を動かす皇帝だ! 民に慕われること無くして、皇帝は成り立たない! ギシア、お前の目指す皇帝は歴史に尚残す暗君であり、国を滅ぼす愚かな皇帝だろう」
「黙れ! 黙れ! 黙れ! 黙れぇぇっ!」
キャトリンの言葉に顔を赤くして怒りを口にするギシア。そして彼が魔法を放つと、キャトリンに向かって風の刃が振り下ろされる。
キャトリンはその風の刃を辛うじていなす。しかしギシアは更に幾つもの風の刃を振り下ろそうとしていた。
「そのように怒りを露わにするのは、少なからず自覚があったからか? 自分には誰もついて来ないと……」
「まだ言うのか! キャトリン!」
振り下ろされる更に多くの風の刃。
キャトリンは傷こそ負わないが、更に追い詰められていく。彼女の身に着けていた兵装に傷が入り、確実に追い詰められていくが、手傷を負わなかったのは、彼女の運が良かっただろう。
だがそれも、もうここまでかとキャトリン自身も諦めていた。
背中に感じる硬い壁の感触。袋小路の前方には骸兵の列。そして骸兵を率いているギシアは怒りの形相で追い詰めたキャトリンを見下ろしていた。
「キャトリン、お前はボロボロにして街中を引きずり回す。楽に死ねると思うな。衣服を剥ぎ、女として生まれた事を後悔する姿で、奴隷のようにコロシオの東部へ向かわせてやる。その姿を見たジンの姿が今からたのしみだよ!」
ギシアの手に生まれる大きな風の刃。
キャトリンは剣を構え、残り少ない魔力で防壁を張ろうとする。だがギシアの魔法をもう防げるとは思えない。
(ここまでか……。後はジンに托すことになりそうだ……)
諦めの笑みを浮かべるキャトリン。しかし、そんな時だった――
「キャトリンを守りなさい!」
「「「はっ!」」」
周囲に響き渡ったのは女性の声。そして今まさにキャトリンに向かって風の刃を振り下ろそうとしていたギシアに向かって、幾つもの矢が放たれた。
「なっ、なんだ、貴様らは!」
驚愕の表情を浮かべ、矢から反射的に身体を守ろうとするギシア。そんな彼が見たのは、帝国軍人の兵装を身に着けた数人の兵士だった。
「キャトリン様、こちらです!」
同時に壁際に追い詰められていたキャトリンが壁の上へと引き上げられる。そして引き上げられた彼女が見たのは、数人の近衛兵を連れた姉、フローライトの姿だった。
「無事で良かった……、キャトリン」
「姉上……。何故ここに?」
「街を脱出するために屋根から屋根へと移動をしていたのです。今はそれよりも逃げますよ。あなたをここで見捨てはしない!」
フローライトの言葉に面食らうキャトリン。
よく見れば、フローライトはボロボロだった。皇族として、屋根から屋根への移動などしたことが無かったのだろう。身に着けた衣服は埃や砂で汚れ、所々布地が破れている。
汗をかき、煤や埃で顔を汚している。しかし、その姿はキャトリンが今まで見てきた姉の姿で、もっとも輝いて見えていた。
「フローライト? どうしてお前が……」
ギシアが忌々しげにフローライトを見下ろす。しかし、そんな彼に対してフローライトはキャトリンを支えながら叫んだ。
「私は、姉としてキャトリンを守るのです! 腹違いと言えど、キャトリンは私の大事な妹! 第一皇女……姉様を殺したギシア兄様よりも、私はキャトリンにこそ、皇帝の地位が相応しいと、ずっと思っていました!」
この局面での姉の登場を予想していなかったキャトリン。
しかし、恐怖で足を竦ませながらもキャトリンを支持すると言った姉の姿に、彼女の胸の奥から熱い気持ちが溢れてくる。
「姉様……、危ないところを助けていただき、ありがとうございます」
「……当然でしょう。私は……あなたの姉ですよ……」
キャトリンの言葉に今にも泣きそうになりながら、微笑みを浮かべるフローライト。そして彼女はキャトリンを連れて屋根の上を走り始めた。
「フローライト! こっちだ!」
見れば、フローライトの婚約者までもが行動を供にしている。連れている兵士は十人にも満たず、誰もが建物の下の骸兵達を恐れているのが見てとれる。
それでも彼等はキャトリンを守る為に行動を起していた。
「何故だ! 何故だ! 何故だぁぁっ!」
その姿を見て咆哮するギシア。
そんな彼に拒絶をするように、フローライトの近衛兵からは更に数本の矢が彼に向かって放たれていた。