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第90話「大雪の日」

 心地よいまどろみの中に目覚めたラヴェンナは、暖炉にあたためられた屋内で目を閉じたまま、しばらくの間を何も考えずに過ごしていた。

 このまま二度寝もいいかと言う思いが芽生え始めた頃、勝手に家の中へ入っていた黒猫が布団の中でにゃあと鳴いた。適当に頭を撫でてご機嫌を取っていると今度は、周りが妙に静まりかえっていることに気付く。


(なんだか静かね?)

(朝の時間だからってのはあるけど、でも、あまりに音がしないわ)


 耳を澄ませて聞こえてくるのは、知らぬ間に潜り込んできた居候の立てる音と薪の弾ける音だけ。いつもは聞いても良いような、鳥の鳴き声や枯れ草の揺れる音がまるでしなかった。

 気になって厚手のカーテンを捲ってみる。すると……


「……わあっ」


 窓の外は、一面が真っ白な光景へと変わっていた。

 ウィンデルの景色は綺麗な雪の色に化粧され、未だ足跡一つないところが朝日を受けて銀色に輝いている。降った量も目を見張るもので、「薄らと乗った」ではなくしっかりとした層が見られるくらいだ。

 遠くの民家で犬が鳴いた。外で元気にはしゃぎ回っていた。


(こんなに降るのって久しぶりね)

(ロクサーヌの地元も……こんな感じだったわ)


 綺麗な景色に目が覚めたラヴェンナはベッドから出て着替え始める。そのうち魔女小屋の扉がノックされ、スープの鍋と共にロクサーヌが入ってくる。今日の彼女はどこか柔らかな笑みを浮かべているように見えた。


「おはようございます、ラヴェンナ様。いまご飯をお持ちします」

「いつも助かるわ。テーブルは綺麗にしておくわね」


 この季節になってから、こうして屋内で食べる朝食にも慣れたもの。いつものように準備を整え、二人でテーブルに着き、彼女が作ってくれた鶏肉とネギの塩スープをいただく。鶏の脂が溶け込んだ熱い汁は身体を内側から温めてくれた。

 対面に座っていた白魔女はスプーンで具を掬って運び、目を閉じたまま咀嚼の後に喉を鳴らし、それから何かを思い出したように顔をにわかに上げる。


「そういえばラヴェンナ様、今日は修道院から子供たちが来ますよ」

「ああ……遠足だったかしら?」

「アイリス様が年少組を連れて、馬車でいらっしゃるそうです。ちょうどよかったですね。外はこれだけ雪が降っているので、彼らも大喜びでしょう」


 窓の方をもう一度見れば、集落に住む子供たちが外に出ては雪を固めて遊んでいる様子が見える。その中に混ざるようにウシも道端で呑気に立っていた。今日は枯れ草も見つけづらい日だが、色々な所を点々として干し草を分けてもらっているに違いない。

 既に何度も馬車が往来しただろう道には綺麗な轍が残っていた。

 日は薄く掛かった雲の向こうでぼんやりと輝いている。明日は分からないが、少なくとも今日一日はこの積雪を享受することができそうだ。



◆ ◆ ◆



 それからしばらく経って、ラヴェンナが家の前に積もった雪をスコップで脇へ寄せている間に、ストーンヘイヴンの方角から走ってくる馬車を三台見つけた。それらはウィンデルの広場までやってくると止まり、やがて籠の中から修道女と子供たちが外へ出ると、彼らは真っ白な景色に口を開けて驚いていた。


「わあっ……!」

「雪だ!」

「すごい!」

「きれー!」


 わいわいと元気な声が上がる中、ラヴェンナは家前での作業を終えると小屋に戻って暖炉であたたまりながら休んだ。あのまま挨拶に赴けば、しばらく寒い外で立ち話になること請け合いだったからだ。


 しかし屋内に引っ込んで待っていたら、どうやら向こうから来たらしい。

 窓の外、屋根の下で垂れ下がる干し柿のカーテンに子供たちが集まっている。白い景色が広がる中、オレンジ色の果実が並ぶ光景はあまりにもよく目立ったのだろう。しかたなく窓越しに顔を出してみる。


