目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第72話 地獄の始まり

 濃い。あまりに濃過ぎる、四月が終わった。


 この一ヶ月は、本当に俺の人生の中で一番濃厚なものだったように思う。幼なじみが(仮)の彼女さんになり、日常が一変して。人生初の遠出デートをした日には、恋を知った。


 そして高校に入って初のイベント事である校外学習をも終えて数日。いよいよ今日から暦は五月だ。


 五月病、なんて言葉もあるくらいだ。世間一般的に、やはりこの月は十二ある月の中でも一番人気のないものだったりするのだろうか。


 しかし、今の俺たちには新環境に適応できないことに起因するストレスなど存在しない。雨宮と中山さんという友達もいて……。まあ、他のクラスメイトとはほとんど交流が無いけれど。


 ともかく、だ。五月病なんて言葉とは無縁の俺たちを待つのは、変わらない楽しい楽しい日常でーーーー


「はい、お前ら。もう言わなくても分かってると思うけどな。今日からテスト期間だ」


「……」


 あ、あれ。おかしいな。


 どうやらその日常とやらはたった今、破壊されたらしい。


 ずぅぅぅんっ、と。桜木先生の言葉に、クラス全体が露骨な重い空気に包まれていく。


 当然だ。テスト、なんて。学生の嫌いなワードランキング堂々の第一位に決まっているのだから。


「一学期中間テストは主要五科目のみ。今日からちょうど一週間後の実施だ。言っとくけど赤点取ったら普通に補修とかあるからな。ちゃんと勉強しとけよー」


「せ、先生! 私は陸上部が忙しいのでこのテストを免除してもらえないでしょうか!!」


「おー安心しろー。この一週間は部活停止だー。だからしっかりと勉学に励めー」


「んにゃぁっ!?」


「先生、俺も麗美ちゃんせんせとの恋路で忙しいです!! ぜひ免除を!!」


「お前はなんかもう論外だー。黙ってろガキー」


「んぬぉぉっ!?」


 そりゃあ一人や二人くらい頭がおかしくなる奴も出てくるよな。……いや、あの二人はいつも通りか?


 まるでモグラ叩きのモグラのように突然頭を上げた二人は、そうして桜木先生の無機質な言葉のハンマーでしっかりと打たれて。机に突っ伏しながら倒れ込む。


 終わりだ。もう、終わりだ……。


 こんな酷い現実、とてもじゃないが高校一年生の子どもには受け止めることができない。


 ほら、見てみろ。無謀ながらも挑み敗れた二人の勇者の他に、もう一人。


「キコエナイ。ワタシハナニモ、キイテナイ」


「うわぁ」


 ついさっきまでラブラブハートオーラを俺に向けて振り撒き、早く帰ってイチャイチャしたいと念を送ってきていた彼女さんの元気な姿はどこへやら。


 今では″テスト″という言葉を前に耳を塞ぎ、現実から全力で目を逸らしてガタガタと震えている。どうやら流石の三葉さんでもテストには抗えないらしい。


「み、三葉さん? 耳塞いでてもテストからは逃げられませんよ?」


「……そっか。逃げるんじゃなく、テストを行えなくしてしまえばいい。私の忍術でめちゃくちゃに暴れちゃえば……」


「お、おい!? 危険思想に逃げるな!? ちょっ、やめろその目! スンッてなるなぁ!!」


 いや抗う気満々だったわ。しかも危険思想全開で。


 みるみるうちに目が座っていき、胸元から苦無を取り出そうとしたところで慌ててそれを止めて。無常にも教室を去っていく先生の後ろ姿を追いながら必死に彼女さんを宥める。


 三葉が大の勉強嫌いなのは知っている。受験期も机に向かわせるのがどれだけ大変だったことか。


 そりゃ、テストから逃げさせられるならそうしてやりたいさ。でも無理なものは無理だ。この高校で三年間過ごすには、定期的にやってくるテストに背は向けられない。


(仕方ない……か)


 ったく。本当にコイツは。


「はぁ……」


 思わず、ため息が漏れる。


 でも、そうだな。思えば同じ高校に進学した時点でこうなることは必然だったのかもしれない。


 三葉が一人じゃ全然集中して勉強しないことも、理系科目と英語がちんぷんかんぷんなことも。知っているのは俺だけだ。


 そしてまた、つきっきりでそれを見てやれるのも。彼氏さんである俺だけなのだ。


 まあどうせ、放っておくと何するか分からないうえほぼ百パーセント勉強しない彼女さんを放置して俺一人集中ーーーーなんてできるわけないしな。


 ため息を漏らしながらも、そう。自分に言い聞かせるようにして。口を開く。


「なあ、三葉」


「! しゅー君も一緒に暴れる?」


「んなわけないだろ」


 彼氏さんとして。俺が彼女さんにできるサポートはたった一つ。


 そして当然、それは一緒に暴れることじゃない。


 もっと現実的に。何より正攻法で。テストという巨悪に真正面から立ち向かうための力をつけさせてあげられるように。


「勉強、一緒にやるぞ。この一週間……俺がつきっきりで教えるから」


「っ!? ね、ねえしゅー君。勉強なんてつまんないし、やめよう? ほら、可愛い彼女さんがイチャイチャしたがってる! こういう時彼氏さんは大人しくーーーー」


「そういうのは勉強終わってからな」


「ひゅぉっ」


 さて、そうと決まれば。


 さあぁっ、と顔が青くなっていく彼女さんの手を握り、強制連行するように。教室を出る。



 地獄のテスト期間ーーーースタートだ。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?