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第89話「ラヴェンナの占い屋」

 わずかな雪の層が作られ始めた頃の話だ。ラヴェンナは部屋の暖かさにかまけて顔をテーブルへ突っ伏し、両腕を枕代わりに夢と現の間を彷徨っていた。昼も過ぎてお腹も満たされているから極楽の時間だった。ゆるやかに溶けていくような心地よさへ身を任せていると、ふと、魔女小屋の扉をカツカツと軽く叩く音が聞こえてくる。

 黒魔女は頭を起こすと怪訝な顔へ変わった。人間の手では、よほど爪の伸びた者でもなければこのような音は出しようがない。仕方なく立ち上がって外へ出てみれば、軒先で一匹のカラスが地面でおとなしくしていた。


 その足元を見れば一通の手紙が巻き付けられている。また鳥は随分としつけがされているようで、すぐ横の屋根下に垂れ下がる何個もの干し柿にはまるで目もくれなかった。ラヴェンナは身を屈めて届け物を受け取り、文面を確認する。


「えーっと、なになに……」


 丸められていた手紙には、このようなことが書いてあった。




【ウィンデルの大魔女様へ】

突然のお手紙を失礼致します。わたしは、ストーンヘイヴンで酒場を営んでおります、メリュジーヌと申す者です。

実は明日、お店では、王都より招いた占い師による占いのイベントを予定しておりました。しかし今朝、こちらへ向かっている最中の彼女から速達をいただき、吹雪のために到着が遅れることが分かったのです。

一方で既に、何名かのお客さんがこの機会を楽しみにしています。どうか明日の夜、彼らのため、代役として占いをしていただけないでしょうか?


もちろんお礼はいたします。それに加え、飲食代もこちらで持ち、店の建物にある部屋を一つ、翌日までお貸しするつもりです。よい返事を期待しています。




 幻想の大魔女であるラヴェンナは占いを依頼された経験も少なくはなかった。たいていは依頼主が魔女小屋までやってくるが、今回は依頼主のところまで赴く形になる。外の寒さや移動の手間もあったが、酒場の料理を色々気にせずに食べられるのはたいへん魅力的であった。

 ラヴェンナはすぐに了承の返事を書いて、この手紙を届けにきた者の足元へと結びつける。かしこいカラスは元来た空へと舞い戻っていった。


「さて。こうなったら、必要な物を揃えておかなきゃ……」


 道具を準備するために、ラヴェンナはクローゼットを開けて乱雑な中身へ手を突っ込んではしばらく格闘する。やがてカードの入った箱を出すと蓋を開けて、テーブルへ一枚ずつ並べては、すべて正しく収められているかを確かめる。


「いちまい、にまい……」


 ラヴェンナはその日、占いに使うものの確認と掃除に午後の時間を費やした。前の季節に月の光で清めていた物は、ごく僅かに乗った埃をはらって“から拭き”するだけでよかった。使うかもしれない香は、ほんの少し削ったものへ実際に火をつけてから、その匂いが時の流れで落ちていないかを試す必要があった。



◆ ◆ ◆



 翌日。ウィンデルの大魔女は朝をベッドの中で寝て過ごした。

 やがて昼になるとゆっくり起き上がり、厚手のローブを纏って鏡の前に立っておかしなところがないかをチェックする。今日の彼女は「幻想の大魔女」として外に出るのだ。だからと言って装いが変わるわけでもないが、これはあくまでも心持ちの話であった。

 隣人のロクサーヌの家へ赴き、仕事の件と今日は戻らないことを伝える。それから寒々とした庭の真ん中で箒に跨り、つま先で地面をゆっくりと蹴っては若干低いところをまっすぐに飛び始めた。


「さあて、どこだったかしら……」


 ストーンヘイヴンの街に入って以降は目当ての店を上空から探す。

 すると騎士団本部の近くにそれらしい場所を見つけられた。降り立って看板を確認したらビールとワインの絵が描かれている。ドアを叩き、女性の返事を聞いてから中へ滑り込む。


「大魔女様、いらっしゃい。私は、店主のメリュジーヌ。お願いを聞いてくれてありがとう」

「こんにちは。早めに場所を見ておきたいと思って」


 シックなカウンターの向かいに立っていたのは艶やかな黒髪を腰まで伸ばした女性だ。その頭からは薄く青白いヴェールが降りて、薄く開いた両目と血の気の感じられない肌を遮って幻想的な雰囲気を醸している。顔から下は――魔女より見える上半身の様子は実によくある酒場の女店員といった風だ。首と肩の辺りは露わになっており、残りを白いドレス調の布が覆っていた。

