たくさんの荷物を載せた馬車が霜の降りた街道を行っていた。二頭の馬がゆっくりと歩を進めて木の車輪が回る度に、氷の柱はパリパリと音を立てて弾ける。御者台には女商人が一人腰掛けていた。ウェーブの掛かった金髪に白くモコモコした耳当てを被せ、首元には分厚いマフラーを巻いていた。
彼女は――セレスティアは熱い吐息を吐き出しながら着ぶくれした身体で馬を操り続ける。上半身も下半身もやわらかな素材で寒さから守られており、目的地に向かう最中で肩をがたがたと震わせることはなかった。
「はぁぁ、この時期の朝は冷えるわね~」
実によく晴れた日の午前だ。
ウィンデルの空は一年を通して清浄であり、日差しや星の光を遮る雲はあまり見られない。これにより昼間は日光が良く通る一方、夜には地表の熱がそのまま逃げてしまい、夜明け前にはぐんと冷え込むこともままある。
秋まで小麦畑だったところは寂しい風景が広がり、風が撫でるのもカラカラに乾いた枯れ草のみ。冬の平原には、かすかな物音と動物の息遣いだけがあった。
「さぁて、そろそろ……」
若干の上り下りを超えた先に見えてきたのは見慣れた魔女小屋だ。
煙突から元気よく煙が吐き出されるのを確認したセレスティアは明るい笑みをぱっと浮かべると、馬にそっと鞭を打ち、残りの道を走らせ始めた。
◆ ◆ ◆
朝食を食べ終わってゆっくりしていたラヴェンナは、暖炉の中で燃え盛る薪を見てから視線を横へ動かし、やけに寂しくなっていた薪置き場に溜め息をついていた。最近は急に肌寒くなったこともあり、想定していたペースよりも早く消費が進んでしまっていたのだ。
顎に手を当てて今後のやりくりを考えていた時、魔女小屋の扉が叩かれる。
出てみればそこには、片手でトランクを引くセレスティアが立っていた。
「ラヴェンナ! まだ生きてるみたいで安心したわ」
「人をなんだと思ってるのよ。ってそうね、そろそろ貴女が来る頃だったわ」
「私も今日から冬仕様なの。ということで……中に入れてくれる?」
「はいはい、どうぞ。そこにずっと立っていられたら家も冷えちゃうわ」
「ありがと~」
中に入ったセレスティアはさっそく暖炉の前に陣取り、ここまで引いてきた箱をラヴェンナへ示す。蓋を固定している二つの金具が外されれば片側にパカリと開き、今回の商品の見本が現れた。
「物は外の荷車にたくさん積んであるわ。ここに出すのはちょっとだけ……」
「今日は何があるのかしら」
「いつも通りに持ってきたのはパンとベーコン。これは外に置いてあるから後で渡すわね。風味の違うワイン瓶も何本か選んできたわ。他にはドライフルーツやナッツ類、スモークチーズに魚の缶詰、ピクルスの詰まった瓶に、こっちはスパイスの類い……」
セレスティアはまず赤色の綺麗な布を取り出すとテーブルに広げて、その上へ一つ一つの品が入った包みと瓶を箱から出して披露していく。商工会長の厳正な審査を潜り抜けた赤ワインに白ワイン、それらと共に食べられるおつまみの類いがテーブルに揃えば、机上には徐々に大人の雰囲気が醸し出されていった。
まるでこれから飲み始めるかのようだ。セレスティアはやがて、箱の一番奥に入っていたワイングラスを二つ取り出してラヴェンナの前へ出した。
「これがぜーんぶワンセットよ。どう? 一杯飲んじゃう?」
「……今は遠慮しておくわ。他には?」
「む~っ。色々あるわよ。ほら、これを見て――」
ごそごそ。セレスティアは身を屈めると箱の中をもう一度漁り、今度は綺麗な黒い半球状の置物を取り出した。平らになった部分からは四角い台座が伸びていて、テーブルの真ん中にしっかりと接地する。
「ラヴェンナ、部屋のカーテンを閉めてくれる? 光を遮りたいの」
「カーテン? 分かったわ」
要望を聞いたラヴェンナは窓辺へ人差し指を向けて一振り。厚い布が外からの日光を遮れば魔女小屋は暗くなった。カーテンや扉の隙間、暖炉から零れる灯りが部屋にわずかな視界をもたらしていた。
お互いの顔がかすかに見える中で、セレスティアは慣れたように手元の道具に指をかけてカチッと音を立てる。何らかのスイッチを切り替えたのだろう、それはたちまち青白い粒のような光を発し、天井にいくつもの細やかな点を映した。
それは星空だった。この時期、本来は外へ出ないと見られない星の並びが天井に浮かび、見慣れた魔女小屋をロマンティックに彩っている。ラヴェンナは椅子の背もたれに寄りかかりながら首を上げ、知っている星座を探しては宙で結んでみた。たしかに、彼女の覚えていたものが正確に再現されていた。
「いいわね……」
「でしょ?」
この装置は非常に精密に作られた魔道具のようで、二人が天井を見上げる間にごくごく僅かに回転している様子も見て取れた。星々の役割を示す光も大きさと強さがそれぞれ異なっており、制作者が見事な観察力と技術力を持ち合わせていたことをうかがわせる。
暗がりで横になっていたせいか、ラヴェンナは徐々に心地よくなると、大きな欠伸を零す。外では味わえない、暖炉のもたらす暖かさがこのひとときを贅沢に形作ってもいた。
(……?)