『魔女様だ!』

『こんにちは!』

『これなに?』

「……」


 にこにことガラス越しに手を振った後、ラヴェンナは重い腰を上げて魔女小屋から出て、こっそり大きな欠伸をしてから彼らの下へ向かっていった。

 黒魔女の登場に子供たちは大喜びだ。両手でなだめながら応対していると遠くからアイリスが駆け寄ってくる。修道服の上からあたたかそうな外套を羽織っており、彼女の風貌と茶色の髪もいつになく目立って見えた。


「魔女様、おはようございます。すいません、こちらまで来てしまって」

「どうせヒマしてたからいいわよ。今日は遊びに来たの?」

「はい。たまには子供たちも外に出してあげないといけませんので」

「ねーねー、これなに?」

「カキ?」

「しわしわ」

「ああ、これは干し柿よ。木になってたものを取って、皮を剥いて、こんな風に乾かしておくの。そうしたら冬でも食べられるわ……」

「へぇー!」


 ラヴェンナが丁寧に解説すると、それを聞いた子供たちは目を輝かせながら、何かを期待するような瞳で彼女をじっと見つめ始める。アイリスが苦笑いを浮かべる横で、黒魔女は渋々ながらに甘味の一つをちぎり取った。


「仕方ないわね。ちょこっとだけよ。一人にあげるとみんなにもあげなきゃいけなくなるんだから……」

「わーい!」

「やったー!」

「ありがと!」


 親指と人差し指で干し柿を千切り、子供たち一人一人に渡していく。そうして皆でこのおやつを分け合って食べていると、それを見かねた他の子供たちも次々とやって来る。結局ラヴェンナは他に何個かのストックをもぎとり、彼らへ欠片を一個ずつ分け与えなければならなかった。


「まあ、たくさんあるからいいわよ。この暮らしをしていると貰い物も多くて、食べるものには困らないから……ほら、アイリスも」

「ああ、ありがとうございます。……んっ、こんなに甘くなるんですね!」


 そんなことをしているとロクサーヌも自分の家から出てきた。彼女がガーデンテーブルの雪を払ってあたたかい紅茶を並べると、その場所はたちまち喫茶店のような憩いの場へと変わっていった。




 ウィンデルの端っこ、まだ誰も足跡をつけていないような小麦畑の跡で、子供たちが思い思いに雪遊びを楽しんでいた。手のひらいっぱいに雪をこんもり乗せて喜んでいる子、両手でぎゅうぎゅうと押し固めて雪玉を作っている子、雪の中に飛び込んで冷たさを味わっている子、早速雪で何かを形作っている子……子供ながらに想像力をはたらかせ、それぞれが思い思いの楽しさを表現していた。


 ラヴェンナは外で紅茶を啜りながらその様子を眺めていた。

 寒い中で飲むのもまた一興だ。目を閉じて深呼吸をしていると……


「それーっ!」


 ぼふっ。

 悪戯好きの子供が投げた雪玉が、黒魔女の顔面を真っ白に染めた!


「……」

「わーっ、まっしろ!」

「だめだよっ、魔女様がおこっちゃうよ!」

「きゃはははは! あーはははは!」


 黒魔女は首をブンブンと横に振って雪を落とすと、まだ若干白みの残った顔で悪ガキ共を睨み付ける。その口元では、光を受けた歯がギラギラと輝いている!


「なるほどね……いいわ、付き合ってあげる。大人を怒らせたらどうなるかその身で思い知ると良いわ!」

「きゃーっ、魔女様がおこったー!」

「にげろー!」

「わぁーっ!」


 子供たちは蜘蛛の子を散らしたように逃げ出した!

 ラヴェンナは肩をいからせながら歩を進め、足元に積もっていた雪を掴んでは雑に丸めて投げ始める! 弓なりの軌道を描いたそれは子供たちへ飛んでいくと彼らは軽々とした身のこなしでそれを避けて、逆に魔女のことを挑発してみせると、次いで二個目三個目の玉が勢いと共に続いていった。

 平和だった集落はたちまち戦いの場となる。敵役を引き受けたラヴェンナは、律儀に己の手で雪を握っては子供たちへ投げつけていく。何人かは背中に当たって柔らかい雪へ転び、何人かは投げ返した玉でローブを白く染めていった。


「くっ、なかなかやるじゃないの……うん?」


 身を屈めた姿勢で雪を握り固めている時、ラヴェンナの視界の遠くに見慣れない白い壁が見えた。

 まるで墓石のような形だった。もっとよく確かめようと目を細めて焦点を合わせていると……その陰から片腕が現れ、手にしていた雪玉を黒魔女目がけてまっすぐに飛ばしてくる!


