年の瀬も年の瀬となり、まさに今日の夜に新年が迎えられるというところまで来ていた。冬真っ盛りの冷たく澄んだ空気の中でも、街角のそこかしこには屋台や焚き火台が出ており、人々の熱気も相まって暖かく過ごしやすい場所となっていた。大人たちの殆どは今日を安息日として、街のあちこちで集まっては穏やかなひとときを楽しみながら夜の到来を心待ちにしていた。
一方の子供たちはと言うと、広場に現れた「ミノタウロスくん」の着ぐるみに夢中になっている。ぬいぐるみを大きくした愛らしいシルエットにつぶらな瞳、丸々とした見た目は既にこの街の住人たちに広く受け入れられた様子で、広場に立つ「彼」の周りには人だかりができていた。
「かわいいー!」
「ぎゅってして!」
「中に誰がいるの!?」
「こらっ!」
わいわいと賑やかなのはそこだけではない。
すぐ近くの酒場の隅では、席に着いていたライラが羊皮紙とペンを持って対面の男女をじいっと見ていた。若い時に付き合ってから何年もの間、苦難を共にしてようやく落ち着いてきたような二人だった。
ライラは顔と身体の輪郭を頭に入れてからサラサラと手を動かして似顔絵の線を作っていく。特徴的な部分を若干強調しながら、穏やかな肖像を描き上げた。
「ざっとこんな感じ、といったところだな……お二方、これでどうですか」
「うおお……綺麗だ。君にそっくりだよ」
「良いわね! あなたによく似てるわよ」
「本当か? そうか、俺ってこんな顔してるのか――」
「幸せに描いてもらって、いいわねぇ。ありがとう、ライラさん!」
「いえいえ。じゃあ最後に少し手を加えて完成にしますね……」
二人の喜ぶ表情を見てから、ライラは似顔絵の周りに簡単な装飾とサインを施してから羊皮紙を渡す。二人は代価と引き換えにそれを受け取ると、嬉しそうな様子で去って行った。あとで額に入れて飾ろう、なんて言いながら……
一人になったライラは欠伸をすると、先程貰った銀貨を手のひらの上で転がしながら視線を上へやって考え事に耽る。そして近くで席を拭いていた店員の女性を見つけると手を上げて捕まえる。
「どうかしましたか?」
「羊肉の切り落としステーキと、ビール!」
「はい、かしこまりました……」
「食ったら寝て、夜になったら、また起きる……くくく」
ひと仕事を終えたライラは早めの晩酌を前に、待ちきれない思いで笑みを浮かべていた。今日はもうゆっくりだ。どこか暖かいところで昼寝をして、真夜中の年越しは皆と一緒に飲んで騒ごう……などと目論んでいた。
ところで、昼寝をしようと考えていたのはライラだけではない。
街の修道院では今、子供たちと修道女たちと共に「お昼寝」の時間を過ごしている真っ最中だった。暖炉であたためられた部屋に布団を敷き、そこで皆が寄り添い合うように並んで目を閉じている。まだ幼い子供は修道女にぴったりくっついて離れようとしない。
そんな彼らを起こさないように、アイリスが足音を殺しながら歩いては、奥の厨房に入っていった。そこでは、真夜中の年越しに食べる「特別なパイ」の生地が準備されている真っ最中。なんと、アレンの姿があった……
「アレン君、どうですか?」
「生地の仕込みはこれで終わりです。こんな感じで、よかったでしょうか」
「うふふ、よくできていますよ。でもごめんなさい、付き合わせてしまって」
「いいんです。僕も、将来のお仕事、考えなきゃだから……」
「私たちもそろそろ眠りましょうか。アレン君も手を洗ってください」
「はい」
小声でひそひそと会話する二人。修道院はいつも以上に静かだ。
なんだか特別なことをしているような気持ちにもなってくる。
「洗いました」
「アレン君、こっちが空いてます……」
皆の眠っている部屋に戻ってきた二人。アレンはアイリスに言われるがまま、ちょうどよいスペースを見つけてそこで横になった。隣でアイリスも転がって、二人で一枚の毛布を共有する形になる……
仕方の無いことではあるが、年頃の男の子にとっては思うところがない訳でもない。近くで薄く目を開けるアイリスにアレンは視線をつい逸らしがちで、そんな態度に彼女も微笑ましい様子で見守っていた。
「おやすみなさい、アレン君」
「……おやすみ、なさい」
毛布をかけ直され、その上からトントンと優しく指先で叩かれる。
アレンは徐々にアイリスの方へ寄っていき、最後は幼子のように目を閉じた。
◆ ◆ ◆
夕方頃、ウィンデル集落では、ラヴェンナの魔女小屋にロクサーヌがやってきていた。以前から寝泊まりしているマリーも合わせ、魔女三人で今晩を過ごす為の準備が進められている最中だ。
