夕食を終えた三人は涼しい外へ出てきた。灯りの代わりとして設けられた小型キャンプファイヤーの横では未だに人々が踊っており、魔物や幽霊を象った姿が収穫祭期間ならではの影を長く伸ばしている。真上には秋の星空が広がり、若干欠けた月が時折雲に隠れながらも真っ白に輝いていた。
人の少ないところへやってきたラヴェンナは箒に跨ると、カトリーナへ向かい後ろへ乗るように首で合図する。
「どこかに行くのか?」
「ええ。ちゃんと腰に腕を回して、太腿で箒を挟み込んでね……マリーは?」
「一回戻ってからすぐに向かいます!」
「じゃあ、向こうで会いましょ!」
「はいっ! いくよ“ホウキ”、私の家まで!」
『かしこまりました、マリー様』
マリーは自前の喋る箒で一時離脱。ラヴェンナもカトリーナの準備が終わったのを確認すると、ゆっくりと夜空に飛び上がっていった。地面はみるみるうちに遠ざかり、ストーンヘイヴンの街から離れた田舎へと真っ直ぐ進んでいく。
「ラヴェンナ、どういうことだ? どこに向かっている……?」
「どこから話そうかしら……昔ね、私が取っていた弟子に、それはもう凄いやんちゃな子がいて……」
秋の夜風に当たりながら、ラヴェンナは昔の出来事を語り出した。
「あれはずっと昔、貴女が生まれていたかもわからない時期のことよ。私は街の近くでロクサーヌと一緒に二人で暮らしていた。そしてその頃はまだ、ストーンヘイヴンは魔女に対する理解が追いついていなかった……だから、魔女の資質を持つ者たちを私が預かって、力の使い方を教えていたわ」
「もしかしてその中に……」
「ええ、彼女がいた。レオノラ・ホワイトウィンド――酒が好きな風の魔女よ」
その言葉を聞いたカトリーナは静かに腕へ力を込める。まだ酔いは抜けていないものの、透き通った緑の瞳は夜の闇を見据えている……
「今年の夏の終わった頃、レオノラが亡くなったと聞いた私たちは王都で彼女の葬式を行ったわ。酒瓶を抱えたまま、眠るように息を引き取っていたらしいってことは後から知ったのだけど、とにかく終始人騒がせな奴だった」
「……嫌な魔女、だったのか?」
「逆よ。なんにでも首を突っ込んで、引っかき回して、全部ぐちゃぐちゃにしちゃうのに、最後は綺麗すっきり解決しちゃう……そんな子だった。束縛を嫌う、風そのものみたいな……」
「それが……収穫祭の期間だから」
「帰ってきたのでしょうね。そして、わざわざ貴女の前に現れた」
見えてきた景色はウィンデル集落の魔女小屋だ。しかし今晩はそれを少し通り過ぎていく。箒を低くし、木々の間に伸びる下り道から小さな谷間へ入り込む。
そこは隣に小川がきらめく狭い一本道。道の両脇には土と岩でできた天然の壁があり、ところによっては頭上を横断するアーチ構造も見られた。少し欠けた月が照らす中で降り立ったラヴェンナは、この場所に置いてあったランタンへ指を振って魔法の灯りをつける。
カトリーナは二本足で地面を踏みしめながら木々の間に狭く広がる渓谷の景色を見回して深呼吸を一つ。どうやら、風の通り道になっているようだ。
「ラヴェンナ、ここは?」
「死者の谷……と私が命名したわ。風を感じるでしょ? ウィンデルという名前はこの場所から取られたのよ。そしてここは、風と一緒に霊の通る道にもなっている。ついてきて」
ランタン片手に二人は進む。光源が揺れる。目が慣れて色々な見えてくる。
そこにあったのは幾つもの墓標だった。
表面には何人もの名前が刻まれており、中には既に風化して読み取れないものも少なくない。一帯には湿り気を帯びた涼しさが静かに満ちていた。
「墓……」
「ウィンデルの人々は、亡くなった後は殆どがここに埋葬されるわ。でもその中に一つだけ、私にとって特別な場所がある。そしてそれはきっと、貴女にとっても特別になってくれるはずよ」
「もしかして、彼女の」
「彼女だけじゃないわ。ここは――」
黒魔女はとある場所で足を止め、カトリーナに前へ出るように合図した。二人の前に立っていたのはひときわ大きな墓石。表面がつるりとしたものだ。
足元を見れば平石が埋め込まれていて……何十人分もの名前が見える。そこにはなんとラヴェンナとレオノラ、ひいてはマリーとロクサーヌの名前まで深く彫られていた。
「――私たち“魔女”の墓」
「……レオノラは、ここに?」
「彼女の身体が、という意味ならノーよ。埋葬自体は王都で済ませたの。だけどこの場所は肉体を安置するだけじゃない。魂の拠り所、死して身内で集まる為の目印みたいなものね」