 ラヴェンナは彼女に妙な引っかかりを覚えながらも、すぐに仕事のことを思い出して占いの場所を探した。メリュジーヌは店の一番奥を示す。


「夜のうちに整えておきました。今から準備をしても構いません。営業が始まれば他の従業員も来ますので、注文はそちらへお申し付けください」

「ありがとう。じゃあここを使わせてもらうわ」


 二人掛けの小さなテーブルを借りたラヴェンナは表面を軽く払った後、持参の敷き布を被せて雰囲気を作る。見る者へ高級さと力を感じさせる濃い貝紫色だ。持ってきた占い道具の数々はその上に並べ、それっぽい外見へ仕立てていく。

 まずはいかにも目を惹くような水晶。小さなクッションの上に乗せているから余計に特別感があるように思える。続いては小さな魔女釜を模した形の香台だ。そして月の神秘的な力を蓄えたルーンストーンに、タロットカードの入った箱。


「でも、なぁんか胡散臭い雰囲気になっちゃうわね」

「まあまあ、きっと大丈夫ですよ。客はみんな酒で酔っているから……」

「それもそうかしら」


 ラヴェンナは椅子へ腰掛け、あらためて店の内装をよく見渡す。

 メリュジーヌのいるカウンターと、スペースの限りに備えられたテーブル席。天井からは灯の落ちたシャンデリアが垂れ下がっているが、夜になったらそこにつけられた蝋燭が会場を明るくしてくれるのだろう。

 近くには薪ストーブの小さな箱缶もあった。これなら寒さも大丈夫そうだ。



◆ ◆ ◆



 冬の短い日が沈み、まもなく夜が訪れようとしている頃。メリュジーヌの店に従業員の女性たちがやってきて、天井からの灯りをつけたり店の表に黒板を出したりした。今日のそれにはこのような文字が白く書かれている……「今晩だけ、“幻想の大魔女”ラヴェンナ・フェイドリームによる占いの館」と。


 雪の粒が降ってくる中、酒場の扉にかけられていた看板が開店を知らせる。

 すると時間が来るに従ってぽつぽつと客が入り始めた。仕事帰りの肉体労働者に騎士たち、仲のよい冒険者の男女、商売の機会を狙って入り浸ろうとする商人に、寒さから逃れようとする浮浪者。彼女の店はそれをすべて受け入れていた。

 人が増えるにつれて店内も騒がしくなっていく。メリュジーヌはカウンターで注文と愚痴を聞き、酒場らしいドレスを纏った女性たちは品々を運ぶ。その奥で座るラヴェンナの向かいへ、恰幅のいい男が腰掛けてきた。


「大魔女様、よろしいですかな」

「……これはこれは、領主様? お久しぶりです」


 目の前に座っている丸々とした風貌の男は、このストーンヘイヴンの街一帯を統べるやんごとなき御方であった。ラヴェンナもきちんと会うのはしばらくぶりだ。もしかしたら顔を合わせることは年単位でなかったかもしれない……


「領主様も飲みにいらっしゃるのですね」

「時にこうして、人々の暮らしを直接見て回ることにしております。飲むことも大好きですがね! それで今日は、大魔女様が占いをしていると伺ってここまで来た次第です」

「そうですか。占いは……いくつか用意しましたが、どちらにしますか?」

「ううむ」


 領主の男はテーブルに並ぶ道具を眺め、しばらく熟考した後にカードの入った箱を指さした。


「これで、お願いいたします」

「タロットカードね……占う内容は?」

「そうですな。今後の運勢とでもいきますか」

「わかりました、運勢ですね。運勢……」


 ラヴェンナはカードの束を箱から取り出し、まずはその表面を見せて確認するとテーブルに裏返し、両手でそれぞれ円を描きながら混ぜ合わせ始める。これによってカードの順番はもちろんのこと、絵柄の上下までもが分からなくなって、タロットカード占いに向けた準備が進んでいく。


「さて、こんなところかしら……一列に並べていきます。これだと思ったものを選んでください」

「うむ、うむ……」


 魔女の指先がカードをまとめる。そして紫の布地の上で、片手で横向きに崩してみせた。すべてのタロットカードが均等な間隔で机に並び、領主は僅かに考えを巡らせた後に一枚を選びとった。