ラヴェンナはジャガイモ、ニンジン、タマネギといった根菜を剥いては、一口サイズに切ってからフライパンに転がしている。オリーブオイルとドライハーブに削りチーズを加え、塩こしょうで濃いめに味付けを施した皆の大好物だ。
「いい感じになってきたわ。マリー、フォカッチャの方はどう?」
「今ちぎった生地を伸ばしてるとこ! もうちょっとで終わりかな……なんだかロクサーヌさんのお鍋からも匂いがしてきてる……」
「簡単な豆のスープです。他にも色々ありますから、お腹に優しいものを……」
普段ならば夜ご飯を三人で食べておやすみだが、今日は何と言っても一年最後の日であり、新年を待ち望む大切な日である。年が明けるまでの時間は、やはり楽しく過ごさなくては意味が無い――
そんな浮かれた雰囲気に合わせてか、テーブルには完成した料理の皿がいくつか並ぶ。七面鳥、バターの載ったパンケーキ、リンゴジュース、ワイン等々……
「昔もこんな感じだったかなぁ。今もまだ、ワインは飲めないけど……」
「マリー様は、もう少し大人になってからですね」
「あとちょっとだから! 誕生日になったら、ママたちと一緒に飲むもん!」
「本当に、子供はすぐに大きくなるわねぇ……」
二人の魔女と、一人のまだ小さい魔女が厨房で明るく言葉を交わす。暖炉の傍では黒猫が丸くなっていた。窓の外ではイヌとウシが西日で赤黒くなっている。
日暮れ頃のストーンヘイヴンで、ひと仕事を終えたカトリーナが騎士団の本部から軽装姿で出てきた。腰に細身のレイピアを差していて、一応は街の警備という仕事が与えられていたものの、この時間にもなれば騎士たちも休日同然のようにゆっくりと寛いで過ごすのが慣例となっていた。
暗くなった街のあちこちでは、設置されたキャンプファイヤーの周りに人々が集まって暖を取りながら飲み交わしている。彼らの間を抜けた彼女は行きつけの酒場へ向かい、こんな日でもひっそりとやっている店の扉を開けた。
「メリュジーヌ、今日も開けてるのか」
「お客さんが来るかもしれないでしょう?」
「他には……いないようだが。別の店に行っているのか?」
「貴女が来てくれれば、それで十分だから。来るとは思っていたわ」
「……ああ。感謝する」
メリュジーヌの酒場は普段と違って、店員の姿もなければ灯っているランタンの数も絞られていた。カウンターと作業場が明るくなっているだけで、あとは、暖を取るための薪ストーブ缶が赤く光っているだけだ。
しかし、これはこれで悪くなかった。
今夜の街は眩しすぎる。外の景色を遠目に、二人で静かに飲むのも良い。
「カトリーナ、今年はどうだった?」
「……本当に、いい年だった。来年もこんな風に過ごしたい」
「よかったわね。魔女様とはどう?」
「明日、夜が明けたら挨拶に行く。春のことも考えないといけない……」
「春? 何か予定でもあるの?」
「……」
そこまで話して、カトリーナは現状をどう説明するか迷った。彼女にはまだ、自分が「魔女の力」に目覚めたことを伝えていなかったのだ。
テーブル台の陰で手のひらを返し、じっと見つめる。瞳が遠くの火で揺れる。
「……あるんだ。とっても、大事な予定が」
「でも、悪いことではなさそうね。今のカトリーナはいい顔をしているもの」
「そうか?」
「ふふ、そうよ。今度鏡を見てみるといいわ……」
メリュジーヌは慣れた様子でジョッキビールを用意してカトリーナへ出した。
見慣れた黄金色と綺麗な白のコントラストだ。今年はこれにたくさんお世話になった。そしてきっと明日も、明後日も、来年も……
◆ ◆ ◆
夜も更けていよいよと言う頃。
ウィンデルの魔女小屋ではマリーが嬉しそうな声と共に両腕を上げていた。
「やったー! また財宝カードもらいましたー! 『ドラゴンの鱗』です!」
床に敷いたシートの上。三人が座りながらプレイしているのは、春のいつ頃かセレスティアとお試しした「冒険者成り上がりゲーム」だ。三人の駒はそれぞれ終盤まで到達しており、勝負自体もなかなか拮抗している。
ゲーム内で手に入れた金貨の数はほぼ同じ。あとはここから、イベントマスでどのような逆転が起きるかだったが……
「ツイてるわねぇ。さっきも財宝ひとつ貰っていたでしょ」
「ふふーん、このままいけば私が勝っちゃうかも……!」
「次は私の番ですね……まあ、意地悪マスに止まってしまいました。では、一番調子の良いマリー様から、何かをいただきましょうか……」
「ギャーッ! やめてください、ロクサーヌさーん!」
