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第83話「秋の終わり」

 涼しくて過ごしやすかった季節も過ぎ去ろうとしており、ちくりと刺すような冷たさを覚える日も多くなった。朝方、外ではびゅうびゅうと木枯らしが吹き付けて物寂しい景色を作る中、ラヴェンナは布団に丸まって大きな欠伸を漏らす。


「んあぁあぁ……ふぅ。寒くなってきたわね」


 暖炉ではパチパチと薪が弾けている。なんとか身体を起こし、火の傍であたたまりながら黒のローブに着替えて腰回りを解した。厚手のものを着込んで屋外に赴くも、朝になってもガーデンテーブルには何も出ていなかった。

 外を吹き抜ける風に身を縮めながら室内へ戻って、二人分の椅子とテーブルを用意していると……玄関の向こうからラヴェンナを呼ぶ声が聞こえてきた。扉を開けてあげれば、お隣に住む白魔女のロクサーヌが両手で鍋を持っていた。


「おはようございます、ラヴェンナ様。焜炉をお借りします」

「いいわよ。テーブルは空けておくわ」

「ありがとうございます。では、他の物もただいまお持ちしますね」


 予めこうなることは分かっていたのか、ラヴェンナ宅の台所は昨日までよりも綺麗に整っていた。ロクサーヌは焜炉の空いていた場所を塞ぐ釜蓋を外して鍋を置くと皿を取りに行って戻ってくる。

 まだ太陽も本調子でない朝。庭で過ごそうとしたらなかなかの寒さとなるが、暖炉で薪がパチパチ弾けるラヴェンナの魔女小屋はあたたかく過ごしやすい。


「パンを持ってきました。リンゴジャムの瓶も一つ開けたので食べましょう」

「いいわね……」


 掃除の終わったテーブルに木皿が並び、ロクサーヌの持ち込んできた白パンが二人分並べられる。ラヴェンナが卵でも焼こうとフライパンに油を回していると玄関の扉がまた開き、今度は小さなお客さんが入ってきた。

 黒猫だ。他人の家へ上がり込む作法を心得ているのか、猫にしてはしっかりとドアを閉めてから暖炉の傍で丸くなってまどろみ始める。


「ラヴェンナ様、猫がいらっしゃいました」

「放っておきなさい。今年は寒くなるのが遅かったかしら」

「今まで暖かかったですからね……」

「これからはさみしい季節になるわ」

「でも、楽しいことも待ってますよ」


 熱されて固まり始める卵の隣では、火にかけていた鍋の中でトマトのスープが煮立ち始める。いつか作った瓶詰めを一つ開けたのだろう。これが食卓に出てくるようになると寒い季節が来たと思わせてくれた。

 朝食も手際よく支度が調えられ、ラヴェンナの魔女小屋の中、テーブルの上にパンの皿とジャムの瓶、両面焼きターンオーバーの目玉焼きにスープの深皿が並ぶ。焼き目の色にリンゴの薄い黄色、白身と黄身にトマトの赤と色鮮やかな食卓だ。さっそく二人は席について一息ついた。


「家の中で食べるようになると、秋が終わった感じがするわね。このトマトの味もそう。寒いのはイヤだけど、こういうのは今時期だけのもの……」

「温かいものはより美味しく感じるようになります」

「ええ、そうね……」


 スプーンで中の具材と汁をいっしょに掬って口元へ運ぶ。瓶詰めを経ても未だ形を保っていたトマトの果肉が程よい酸味とコクで頬を緩ませてくれる。

 寒空の下では動物たちもあたたかい場所でじっと黙っているのか今朝の集落は普段と比べて静かで、透明に澄んだ空気がはるか遠くまで広がっていた。暖炉の傍を早々に確保したかしこい黒猫は、やわらかな欠伸をあげると脚を伸ばしながら転がって頬肉のあまりを床に押しつけている。


 ラヴェンナはパンをちぎって一口放ると、窓の外の荒涼とした風景を眺めながら雪化粧の姿を想像する。

 家の周りに生えた背の高い草々は白くカラッとした枯れ草の佇まいで、道端に残った緑も地面の低いところでぺたりと寝そべるように伸びて、寒風を僅かでも受け流そうとしていた。これらはそれぞれのやり方で新しい季節に備えている。


「冬支度の確認をしないといけないわね。ロクサーヌ、薪は足りてる?」

「問題ありません。保存食の準備がまだですが」

「えーっと……干し柿とか?」

「はい。もしよろしければ、そちらの方をやっていただけると……」

「分かったわ、食べ終わったら早速手を付けましょう」


 スープの程よい塩気と酸味、濃厚な卵の味、やわらかなパンと爽やかな甘みのリンゴジャムに舌鼓を打ち、温かな食事で腹を満たした彼女たちは空いた食器を片付け始める。黒と白の魔女が次の作業の準備をするために外へ出ていった後、暖かい場所に居座っていた猫がすっくと立ち上がり、棚で静かに座るぬいぐるみ「ミノタウロスくん」の方角を見上げた。


