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第十七話:化生、或いはあやかし

 村人に囲まれて狼狽しているこまねを守るように立ちながら、僕は眼光炯々と彼らを見据える。いきなり現れては彼女に罵声を浴びせて、いったいどんな要件だというのだろうか。


 ひとまずリーダー格らしき中年の男性と視線を合わせながら、警戒は解かずに口を開く。


「……見ず知らずの少女をいきなり取り囲むなど、やけに活気がいいですね」


「活気がいいも何もない! さては貴様も同罪か? 揃えて警察に引き渡すぞ!」


「あいにくですが、我々は私立探偵のようなものです。何があったのです?」


「身内が襲われたんだよ、二足歩行をしている猫又に! お前だろう小娘! えぇ!?」


 ──二足歩行の猫又? 少なくとも人間に変化のできるあやかし、だろうか。しかし、基本的には善良なあやかしが人に害を与えるなど聞いたことがない。もはや一種の怪異だ。


 少なからず情報量に混乱している頭をなんとか落ち着けながら、不安そうな顔つきで着物の裾を掴んでくる彼女の手を握り返す。この件に関しては冷静に説明すれば大丈夫だ。まずは誤解を解いたのち、自分たちが怪異の解決に協力すればいいだけの話なのだから。


「……お怒りのところ申し訳ないですが、こちらの切符をご確認ください。僕たちは今日の朝に鉄道に乗って昼に到着したんです。昨夜は東京の書店街にいました。事実無根です」


 懐から出した切符をよく見えるように掲げる。面々は一気に気まずそうな表情になると、申し訳なさそうにおずおずとお辞儀をしてきた。こまねはそれすら慌てて顔を上げさせているのだから、本当に人が良いというかなんというか……一周回って呆れてしまう。


「それで、あの……こまねと同じ変化した猫又がいるって、本当ですか……?」


「あ、あぁ……。嬢ちゃんと同じだ。耳があって、尾が分かれとったと聞いた」


「聞いた? 貴方がたが被害者ではないんですか。直接見たとか、そういうのでは?」


「いや、見たのは俺のカミさんだ。昨夜、庭の納屋に行った時に背後から襲われた」


 そう言って、彼は腕を大きく振りかぶった動作をする。悩ましげに首を傾げているこまねに視線を向けると、何も言わないまま頭に疑問符を浮かべていた。それからしばし考えて、


「……あの、実はこまねたち、化生退治や怪異の解決を専門にしているんですっ。さっき言った私立探偵というのも、あながち間違いではないです。なので、もしよろしければ──」


「──そうですね。個人的にもこの件は気になる部分が多いので、ぜひ手掛けさせていただけませんか。これを警察に頼るとなると、またややこしい案件になりそうなのでね」


 彼らがやや困惑しながらも首を縦に振ったのは、わずかに数秒後のことだった。



 出張の際、現地の人々に宿を用意してもらうのはもはや定番らしい。今回はちょうど近くにある駅前旅館を予約してもらいつつ、僕とこまねは怪異の被害者だという婦人に話を聞くことにした。教えてもらった家へと向かいながら、周囲の風景をのんびりと眺め歩く。


「しかし、ここものどかなところだね。用水路が流れているのも悪くない」


「……雰囲気が懐かしいです。このあたりがこまねの故郷なので、落ち着きます」


「のどかな場所で作家業をやっていたいよ。欲を言うなら家事はこまねに任せきり」


「えへへ……そう言っていただけて嬉しいです。そういう日が来るといいですね」


 照れくさそうに笑う彼女の横顔が見れて、やはり少し、安心できた。上辺だけでも良いからこまねには笑っていてほしい──そう思ってしまうのは、きっと間違いなのだろう。それでもどうか、と思わずにはいられなかった。優しい嘘であるならば、騙されてもいい。


「……あ、ここですかね」


 彼女が漏らした声でふと我に返る。視線の先に目をやると、先程の男性と髪を結った婦人が民家の玄関前に立っていた。軽く挨拶をしながら近付くや否や、さっそく裏手の庭に通される。付近と比べてもそこそこ大きな土地らしく、恐らくは地主などの有力者なのだろう。


 邸宅のすぐ隣に建てられた納屋の前で彼らは立ち止まると、入口を指さして告げた。


「ここよ、あたしが猫又に襲われたのは。ちょうどその女の子みたいな姿なの」


「こまねみたい……。人間さんに変化してる、ってことですよね?」


「えぇ、見たもの。耳があって、背丈はあたしほどで、髪も、きっと尻尾もね」


 身振り手振りを加えながら話す婦人に、こまねはやや釈然としない表情で頷いていた。それを訝しんでいるのが伝わったのか、彼女は目線のぶんだけ僕を見上げて物憂げに言う。


「えっと、先生……こまねが懸念していることが一つあって。この付近の山林がこまねの故郷だとお話しましたよね? 今回の件、もしかしたら……同族による危害の可能性も……」


「……正直あり得る話だけどね。でもそれなら、あやかしが人間を襲うかい? 化生ならまだしも、人間に変化して人間とほぼ同等の知性や理性を持っているんだ。それなのに?」


 煮えきらない表情で頷きながら、「これから調査していきましょう」とだけ彼女は呟く。改めて婦人たちに視線を向けて、「いま得ている情報はそれだけですか?」と訊いた。


「俺もカミさんも分かったのはそれだけだ。あとは……背中に軽い搔き傷ができたが。ほれ」


「ふむ……搔き傷、ねぇ……。少しだけいいですか。拝見させていただきますね」


「あっ、こまねも見たいので、お母さん少しだけしゃがんでくださいっ」


「あら、お母さんだってよアンタ。アンタもたまにはお母さんって呼びゃいいのよさ」


 気を良くした婦人にみんなで笑いながら、傷を受けたという問題の箇所を見せてもらう。確かに首筋から背中のあたりに搔き傷ができていた──し、これが明確に彼らの言う猫又のしわざだと分かる証拠もあった。……邪気が残っている。傷跡にも、この地面にも。