テーブルの上に置かれた料理は半分以上が平らげられ、あとは小腹が空いた時に食べる分が皿に残されるのみだ。ワインとリンゴジュースの瓶もなかなか減ってきた頃で、塩こしょうとハーブが脂に溶けたところへフォカッチャを浸して、それをパクリと頬張りながらゲームに興じる。棚の上では、ミノタウロスくんとウィスプくんの二匹がぬいぐるみ同士で和気藹々とした時間を過ごす。暖炉の傍では、黒猫があたたまりながら丸くなって心地よい眠りに浸っていた。
そんな風に過ごしていると時間の流れは早いものだ。
窓の外からドン、と空砲の音が聞こえてくる。マリーが顔を上げて、窓際まで急いで駆け寄った。ラヴェンナとロクサーヌも後に続く。
「わあっ、来た!」
皆が見守る先――
遠いストーンヘイヴンの上空で、大きな一輪の花火が打ち上がった。
それは新しい年の始まりを告げる光だった。
街では人々が歓声を上げ、キャンプファイヤーで照らされた周りでは肩を組んで踊る姿も見られた。深夜にもかかわらず音楽が鳴り響き、実にめでたい空気の中で二発目、三発目と花火が上がっていく。
「おっ! でっかい花火だなぁ!」
街の一角の酒場、すっかり頬を赤くしていたライラが花火に気付くと、すぐに羊皮紙を取ってこの景色を残し始めた。酔っているとは思えない程の精巧さで、彼女の瞳が捉えた美しい光景が描かれていく……
「んむ……」
図書館では、多くの人々が暖を取るために集まりながらも、やはり新年の瞬間は拍手でいっぱいになったのだった。真ん中で眠っている本棚ゴーレムも、この時はまんざらでもなさそうで、窓から漏れて伝わる光をその身に受け続けた。
「姉さん、ほら、花火が打ち上がったわよ」
「わぁぁあぁい、今年もよろしく、リリィ……」
暖炉の火が絶やされることのない種苗店では、窓際でアルラウネの姉妹がぴたりとくっついて外の景色を見ている。姉のグロリアは今にも眠ってしまいそうな様子だが、妹のリリィに寄りかかりながら重いまぶたを開き、幻想的な空の景色に浸り続けていた。
「アリア! ほら、始まったわ~!」
「まあ……」
「今年もよろしくね、アリア」
「はい。今年も、会長様のご期待へ添えるようにします」
手芸用品店の店の奥では、アリアが、セレスティアと共に窓の隙間から花火を見上げていた。その光は、作業場にあるぬいぐるみたちを色とりどりに照らしていった。彼らに色がつくと、まるで表情が与えられたようににっこりと微笑んでいるように見える……
修道院の建物では、子供たちが花火の光を見上げながら、遠くから聞こえてくる賑やかな音色に身体を揺らして踊っていた。アイリスたちが特別なミートパイを時間に合わせて焼き上げ、それらが子供たちへと配られていく。
「はい、皆さん、今年もよろしくお願いしますね。みんなが健やかで、すくすく成長することを、私たちは心から願っていますからね……」
「「「はーい!」」」
幼い子たちには、やはり眠気には勝てず、修道女の腕の中で眠った者も何名か現れていた。アイリスはミートパイを配り終えた後、窓際に立つアレンのもとへ向かって彼に焼きたてを一つ渡してから頭をそっと撫でる。
少年は照れたように身体を揺らすも……やがて彼女の目を見ると、これからの目標などについてぽつぽつと語り始める。花火が打ち上がる。彼の決意は、二人のみが知るものとなる――いまのところは。
酒場では、メリュジーヌとカトリーナがそれぞれの飲み物のカップを当てては乾杯の音を鳴らしていた。窓から花火を遠目に見ながら、二人はただ無言で酒を呷り続けていた。
街の喧騒は実に賑やかで、それを聞いているだけでも飽きが来ないものだ。
カトリーナはそれに耳を澄ませながら目を閉じ、心地よさに身を任せる……
ウィンデルの魔女小屋。遠くで小さく打ち上がる花火が見え始めた後、突如、集落の広場から低く響く音が聞こえた。反対側の窓に来た三人が様子を窺うと、なんとそこでも大きな花火が打ち上げられたのだった。ミノタウロスくんとウィスプくんも、それぞれの主の肩に乗っかって外の景色を見ようとしている。
「わっ! 昔はこんなの無かったよね!」
「そうね。ここでも花火を上げるようになったのは、マリーが王都に行った後だったかしら」
「迫力がありますね。お腹にズドン、って来ます……!」
見慣れた建物を下に咲き乱れる美しい光の数々。
マリーは大興奮だ。身体をうずうずさせた後、ラヴェンナとロクサーヌの身体を両腕でめいっぱいに抱き寄せ、ぴったりとくっつきながら大きな声で叫ぶ!
「ママ! ロクサーヌさん!」
「――ハッピーニューイヤー!」