「はい先生! 全く分かりません!!」
「あー、これは公式当てはめるだけじゃ難しいかも。エックスとワイを……」
「ほえぇ??」
「……これは中々、教え甲斐がありそうだな」
勉強会開始からおよそ一時間。調子はと言うと……正直言って、苦戦していた。
中山さんの頭がちょっと″あれ″なのは想像がついていたけれど。まさかこれほどとは思いもしなかった。
なにせ彼女には、得意教科というやつが一つも無いのだ。
国語•数学•英語•理解•社会。勉強が苦手でも、全く内容の違うこの主要五教科のうち、普通どれか一つくらいは得意に感じるものがあるはずなのだが。
この一時間教えていてよく分かった。中山さんはーーーー全教科が苦手教科なのである。
しかし、いくらなんでも時間の関係上、五教科全てを教えるってわけにはいかない。
だから俺は教科を三葉にするのと同じように理系に絞ってみたのだが……それでも中々、厳しそうだ。
ただ幸いだったのは、中山さんが今日に至るまで全くのノー勉状態ではなかったことだ。まあ本人に勉強ができない自覚はあるのだろうし、きっとそれで焦りも生まれていたからか。全教科の全科目が苦手だということに変わりはなくとも、″全く知らない″という単元は存在していなかった。
つまり、彼女なりに分からないながらもなんとかどの教科でもテスト範囲を一周はしてみせているのである。たとえちゃんと百パーセントの理解をできていなくとも、それをやっているとやっていないでは雲泥の差。おかげで僅かながらに光明はあるように感じる。
(コイツも、ちゃんと少しくらいは勉強しててくれたらな……)
本当、このチャラ男にはそういう意味では中山さんを見習ってほしいもんだ。
一人で黙々と教科書を読み進めているコイツは、どうやら若月先生が担当の英語以外これっぽっちも勉強していないようだった。
仕方なかったとはいえ、中山さんも可哀想だな。唯一頼れた相手がノー勉マンだったとは。
「はぁ。結局生徒が三人まで増えたのか。まあ教えるのも勉強になるからいいんだけどさ……」
あわよくば、雨宮には中山さんの勉強を三割くらいは見てもらいたかったんだけどな。結局俺は現在中山さんと三葉に何度も交互に呼ばれ、完全に自分の勉強まで手が回っていない状態だ。
そのうえでコイツまで分からないから教えてくれとか言い出したらいよいよだぞ。人に教えればその分しっかり記憶が定着するから俺の身にもなっているとはいえ、やはりそれだけでこの勉強会の数時間を過ごすのはしんどすぎる。
まあでも、よくよく考えたらあの雨宮だもんな。中山さんに先生役として呼ばれていたからなんとなく面倒見の割り振りを任せられるかもと感じていたけれど、普段の素行を考えればこうなるのは必然だったか。
なんて。ため息混じりに考えていると。やがてパタンっ、と理科の教科書を閉じた雨宮が呟く。
「よし、理科の復習終わりっと」
「……はい?」
コイツ今、なんて言った?
確かに俺には、復習が終わったと聞こえたんだが。
いやいや、そんなわけないよな。だってこの一時間、コイツがやってたのはただの教科書の黙読だぞ?
ノートをまとめるわけでも、問題を解くわけでもない。そんなふざけた勉強法をたったの一時間やっただけでテスト範囲分が身につくわけがないというのに。
どうやら信じられないのは俺だけじゃないらしく。雨宮のそのふざけた呟きを聞いたらしい中山さんが、さっきまでの死にそうな顔が嘘かのようにニヤついた表情を浮かべ、すすすっと距離を詰めて言う。
「ぷぷぷ〜っ。ねえ雨宮知ってる? テスト勉強っていうのは教科書眺めることじゃないんだよ〜? もしかしてぇ、私と同じでぜんっぜん分かんなくて強がってるのかにゃ〜?」
さながら、その様はメスガキの如く。雨宮の頬を指でつんつんしながら常套句のような言葉を連ねていく彼女は、端から見てもウザさの化身だった。
だが、思っていることはみな同じ。この場に雨宮の言っていることを信じている者は一人もいない。
……だというのに。雨宮は全く動じることはなく。それどころか、余裕の笑みを浮かべている。
まさか本当に? いや、でもそんなわけが……
「馬鹿の煽りは効かないなぁ」
「なっ!?」
「ふっ。俺と中山じゃあ基礎スペックが違うのよ。どれ、信じられないなら問題でも出してみろ」
「ぬぐ……バカにしてぇ!! やっちゃって先生!!」
「え? お、おぉ」
そこで俺に振るのか、というツッコミは一旦置いておいて。俺はお手製のまとめノートのページをめくり、まずは基礎の問題から出題していくことにした。
「んじゃまあ、基礎の問題から。溶液の酸性とアルカリ性を判別するために使う道具は?」
「リトマス紙だな」
「一定量の溶液に溶かすことができる溶質の質量は?」
「溶解度」
「溶媒に溶かした固体を再び結晶として取り出す手順の名前は?」
「再結晶。おいおい、さっきからいくらなんでも簡単すぎるって」
「そ、そうか? ならもう少し難しいのを……」
きっと、俺の中のコイツを疑う気持ちが出題する問題に反映されていたのだろう。
しかし正直なところ、そんな用語問題ですら間違えるんじゃないかと思っていたんだ。
だと言うのに……