魔女の名前は、存命中であるかを問わず旧い順に刻まれているようだった。そしてそれは、カトリーナにまだまだ知らない魔女の存在を教えてくれる。不思議な力に目覚める前は殆ど見えなかった人々が、世界の様々な分野で陰ながら活躍していたようだ。
白髪の魔女見習いが墓石の名前を一つ一つ確認していると、空からマリーが箒に乗って降りてくる。腕には何か細長い物の入ったバッグが提げられていた。
「ママ! 団長さん! 来ました」
「お疲れ。丁度、大事な話をしようと思っていたところね」
「あの、それじゃあもしかして、団長さんって……」
「……」
ラヴェンナはカトリーナへ視線を向ける。
場の空気でマリーは察したようで、おおっ……と感嘆を小さく漏らした。
「……そういうことだ。まだ表にはしていないが」
「わあっ、改めて、これからもよろしくお願いします!」
「ああ、よろしく。カトリーナと呼んでくれ」
「じゃあカトリーナさんって呼びます。ん、もしかして初めての後輩……」
「はいはい、さっさとそれを置いてあげなさい」
「あっ、そうでした!」
マリーは墓石の前に駆け寄ると、さっそく持ってきた物――瓶ワインを出す。なかなか良いラベルが貼られていた。
「初給料で買ったんです。本当は、一緒に飲みたかったんですけど」
「そういうことだったの。あいつも喜んでいるはずよ。じゃあ……」
ラヴェンナは鼻を鳴らした後、改めて、カトリーナと目を合わせた。
「レオノラは風を操ることに長けていたわ。ホワイトウィンド、という魔女名もそこから取って私が名付けたの。そして、大の酒飲みとしても知られていた……貴女と色々波長が合ったのでしょうね。やがて収穫祭になってストーンヘイヴンを訪れた時、貴女はその姿を見ることができた。今だって……」
会話の途中、谷間へ吹き込む風が急に強まり始める。それは三人のもとへやってくると、辺りで大きな円を描くように緩やかなつむじを巻き始めた。
ラヴェンナは腕を組み、感慨深さを滲ませた顔で目を閉じ、間違えないようにゆっくりと口を開いて大切な言葉を紡ぎ出す。
「カトリーナ。貴女を……正式に魔女の一人として迎えることができるわ」
「!」
「おおっ!」
「あなたの名前はここに刻まれ、私たちは死しても引き裂かれない仲間になる。私やロクサーヌだけじゃない、他の街に住む魔女たち、今まで生きていた者たちもいる大きな輪に入るの。あなたがそれを望むなら、だけど……どう?」
「私は……」
風がいっそう強くなる。木々が揺れ、草葉の擦れる音が獣のように唸る。
谷の全てがカトリーナを見ていた。彼女は俯いたまま、声を振り絞って……
「まだ……怖い。魔女の生き方を選ぶ、勇気が出ない」
「えーっ! 今のって完全に魔女になる流れじゃ」
「マリー!」
「ふぎゃ……」
ゲンコツを食らったマリーが大人しくなる。谷もまた静かに戻っていた。
「すまない。私は臆病なんだ。まだ魔女がどういうものかを理解できていない。せっかくの機会を貰ったのに、がっかりさせてしまったかもしれないが……」
「別に良いわよ。大事なことだし、チャンスも今日だけって訳じゃないから」
「すまない……」
「大丈夫、顔を上げて。まあ、ここに来たのにはもう一つ理由があるわ。今ならきっとレオノラも傍に居るから、この話をするにはピッタリだと思うのだけど」
こほん、と息を整えるラヴェンナは、場を改めてからカトリーナの肩を叩く。
「貴女に“ホワイトウィンド”の二つ名を与えようと思ったの」
「それは、いいのか? 元々は彼女の――」
「良いのよ。よく考えれば似た者同士だし、あれも私が名付けたんだから。これから時間を掛けて、魔女として生きるか、カトリーナ・ホワイトウィンドの名前が合うかを確かめることね」
「……ありがとう」
ウィンデルの谷を心地よい風が流れていく中、いままで黙っていたマリーが何かに気付いてあっと大きな声を上げた。彼女は墓石の近くに置いていたワインを掲げて嬉しそうにニコニコ笑う。
「中身が減ってます! まだ蓋は開けてないのに!」
死者の谷という名前に反して、今この場所はゆったりとした雰囲気に包まれていた。ラヴェンナたち三人は墓石の前でレオノラの話をした後、元来た道を歩きで戻り始める。もう夜は遅かった。遠くに集落の灯りがぽつぽつと見える。
「今日は泊まって行きなさい。でもベッドはどうしようかしら」
「三人! 三人で寝ましょう! 仲間ですから!」
「それなら……」
「流石に狭いわよ! はあ、ベッドが壊れたら直すのを手伝いなさいよ……」
「はーい♪」
「ふふ……わかった」