図書館を離れてしばらく。俺たちは残る二つの目的地を目指し、街中を歩く。
人が多いのは何も図書館だけではない。やはり土曜日ともなると学生や家族連れが一気に野に放たれるようで、ショッピングモールの横を通った時にはズラリと駐車場待ちで並ぶ車が渋滞を引き起こしていた。
「流石はイ◯ン。やっぱりフードコートは選択肢から外して正解だった」
「当たり前みたいに企業名を口にするのはやめようなぁ。困っちゃう人もいるんだぞぉ」
「? どういうこと?」
「おい、そこだけは絶対深掘りすんなよお前」
と。メタい会話はこれくらいにして。言っているうちに最有力候補のお出ましだ。
モールから少し離れ、住宅街を抜けたその先。スーパーやコンビニがいくつか立ち並ぶ通りに大きな看板を携えてどっしりと構えるそこは、言うなれば学生のオアシス。ーーーーファミレスである。
もはや外での勉強となればここも図書館と同じくらいには王道だろう。俺たちか弱い学生のお財布にも優しい値段設計に加え、長く居座っても文句を言われない営業スタイル。そして何よりの利点は、よほどうるさくしなければ会話していても全く怒られないところだ。
まあその分、周りも同じように過ごすわけだから当然図書館のような静かな空間にはならないけどな。別に黙って一人で集中する勉強をしに来てるわけじゃないんだ。無問題だろう。
「しかしまあ、なんだ。予想はしてたけどやっぱりここもそれなりに混んでるな。待ってる人までは……いなさそうだけど」
ぐっ、と目を凝らし、外から店内状況を伺う。
見たところ、まだポツポツと空席はあるようだ。レジ周りに待っているような人も見受けられない。
ラッキーだ。お昼時のピークから若干ズレたからか? とにかく、今ならまだ滑り込めるかもしれない。
「……ほんとだ。これならすぐ入れちゃいそう」
「なんだよ。あんまり嬉しくなさそうだな?」
「すぐ入れちゃうと、”あれ”できない」
「あれ?」
「そう。あれ」
だというのに。何故かそんなラッキーを前に微妙な顔をした三葉は、入り口の自動ドアのその先を指差す。
「……ああ。そういうことね」
このファミレスにはよく来たことがある。今みたいに三葉と二人で勉強するためだったり、家族間でも仲の良いお互いの一家総出で一緒にごはんを食べるためだったり。
そしてそのたびーーーーいや、正確には店内が満席で待ちが出た時に限り。必ず率先して三葉がやりたがるものがあった。
「あの名前書くやつか。ほんと好きだよなぁお前」
「ん!」
そう。正式名称があるのかは知らないが、あの紙に名前と大人何人、子供何人と書くやつである。
勘違いしてほしくないのだが、別にふざけた名前を書くあの迷惑なやつをしているわけではない。実際に今までも記憶にある中だと、大抵普通に佐渡か市川と書いていた。
じゃあなんで書きたがるのかって? それは本人のみぞ知るところだ。
「昔は何となく書きたくて書いてたけど、今は違う。ちゃんと書きたい理由がある」
「ほう。その心は?」
「ふふっ。しゅー君なら分かるはず」
「えぇ。全然検討つかないんだが」
俺なら分かるはず、って。
なんだろうか。正直単に三葉の子供っぽい部分が爆発してるだけだと思ってたんだが。
この言い方、絶対にそうじゃないってことだよな。しかも昔から理由が一貫してるわけじゃなく、おそらくはその理由が書き変わってからそう時間も経ってはいない。
ここ最近で湧いてきた理由で、そんでもって俺が察せる……あっ。
「三葉さん、質問です」
「どうぞ」
「あなたは『市川』と書くつもりですか?」
「ん」
「大事なのは書くことそのものじゃなく、書いた後に起こる出来事ですか?」
「ん」
「それには店員さんが関係していますか?」
「ん」
「……そういうことか」
まるで某ランプの魔人のアプリみたいな問答を繰り返して。俺は全てを察した。
どおりで俺なら分かるなんて言うわけだ。答えを察した今なら、その発言にも頷ける。
だってーーーー
「私の真の目的は、名前を書くことじゃない」
「ああ。書いた後で店員さんに呼ばれたかったんだろ? 二人一緒に、『市川様』って」
「流石は彼氏さん。大正解っ」
だってそれは、本人のみぞ知るなんて気持ちじゃない。俺も同様に、されてみたいと思うことだから。
二人一緒に同じ苗字で呼ばれる。別にそんなことファミレスではよくある光景で、実際三葉がただの幼なじみだった頃なら。どうとも思うことはなかっただろう。
でも今は違う。それは俺たちにとって、もはや単に今まで通りの″グループを一まとめにするためだけの呼称″として受け取れるものでは無くなったのだ。
だってそんなの、絶対に意識してしまうから。(仮)の恋人関係のその先にある本当の恋人関係の、更にその向こう。ーーーー三葉の苗字が「佐渡」ではなく「市川」になる、結婚した後の未来を。
「できれば、気づきたくなかったけどな」
「えへへ、もう遅い。これからしゅー君はこういうお店に私と来るたび、必ず満席を期待しちゃう身体になった」
「不便な身体にしやがって」
「それはお互い様♡」
お互い様、か。そうだな。
誰かを好きになるということは、その人無しではいられない身体に弱体化していくということ。
そういう意味では、俺たちはもうお互いにどんどん弱体化して、不便な身体になっていってる。
けど、それを嫌なこととはこれっぽっちも思えない。
きっとそれは……俺がコイツのことを、もうたまらないくらいに大好きだからなんだろうな。