 ラヴェンナはそれを抜いて横方向へ捲る。現れたのは、一人の男の絵だった。これをなんと言うべきか黒魔女の口元が歪む。


「……“愚者”の逆位置です」

「良くは、なさそうですね」

「ええ。“愚者”のカードは自由を象徴しています。これが逆位置と言うことは、その悪い一面が現れている印です。無謀、無責任、無軌道……もっとも悪いことばかりでもありませんが」


 ラヴェンナがちらりと視線を上げる。彼は存外落ち着いている様子だった。


「大丈夫です、続けてください」

「奔放さは欠ける一方、為すべきことが分かっているという読み方もできます。身の回りを確かめる機会にしてもよいでしょう……」


 うんうんと頷く男。どうやら“幻想の大魔女”の答えに満足したようだ。

 彼は最後まで礼儀正しく振る舞っていた。挨拶の後に代価の銀貨を一枚置き、にっこりと微笑んでから酒場の客に紛れていった。


 まずは一人。息を整えていると、今度は冒険者の格好をした少女が慌てた様子で駆け込んでくる。さっきまで別の男と一緒にいたようで、彼がテーブルで他の人と話をする間にやってきたようだった。

 細身で華奢な印象だが、少しは苦労を積んできたらしい顔をしている。しかし黒魔女の前に急いで座ろうとするのは子供のようだ。


「あ、あの、大魔女様、占って欲しいことがあって、その、水晶でこっそり」

「待って待って、落ち着きなさい。……で、何を占って欲しいの」

「ええっと……」


 彼女は深呼吸の後、後ろで話している例の男をちらっと見やった。

 それからモジモジしてしまう。ラヴェンナは事態を察すると水晶を用意した。


「なるほどね。それで……今後うまくいくかどうか?」

「そんな、ところです。もう何年も一緒にやってるんですけど、そろそろ――」

「うん、だいたい分かったわ。じゃあさっそく水晶で見てみるわね」

「お願いします!」


 期待の眼差しを受けながら水晶へ両手をかざし、それっぽい風を装いながらも意識をその丸い表面へ集中させる。ラヴェンナの視界を色々な景色がかすめては靄のように消えていく……


「……うーん」

「どう、ですか」

「悪くはないわ。なるようになる、って感じ。あと……」

「あと?」


 少女がずいと身を乗り出してくる。


「あなた、よく“おっちょこちょい”って言われない?」

「え……はい!」

「あとそうね、“すぐに周りが見えなくなる”とか……」

「そ、そうですっ、なんで分かるんですか?」

「それはね」


 ラヴェンナがちらと遠くを見る。つられて彼女も振り向けばそこには、様子を確認しに来た例の男の姿があった。びっくりして大きな声で叫ぶ彼女に黒魔女は笑い、それから小声で「がんばりなさい」と囁いて、お代の銀貨を受け取った。




 ……そんな風に占い師の代行を務めていると夜も更け、酔い潰れる客がちらほら見え始めた。その頃に酒場の扉が開き、覚えのある白髪の女性が入ってくる。


 彼女は――カトリーナは、既にいくらかの酔いで目元を緩ませながら、ふらふらと足を前へ出してはラヴェンナの方までやって来る。そして、彼女の真正面に腰掛けてから、カウンターの方へ向かって「みず!」と叫んだ。


「……カトリーナ、もしかして別の店からハシゴしてきたの?」

「うん? うん、そうだ。なんでラヴェンナがいるんだ? なんで……」

「外の看板を見たでしょ、占いの仕事を頼まれたのよ」

「占い? うらない……いいこと思いついた、ラヴェンナのことを占う……」


 ひどい酔い具合だ!

 カトリーナは前屈みになると、机へ出しっぱなしにしていた水晶に顔を近付けてはじいっと覗き込んで……心地よさそうに目を閉じる。


「うーん、絶不調。弟子のことを構ってやらんと……地獄に落ちる!」

「カトリーナ、貴女どんだけ飲んできたのよ!」

「ううぅ、ひとりは嫌だ、こわいんだぁ」

「ああもう! 大丈夫だから少し休みなさい。私の部屋があるから……」


 ラヴェンナはこの潰れかけの女騎士の肩を担いで自分の部屋まで持っていく。そんな二人の後ろ姿を、メリュジーヌがニコニコと微笑んで見守っていた。

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