「――!」


 家主たちのいない中、ミノタウロスくんは密かに焦っている様子で隣に置いていた骨付き肉型のちいさいフェルトを背中でさっと隠す。猫が好奇のまなざしを下から向け続けている……



◆ ◆ ◆



 しばらく経った後。今度は、平たいカゴへ山のように積まれた柿と共に黒魔女が戻ってきた。彼女はそれをテーブルの上に置いてから手頃なサイズのナイフを探し、椅子に腰掛けてから柿の皮むきに励み始める。


 発色の良い果実はいずれもご近所からの頂き物だ。アタマに“へた”や枝がついたままのそれをナイフで丁寧に剥いていって、縄に結んで一列に並ぶように仕立てる。最後は鍋に沸かした湯で表をわずかに処理して、軒下のいいかんじの場所へカーテンのように垂らして干すのだ。

 これがなかなか味のある見た目でよい。秋も終わりを控えて、豊かだった実りもその数が少なくなり始めている頃だ。特に冬が訪れれば、未だ木に残った実、ぶら下げられた柿は遠目でもよく目立つ。


「む……」


 背中を少し丸めた姿勢で座り、一個一個を手に取り回しながらナイフを使う。刃が果実の表面を滑ると薄く剥かれた皮が飛び出て、螺旋を描きながら真下の皿へ落ちて山を築き上げる。

 一個、二個、三個。手際よく仕立てていく間に窓が明るくなり、外の日差しが強まってきた。暖かくなるにつれて鳥のさえずりも聞こえるようになって、遠くどこかでニワトリが控えめに鳴いているのも分かる。実に平和な午前だ。


(もう冬になるのね……)

(何度経験しても、この時期はしみじみとした気持ちになっちゃうわ)


 いよいよ寒くなってきたら、今日のように外で食事をしない日も増えてくる。ガーデンテーブルとチェアは置きっぱなしだが、それは外作業の休憩時間や動物たちの遊び道具としての役割を果たすだろう。

 作業が進み、ある程度の柿がまとまってつるりと剥かれたら、細い縄を使って一列に結んで並べていく。湯を煮立てていた鍋で表面を軽く熱し、そのまま玄関を出て軒下へ丁度いい場所を見繕って吊してみれば、鮮やかに煌めくオレンジ色が冷たい風を受けてユラユラと揺れ始める。


(うん、いい感じね。とりあえずはこんなものかしら)

(あとはこれをもっと沢山作って……うん?)


 モ~ッ。

 背後から聞こえた鳴き声に振り向けば、そこには例の牛の姿が。ラヴェンナは眉間に皺を寄せると、表情の読めない瞳に見られながら口を尖らせた。


「分かってると思うけど、これは食べたらダメだから……」


 人差し指を立てながら念入りに言いつける。

 しっかりと釘を刺された牛は何も言わずに踵を返し、道端から伸びる枯れ草へ首を伸ばしてもそもそと食べ始める。若干の不安は残っていながらも、まだやることの多い黒魔女は家に戻っていった。




 ウィンデル集落に住む人々は農耕と牧畜を主な産業としており、日頃から畑へ出ている者にとって冬の訪れはしばらくの休息期間でもあった。枯れ草をまとめ家畜たちの食べる藁として蔵に収める、そのような光景があちこちで見られた。


 太陽が高いところまで昇る頃。外仕事に一区切りつけたロクサーヌが戻れば、黒魔女の家の前にはいくつものオレンジ色がまっすぐにぶら下がっている。

 ノックしてから入ってみれば、一仕事を終えた後のラヴェンナが、テーブルに頬を載せていびきをかいていた。


「ラヴェンナ様」


 ロクサーヌが呼びかけるも、返ってきたのはハッキリしない唸り声だ。

 窓の外を見ればそこにも柿のカーテンが降り、間もなく冬の冷たさに変わる風を受けては微かに揺れている。その向こうではウシが枯れたハーブを探してご飯代わりにしていた。


「そろそろご飯の時間ですよ」

「んあぁ……」


 物語で語られるような“幻想の大魔女”らしからぬ言動にクスッと笑い、近くにあったブランケットを肩へかける。そして台所を借りて、手頃につまめるような昼食を作ろうと食品棚を漁り始めた。


「すう……すう……」


 扉の隙間からごくわずかに涼しい風が吹き付け、眠るラヴェンナの顔をさっと撫でていく。秋の最後の香りがする。

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