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第68話 まぐろといくらと

「お待たせしましたー。こちらまぐろまみれ丼といくら丼、タコの唐揚げになります!」


「ありがとうございます」


「ありがとうございますーっ!!」


 私たちの言葉に上品な微笑みを返して。店員さんは去っていく。


 いくつもの半個室が並ぶ通路を一番奥へと進んだ先。端っこの端っこに案内され、注文を済ませることおよそ十分の出来事だった。


「うお、すっげ。いくらが山盛りだ」


「ふふっ、私の方も凄いよ〜? 見てこれ! まぐろ”まみれ”なんて強気のネーミングに負けない盛り具合!!」


 目の前に現れた海の宝石に、私たちは歓喜した。


 器は少し小さめながらもそれをはみ出して今にも溢れそうなくらいイクラがふんだんに使われたいくら丼に、通常のまぐろ丼に少し値段をプラスすることで完成されたチョモランマのようなまぐろまみれ丼。そして、興味本位で頼んでみたたこの唐揚げ。


 どれもこれもたまらなく美味しそうで……。二人して、無意識に喉が鳴ってしまっていた。


「ねねっ、早く食べよ!」


「だな。ほい、お箸」


「ありがと〜!」


 雨宮から机に備え付けられていた割り箸を一膳受け取り、割る。


 そして二人で目配せし、タイミングを取るようにして。「いただきます」を唱えた。


「んん〜〜っ!!」


 そしてそして、肉厚ぷりぷりのまぐろを一口。


 刹那、口の中に広がったのは海鮮の優しい風味と、少しだけかけておいた醤油の仄かな酸味。


 何度か咀嚼すると、まるで高級店で焼肉を食べた時みたいに簡単に下の上で蕩けて……気づいた時にはもう、二口目を口に含んでしまっていた。


 こういう時に食レポみたいな語彙の感想が上手く浮かばないのは悔しいけれど、とにかく。


 ーーーーめちゃくちゃ美味しい。


「んぅまぁぁ……♡」


「はは。バーベキューの時も思ったけど、美味そうに食うなぁ」


「らって本当に美味ひいんらもん!」


「ま、気持ちはよく分かる」


 そう言う雨宮も、私と同様。一見落ち着いた様子を見せながらも、いくらを口に運ぶたびに小さく悶絶していた。


 それほどまでに、ここの海鮮はレベルが異常に高いのだ。


 外の造りを見た時も思ったけど、もしかして昔から続けてる伝統のあるお店だったりするのだろうか。私の検索能力とあの限られた時間じゃ、近くに「はなみ」っていう名前の美味しそうな海鮮丼屋さんがあるらしいってことしか分からなかったから。家に帰ったら頑張ってこっそり調べ直してみよう。


「えへへ、唐揚げもいただき〜♪」


「中山、レモンは?」


「いらな〜い!」


「……ここでもちゃんと真逆なのな」


 あれ、もしかして雨宮はレモンかける派?


 相変わらず、そういうところは合わないらしい。ちなみに私は何もかけないか、かけるとしてもマヨネーズだ。どうせそのことを告げたら「子供っぽい」とか言われるんだろうなぁ。


 だって仕方ないじゃん。子供舌なんだもん。レモンなんてかけたら酸っぱくてたまらない。


 しかし、だ。


 私たちは何も喧嘩したいわけじゃない。バーベキューの時はどちらかしか叶えられない可能性があったから揉めたけど、今回は違う。


「じゃあ俺はレモンかけたいから取り皿に自分の分移すわ。中山はそのままその器使っていいぞ」


「お、分かってるじゃん。流石の雨宮も勝手に全部かけたりしないんだねぇ」


「当たり前だろ? 俺をなんだと思ってんだか」


「ごめんってぇ」


 雨宮は謝る私に「まあいいけど」と呟きながら。二人で割り勘する予定で頼んだ唐揚げをしっかり個数で半分取り分け、自分の分にだけたっぷりとレモンを絞っていた。


 願わくは、この行動が落ち込んで大人しくなったからじゃなく、平常時でも同じにしてくれることを祈るばかりだ。喧嘩しなくていいならそれに越したことは無いしね。


「んっ! 雨宮雨宮! この唐揚げもめちゃくちゃ美味しいよ!? ちゃんとタコさんの感じする!!」


「マジか。どれどれ……」


 全く。初めはどうなることかと思ったけど……。海鮮丼様々だ。


 大量のいくらと唐揚げを頬張っていくうちに、どんどん雨宮が元気を取り戻していくのを感じる。


 お手洗いから出てきた時は青白い顔をしていたというのに、今ではすっかり血の気が通って。食べ進めるにつれ、落ち込んでいた形跡は跡形も無くなっていった。


(それにしてもあのいくら……美味しそう)


 そうして。雨宮が食べているところを無意識に何度も見つめてしまっていたからだろうか。


 私の前にはまだまだ、これでもかってくらいの最上級まぐろが控えているというのに。気づけば雨宮が美味しそうに頬張るあのいくらにも、目移りしてしまうようになっていた。


「お前、ほんと分かりやすいのな」


「へっ!? な、なにが!?」


「私もいくら食べたいって、顔に書いてあるぞ」


「っっ!?」


 う、嘘。そんなに顔に出てた……?


 私自身だっていくらへの目移りを自覚したばっかりだっていうのに。まさかほぼそれと同時にバレるなんて。


 だが、今更取り繕おうとしてももう遅い。分かりやすく動揺してしまったし、第一もう否定する言葉が浮かばないくらい……どうしようもなく、あのいくらを食べてみたい気持ちに駆られていた。


「仕方ないな。ちょっとだけだぞ?」


 でも、くれるわけない。そう……思っていたのに。


 雨宮はそう言うと、丼を丸ごと私の方にスライドさせて。



 いくらをーーーー差し出してきたのだった。

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