「……感じるけど、あやかしって邪気は残らないよね」


「そう、ですね。まだ変化が未熟なのかもしれません」


「山に棲む猫又は動物と同じ、とはいえ化生にもなるんでしたっけ」


「……環境次第かなと。本人の精神状態だと思います。昔のこまねみたいに」


 なるほどね、と呟いて傷口から視線を戻す。化生の類が起こした傷害事件であることは間違いないが、被害者が言うには、それは化生ではなく人間の姿をしたあやかしであるらしい。あまつさえ、人間に害を及ぼさないはずのあやかしが、どうしてこのような凶行を起こしたのか──。まずはそこの疑問を解消しないことには解決の目処も立たないだろう。


「兄ちゃん、どうだ? 情報は少ねぇが何か分かるか」


「化生かあやかしによる傷害事件、というのは確定です。どちらかは判然としませんが」


「このあたりに、こまねみたいなあやかしっていらっしゃいますか?」


「うんにゃ、いないいない。たまに化生が出たって話は聞くけど、それっきりよ」


 そうですか……と彼女は考え込むと、そのまま黙りこくってしまった。なにやら思案に暮れているのか、ときおり納得がいかなそうに首を傾げている。そんなこまねを横に置いて、僕のほうでもある程度の情報は把握しておくため、軽い聴取と銘打って質問をした。


「念のためにお聞きしますが、家族構成などはいかほどです?」


「家にはあたしとお父さんだけね。子供は街のほうへ行ってるから」


「お二人のお仕事は何を? あやかしと関わるようなことは……」


「普通の商売人だ、駅前に店を構えとる。あやかしは……もともと見ねぇからなぁ」


「恨まれるようなことはあたし何もしてないからね。運が悪かったのかしらん……」


 困ったように笑う婦人を見ながら、その可能性もなくはないね、と思ってしまう。色々と奇妙な一件だ。正直なところ、事故だと処理されてもおかしくないくらい軽微な内容なのだから。深手を負ったとか殺されたという話ではないし、確証に至るまでの証拠も薄すぎる。


 どうしたものかと空を仰いだ瞬間、控えめな少女の声が隣から聞こえてきた。


「えっと……こまねから質問、いいですか? 飼い猫っているんですか?」


「飼い猫ったぁ……いるにはいるが、ありゃあ他の家の猫が遊びに来るくらいだなぁ」


「三毛が週に何回か来るのよ、餌を目当てにね。それで座敷に上がって寝て帰ってくの」


「他のお家ってことは、その猫ちゃんの年齢までは分からない、んですよね……?」


「分からんなぁ……。そもそも猫又なら尾が分かれとるはずだろ、嬢ちゃんみたいに」


「……あ、言いたいことを先読みされてしまいました。でも、それもそうですね」


 わざとらしく頬を搔きながら、こまねは気恥ずかしさを取り繕うように笑う。それから一言二言くらい追加で話をすると、いったん区切りがついたのか僕に視線を向けた。


「ひとまず、いま知りたいことはこのくらいですっ。詳しいことは明日以降でしょうか?」


「そうだね。情報はこのまま持ち帰って、また改めて考え直そう。方針も含めて」


「……ということですので、こまねたちはいったん失礼します。何かありましたら宿へ」


「はいよ。調べてくれるのは嬉しいけど、あまり無理はしないでちょうだいね」


「えへへ……ありがとうございます、お母さんっ。それでは、また後日」


 あらあら、と嬉しそうな婦人と苦笑している旦那に会釈をして、僕たちはそのまま民家をあとにする。駅の方へ戻る道の途中で野良らしき犬と猫が寝転がっていた。のどかなものだ。


「柴犬と三毛猫、ですね……。先程のお宅に来ているのがこの子だったりするんでしょうか」


「確かに同じ三毛猫だけどね。たくさんいるでしょう、三毛猫なんて」


「うーん……。先生、ずっとこの子に張り付いて尾行とかするのはどうでしょうか?」


「嫌だよ、面倒くさい。それなら宿で休みながら続報を待っているほうが僕は好きだね」


「冗談ですよ、冗談。……まぁ、手がかりが薄くて滅入ってしまうのは分かりますが」


 じゃれ合っている二匹を横目に歩を進める。恐らく僕たちが聴取をしている間に、宿のほうには話をつけてもらっているだろう。こうなれば、やることは前回とほとんど同じだ。


「……調査を始めるなら夜、かな。化生の動きも活発になるからね」


「またまたそう言って。堂主と同じですよっ。どうせお酒とか飲んじゃうんですよ」


「そうなったら君が止めておくれよ。僕だってまた二日酔いにはなりたくない」


 そう言うと彼女は少しだけむすっとした顔をして、けれど吹き出すように笑みをこぼした。何を笑っているのだろうか、と訝しむ僕を見ながら、こまねは面白そうに告げる。


「先生、こまねがいないとお酒が自制できないの、中毒みたいで良くないですよ?」


「……そんなことはない。単に頼れそうだから頼っているだけの話だよ」


 別にご機嫌を取っているわけではない。ただ、こういう話をすると、彼女が少し楽しそうにするから──数日前のあの態度はもう見たくないから──言ってみようと思っただけだ。

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