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第96話「新年祭⑤:一年の計は……」

 ……どこかからニワトリの鳴き声が聞こえてくる冬の朝。太陽の光が降り注ぐウィンデルの道ばたでウシが藁の塊をモグモグ食べている。どうやら昨日、住人の誰かが特別に譲ってくれたもののようだ。


 新年の瞬間を迎えようと遅くまで騒いでいた人たちも、朝が来ると普段の通りに一度目を覚ましては煌びやかな陽光を浴びに行く。何度も何度も繰り返される運動も、この時ばかりは生涯に一度しかない特別な瞬間に思えてくる。

 集落の人々が徐々に活動を始める中、魔女小屋のベッドでは、マリーが幸せな表情のままで未だ眠りこけていた。彼女の両隣には「ミノタウロスくん」と「ウィスプくん」のぬいぐるみが並び、その外側ではラヴェンナとロクサーヌも横になっている。


「んん……」


 白くモコモコとした寝間着に包まれていたマリーが、横からラヴェンナの腕で優しく包み込まれた。そちらの方が一足先に起きていたらしい。外の天気はよく晴れ渡って風の音もない。魔女小屋に差す黄金色の朝日が照らす、やけに澄んだ新年の初日を、ラヴェンナは未だ言葉もなしに横たわって休んでいた。

 暖炉では程よい塩梅の火が燃え続けて、中を過ごしやすく保ってくれている。もう一度眠ってしまいそうな清々しい朝を独り占めしている中、次に瞼を開いたのはロクサーヌだった。間にマリーとぬいぐるみを挟み、大人の魔女二人は欠伸をそれぞれ上げて(最初にロクサーヌがした後に、ラヴェンナがして)、年始の最初の会話を紡ぎ始める。


「ラヴェンナ様、おはようございます」

「おはよう、ロクサーヌ」

「眠れましたか?」

「あんまり眠れてないかもね。この子はぐっすりみたいだけど……」


 昨晩の少女は終始大興奮だった。特製の料理に舌鼓を打ち、ボードゲームではギリギリのところで一番のまま逃げ切り、年越しの花火を三人で見上げた後は、まるで糸が切れた吊り人形のように眠ってしまったのだ。

 その様子を思い出しながら、ラヴェンナは手を伸ばしてマリーの頭を撫でる。サラサラの茶髪が指の間をすり抜けていくのが心地よい。


「んん……?」


 穏やかな朝のベッドで、最後の寝坊助が目を覚ました。普段パン屋に勤めている彼女にとっては、まるで夢のような景色だった。窓からの光が左右にいる二人の魔女を照らし、大好きな人が頭を撫でながら見守ってくれていたのだ。


「ママ……おはよう」

「おはよう、マリー。よく眠れた?」

「うん。まだ、ちょっと眠いかも……」

「でもそろそろ起きないとダメよ。今日は、お昼にカトリーナが来るから」

「ふぇ……わかった……」


 眠い目をこすりながらマリーは起き上がる。ラヴェンナたちもベッドから出て身体を伸ばし、各々の普段着に着替え始めた。




 まだ去年の食卓がテーブルにあるため、朝ご飯はその残りとなる。皿に残った根菜の炒め物とフォカッチャを平らげながら、ロクサーヌの作った豆のスープでお腹を落ち着かせる。温め直したスープは寝起きの身体にも効いた。

 椅子に座っていた三人は、スプーンを運びながら平和な外の景色を見る。街の方ではきっと、今日も新年を祝う催しが開かれているに違いない。


「お昼はカトリーナさんが来るんでしたよね!」

「そうよ。前にも会ったことあるでしょ」

「はい! でもなんででしたっけ?」

「カトリーナ様はとっても大事なお話でいらっしゃいますよ。そうですね、私は菓子の準備でも始めておきましょうか……」

「あら、いいわね。よろしくロクサーヌ」


 普段通りの凜とした立ち姿で、白魔女は隣にある自分の家まで帰っていった。マリーは慌てて自分のスープを飲む。それからテーブルを綺麗にし始めた頃に、扉が軽いノックの音を立てた。