「なっ――!?」


 かなりの精度だ! 速度も申し分ない。

 咄嗟に身を転がしたラヴェンナが顔を上げる。例の雪壁の向こうを見やれば、そこから白い魔女帽子を被った女性がニコニコと笑顔で立ち上がる。


「良い動きですね、ラヴェンナ様。まだまだ現役のようです」

「ロクサーヌ!? 貴女が来るならこっちは、本気を出さないといけないわ!」

「いいですよ、私も混ぜてください。北国ノルドのやり方を教えてあげます」


 知らず知らずのうちに、ロクサーヌは庭の中にいくつもの雪壁を立てて障害物としていた。子供たちも事態を察知したのか、みんなでそれぞれの魔女を相手にする大戦争へ発展――ウィンデル集落の一角がなんとも賑やかな声で満ちた。

 子供たちは雪壁から魔女たちを狙う。投げる係と雪玉を作る係に分かれているのは誰が教えたわけでもなく、彼らが遊びの中で見つけ出した工夫だろう。その玉は二人の魔女へ飛んでいく……


「あっちに投げて!」

「それっ! わー、魔女が消えた! さっきまでいたのに!」

「ふふ、そっちは幻よ! それっ!」


 多勢に無勢に見えたが……ラヴェンナは「幻想の大魔女」に相応しい(そして大人げない)魔法を、ロクサーヌは長年の雪国暮らしで培った経験と技術で子供たちを逆に圧倒する。雪合戦という形ではあったが、ウィンデルの魔女たちと本気でやり合える機会に彼らは大はしゃぎのようだった。



◆ ◆ ◆



 激しい雪遊びが落ち着いた後は若干の屋内休憩を挟み、昼食と暖を取ってから穏やかな遊びへと耽る。ラヴェンナは女の子たちに囲まれながら両手いっぱいの雪を固め、可愛らしい雪うさぎの作り方を実践していた。


「最後は、こんな風に模様をつけて――できた」

「うさぎさんだ!」

「かわいい……」


 その一方で、男子たちは雪だるまを作ると、アイリスとロクサーヌが用意した木の枝を使って腕代わりにしてみせた。子供の背丈はある、なかなかの大きさだ。ガーデンテーブルの近くに立ったそれは冬だけのお客さんのようにも見えた。


「できた!」

「まあ、とっても立派ですね!」

「皆様もお上手です。とても綺麗なつくりですよ」

「やったー!」


 ラヴェンナも雪だるまの方を見ては穏やかな笑みを零し、雪うさぎ作りを再開しようと手元を見るが……先程まで作っていたはずの一体が何故か消えている。

 周りの女の子たちを見ても誰かが持っていったような気配は無い。

 気を取り直して二体目を作ってみると……今度は、後ろから腰の辺りを何かに小突かれたような気がした。振り返ってもそこには雪しかない。また視線を戻すと、さっきまでいたはずのものもどこかに消えてしまっている――


「?」


 三体目を作る。そして今度はほんのちょっとだけそっぽを向いて隙を見せた。すぐに元の場所を見ると……ラヴェンナの雪うさぎが顔を上げて今にもぴょこんと飛び跳ねそうになったままで硬直しているではないか!


「あ……」


 じっと見つめられた雪うさぎは観念したのか、その場でぴょこぴょこと元気に跳ね回り始める。すると先程消えた一体目と二体目も現れ、ラヴェンナの周りで円を描くように走り始める!


「ちょっと、もう、どういうことよ……!」

「あっ! うさぎさんが動いてる!」

「魔法だ!」

「すごーい!」


 ラヴェンナはきっと、雪うさぎを作る時、無意識のうちに魔力を込めてしまっていたのだろう。かつてぬいぐるみが仮初めの命を貰ったように、小さな雪の精たちはウィンデルの来客たちを喜ばせようとし始める……何匹かはアイリスたち修道女のもとへ向かったり、ロクサーヌの手の上へ飛び乗ったりしてみせた。

 皆がこの可愛らしい出会いで笑顔になっていた。子供たちは次々に自分だけの雪うさぎを作っては「この子も!」と黒魔女へ見せてくる。


「ああもう……まあ、いいわ。みんなが楽しそうなら」


 予想外の事態にはなったが……ラヴェンナは仕方なさそうに笑みを零す。

 せっかくの雪の日だ。こういう時こそ、楽しいことに目を向けるべきだろう。

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