ふと視線を感じてみれば、セレスティアがワイングラスを持ってラヴェンナへ何かを求めている。その中には既に赤黒く美しい液体がわずかに注がれていた。
手元を見れば、ラヴェンナのすぐ傍のグラスにも中身があった。部屋が暗い間に彼女が抜け目なく準備したのだろう。
こんなことをされて断るわけにもいかなかった。酒を瓶に戻し、コルクを締め直したところで未開封品には戻らないのだ……諦めてグラスをとって、その端を当てて軽い音を鳴らしてから一緒に舌を潤わせる。葡萄酒の持つえぐみと酸味が抜ければ、そこには芳醇な香りと風味の余韻が長く残り続けた。
「今は冬の星座を映しているけど、あらかじめ弄っておいたら夏の星座も見られるの。季節を合わせるための、だいたいのカレンダーもついてるわ」
「……気に入ったわ。“買い”ね」
「まあっ、ありがとうラヴェンナ。じゃあ使い方を教えるわね……」
ひとしきり楽しんだ後、二人は部屋のカーテンを開けて明るくしてから商品に目を向ける。セレスティアはまずその外蓋を取り払い、中に入っていた発光体と無数の穴を持った黒い遮光壁を露わにした。それは装置を構成する数多の歯車によって回転し、まるで光そのものが長い時間を掛けて左右に流れていくかのように見せる働きをするのだ。
装置よりわずかに飛び出した、一際丈夫な造りの歯車を指の腹で押して回せば冬の星空に合わせて穴の空いたプレートがぎりぎり音を立てて回り、やがて夏の星空に適したものへと変わっていく。
ラヴェンナはまず、これが実によく出来たものだと感心していた。この極まった熱意の結晶と呼べる発明品は、たとえ風が強く視界のきかない冬の夜だったとしても、人々の真上に凄まじい世界が広がっていることを思い出させてくれる。そしてそれは籠り気味な黒魔女にとって、これまでにない新しい形で、魔女人生における暇潰しの更なる手段を与えてくれたのだった。
「――という感じよ。じゃあこれは置いていくわね」
「良い物を見せてもらったわ。冬はやることがなくてヒマだもの」
「うふふ、また何度だって来るわよ。私もラヴェンナに新しいものを紹介するのがいつもいつも楽しみなの……」
しばらく座っていたセレスティアは立ち上がると、その場で腰を左右に振って下半身を解してから外へ出て行った。商談が一区切りし、ここからは生活必需品が受け渡される時間となっていた。
ラヴェンナは、購入を決めた魔導装置(あとで訊いたら「プラネタリウム」と教えてもらった)を手に取り、外蓋の上から上下左右ひっくりかえして全体像をチェックしていた。そのうち、セレスティアが大量のパンとベーコンが詰まった木箱を持って入り直してきた。
「ラヴェンナ、いつものコレはこの辺りに置いておくわね」
「助かるわ……あっ、そうだ、思い出した」
「なになに?」
「薪が足りなくなりそうなの。外に出るのも嫌で……今日、持ってきてない?」
「もちろん! 私も冬仕様だから、馬車にいっぱい積んでるわよ~」
「ありがとう、その分のお代も出すわ。あと、このワイン代も……」
そこまで言いかけた時、扉に手をかけていたセレスティアは、振り返ったままウンウンと首を左右に振って微笑みかけた。
「テーブルにある物はあげる。私も、ラヴェンナと過ごせて楽しかったから」
「……そう。でも本当に良いの? どれも安くはないでしょうに」
「私が個人的に買ったことにするわ! お金なんていくらでもあるの。むしろ、普段忙しすぎて使う先がないくらい……」
モコモコの白い上着に身を包んだ行商人は薪の山を取りに行った。
ラヴェンナはテーブルに残ったままの晩酌セットに眼差しを向け、先程の暗闇で目の当たりにした彼女の表情を思い出す……
◆ ◆ ◆
それから、セレスティアはラヴェンナとの商談を終えると、今度はロクサーヌとやりとりをしてから普段通りにウィンデル集落の広場へ向かい、ラッパを鳴らしてから村の人々たちと物々交換を行った。最後、帰り際にもう一度ラヴェンナの家で飲んだ後、すっかり上機嫌になった女商人は満面の笑みで馬車を走らせて街の方へ帰っていくのだった。
やがて時間が過ぎて夜。ラヴェンナはロクサーヌと一緒にチーズパンを作ってウインナー、刻みピクルスと共に晩ご飯とした。各々の家へ戻ってからは自由なひとときを過ごし……
眠る格好に着替えた魔女はベッドに腰掛け、新しい装置を手に取っていた。
(ええと、たしか……)
言われたことを思い出し、今日の空模様に合わせて歯車を回す。
それから魔石を起動させてランタンの明かりを落とせば、たちまち室内いっぱいに今夜の星空が再現される。ラヴェンナはそれを見ながらベッドで横になって光の粒々が織りなす景色を見上げた。
(……)
(いいわね、こういうのも。なかなか悪くないわ……)
ぼんやりしている間、ラヴェンナはふとカーテンを捲って本物の星空を窓越しに覗いてみた。そこにはどこまでも続く光景が広がっていたが、ひんやりとした空気が手の甲を撫でると魔女はすぐにカーテンを閉め、セレスティアの用意した娯楽を布団の中から楽しみ始めたのだった。