 ラヴェンナが出てみればそこには、鎧を纏った白髪の女騎士が立っていた。

 この姿でと言うことは、今日は一応「騎士団の用事」でやってきたのだ――


「新年おめでとう、ラヴェンナ。騎士団を代表して、年始の挨拶に来た」

「おめでとう、カトリーナ。入っていいわよ」

「では」

「その紙袋は?」

「ああ……まずは入ってからだな」


 カトリーナは中に入ると扉をしっかりと閉めて、マリーの用意していた席へと深く腰掛ける。窓からの光が鎧に反射して、煌びやかな光沢を浮き上がらせた。

 しかしながらこのカトリーナは全ての振る舞いが様になっている――まだ人生経験の少ないマリーはラヴェンナの横に座ったまま、自分の後輩魔女になり得る人物を前に背筋を伸ばしていた。今日は彼女が「仕事着」姿だからなおさらだ。


「カトリーナ、そっちはどんな夜だったの?」

「いつもと変わらず、賑やかな年越しだった。冬でも外にはずっと人の姿があって、色々な声が聞こえてくる。同じ店で飲んでいても飽きなかった……」

「わあぁ、いいですね。オトナの過ごし方って感じで!」

「店って、もしかしてあそこのお店?」

「ん、まあ……そうだな。二人は、どんな風に過ごしたんだ?」

「えーっとですね――」


 それからラヴェンナとマリーは昨晩の出来事を伝えた。ロクサーヌと合わせて三人で料理を作り、それをダラダラ食べながら飲み物もいただき、ボードゲームで年明けまでを楽しんでいた……カトリーナは若干羨ましそうに眉を寄せる。


「そういう過ごし方もあるのか……」

「来年はカトリーナさんも一緒に迎えましょうよ!」

「気が早すぎるわよ、マリー! でも、それもいいでしょうね」

「そうだ、そう言えば」


 カトリーナは思い出したように紙袋を取ると、その中から緑色のぬいぐるみを取り出した。「ゴブリンくん」……ラヴェンナがプレゼントしたものだ。マリーは目新しい人形を前にさっそく目を輝かせる。


「わあ!」

「せっかくだからな、今日はも連れてきた」

「ギュッてしても良いですか?」

「いいぞ。ほら……」

「わーい!」


 マリーはさっそく「ミノタウロスくん」も連れてくると、彼らとベッドに腰掛けながら両手で操って人形遊びを始めた。その間に、ラヴェンナとカトリーナは大事な話題へと移る。

 すると丁度そこへロクサーヌがやってきて、全員分の紅茶とパウンドケーキを切って出した。それを頂きながらは言葉を交わす。ケーキはバターと砂糖だけのシンプルな見た目で、口当たりも良く、優しい味をしていた。


「それで、カトリーナ……“ワルプルギスの夜”についての話ね?」


 ラヴェンナは本題を切り出した。カトリーナもそれに頷いて返す。


「ああ。詳しく話を聞かせて欲しい」

「いいわよ。ワルプルギスの夜は、私たち魔女にとって最も大切な行事の一つ。この辺りだと、年で一番のお祭りになるかしらね。毎年、春が本格的にやってくる前の時期に、大陸全土の魔女が一堂に会する……そういうお祭り」


 魔物や魔女といった存在が人々の暮らしに溶け込んでいるとは言え、普段からシームレスにつながりを持つ者は決して多くはない。人が似た者同士で集まってコミュニティを形成するように、魔女たちも同族で固まって過ごした方が色々と都合が良い。

 魔法を使える者とそうでない者の間では価値観があまりに違いすぎる。能力も時間感覚も……何より、同じ境遇で生きている“仲間”の数も。


「大陸は広いから、中には、魔女のような異端を迫害することで安心を得ようとする人たちもいるわ。そういう場所の近くに住む魔女はとにかく人前に出ない。だけどそんな彼女たちでさえも、ワルプルギスの夜になれば、色々なところから現れる……そこで人脈を作ったり、研究成果を発表したり、商売したりね」

「去年はどうだったんだ?」

「それはもう、沢山の魔女がやって来たわ……ブラックマーケットが特に賑わっていたわね。珍しい魔物の卵だったり、遠い地方の香辛料だったり、特定の魔女しか作れない魔法の杖だったり……」

「おいしいご飯もありました! 巨大ヤモリのしっぽ焼き!」

「はいはい、そうだったわね……」

「?」


 ラヴェンナとマリーからそれぞれ話を聞きながら、カトリーナは口元に片手を当ててじっと考え込み、その様子を思い浮かべる……


「いかにも魔女らしい催しだな。そんなものが行われていたとは」

「魔女以外で知る人は少ないから。でも、一つや二つは気に入る物があるわよ。それと……集まりに参加するなら、貴女はいよいよ“魔女”として扱われるわね」

「そう、だな……」


 カトリーナの口数が分かりやすく減った。ラヴェンナとマリー、ロクサーヌが見守るような目に変わって、未だ揺らぎ続ける女騎士の言葉を待っていた。


「……ラヴェンナ。魔女とは、何だと思う?」


 拒絶しているわけではない。だが、諸手を挙げて受け入れようという心意気でもない。それでいいのか、何か決定的な出来事となってしまうのか、胸に小さく残った不安が後ろ髪を引いてくるような思いにさせている。

 ラヴェンナは腕を組むと、しばらく考えた。座っていた揺れ椅子が前後に振れて、緩やかなカーブへ曲がった木脚が床に軋んで、わずかに音を立てた。


「……よ」

「生き方――」

「魔女と言うのは、手のひらに炎を浮かべられる人でもなければ、箒で空を飛べる人でもない。それも条件には入るかもしれないけれどね……でも一番大切なのは、自分で、自分の人生を歩むと決めること。魔女として、自らの一切合切に、覚悟と責任を持って臨むことよ」


 カトリーナはその言葉を聞くと、目を閉じて、じっと考えを巡らせ始めた。

 必要な時間だ。ここにいる他の皆は、それをよく知っていた。


「……分かった。であれば私は、覚悟を決める」

「いいのね?」

「構わない。私は……」


 迷っていたカトリーナの目が上を向き、ラヴェンナを真正面から捉えた。


「魔女として。貴女の傍に……いたいんだ」



◆ ◆ ◆



 来客が去った後、ラヴェンナは揺れ椅子に身体を預けて窓の外を眺めながら、ロクサーヌの焼いたパウンドケーキの残りをフォークで口にしていた。マリーがニコニコと微笑みながら先程のやりとりについて触れる。


「これで、カトリーナさんも魔女ってことですよね!」

「もし“魔女の誕生日”があるとしたら……彼女の場合はワルプルギスに揃えるのが良いかしらね。名前はもう決まっているから、あとは皆の前で宣言するだけ」

「カトリーナ様は良い魔女になりますよ。よかったですね、魔女仲間が増えて」

「お互い様よ。人生は長いし、これから、どこまでも続いていくもの……」


 新年最初の日は快晴に恵まれていた。

 実にこのあたりらしい天気模様だ。風もなく、冬であるのに過ごしやすい。




 ……一方で、鎧姿のカトリーナは帰路につきながら、ウィンデル周辺の冬景色を横に歩き続けていた。わずかに白い霜のかかった耕作地帯は、他の季節であれば緑色や黄金色に染まって賑やかな装いを見せてくれる一方、冬になるとどうしてもうら寂しい想いを見る者へ抱かせる。

 しかし、カトリーナの口元は哀愁に沈むことなく、僅かに上がっていた。

 両の瞳はしっかりと未来を見据えている。彼女の口が動いた。誰もいない中で独り言を零しながら穏やかな幸福感と共に歩いて行く。


「“カトリーナ・ホワイトウィンド”……うん、悪くない……」


 自分の名前を言ったはずなのに、その声は気恥ずかしさからか揺れていた。

 まだ冬真っ只中だが――魔女たちにとっての春は、意外とすぐに迫ってくる。

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