「んっ……あち゛ゅっ」
華奢な腕でゆっくりとフランクフルトを口に近づけた三葉は、そのまま。先端部分を少しだけ齧り、咀嚼する。
そして、ごっくんっ、と。それが細い喉を通っていく音が、ほんの少し。隣にいる俺の耳にも届いていた。
「ひた、やけどひた。あかくなってふ?」
「っ!? あ、えっと。ちょっとだけ赤くなってるような気が……するようなしないような、いややっぱりするような……」
「? どっひ?」
どうやら、フランクフルトは出来立てでかなり熱々に仕上がっていたらしく。三葉はそう言うと、舌の先をちろりと出して。火傷を確認しろと見せつけてくる。
(平……常心……ッ!)
クソッ、無理だんなもん!! わざとか!?
駄目だ。考えないでおこうと意識すればするほど、三葉の行動一つ一つが変な風にしか見えなくなってきた。
落ち着け。落ち着くんだ俺。もう″そういうこと″を考えてしまうのは仕方ない。ならせめて、それを表に出すんじゃない。
三葉は確かに俺の心を読める。でもそれは、漫画の中に出てくるような超能力的なものではなくて。あくまで俺のことを知り尽くしているからこそできる、推測の延長線上にある力だ。
要は、それをするための″情報″を与えなければいいだけの話。表情や仕草等々、俺の考えを読むために観察しているであろう視覚的なものに考えを反映させなければ、心を読むの術は発動できないはずだ。多分。maybe。
「ふぅん」
「な、なんだよ」
「えへへ。やっぱり私の彼氏さんはかっこよくて、可愛い」
「……うるせぇ」
なんて。そんなことができたら苦労しないよな。
一体この瞬間、三葉にはどこまでバレたのだろうか。まあ少なくとも、ドキドキさせられてることは完全にお見通しか。
ついさっき違うと言ったばかりだが。コイツの「彼氏さんの心を読むの術」は、やっぱり少し人智を超えている代物なのかもしれないな。
恥ずかしい男子高校生の欲情にも近いものを、あろうことか彼女さんに読み取られて。俺の口からは、小さなため息が漏れる。
だが、三葉はそんな俺を見て……嬉しそうに、微笑んでいた。
「彼氏さん」
「なんですか彼女さん」
あ、ヤバい。口角がだんだん上がっていってる。
これはまずいな。どうやら、モード変化が始まったようだ。
とはいえ、三葉はただでさえ周りから見れば表情の起伏が少ないからな。きっとそれを感じとっているのは彼氏さんである俺だけなのだろうが。
「見てたから、分かると思うけど」
「はい?」
「熱くて食べられない」
「……食べられるようになるまで、待てばいいんじゃないでしょうか」
「なんでそんないじわる言うの。私はお腹ぺこぺこなのに」
その口角が意味するは、彼女さんが俺を揶揄う時に移行するモード変化。
即ちーーーー小悪魔さんモードの降臨である。
「気遣いのできるかっこいい彼氏さんなら、何をすべきか察せるはず」
「…………しないぞ?」
「ふふっ、そんなこと言っていいの?」
小悪魔さんというのは、人を揶揄い弄る者。
そんなモードを身に宿した彼女さんが、″弱み″を握ったのなら。やることは一つ。
ズバリ、弱みを使って要求をーーーー
「私で、えっちなこと妄想したくせに♡」
「〜〜〜〜ッッッ!!!」
それはまるで、耳元で爆弾を爆破されたかのような激しい衝撃。
(お゛お゛お゛お゛お゛ん゛ん゛ッッ)
肉体が、精神が。そんな激しく、優しい。もはや言語化すら難しい衝撃と快感の渦に当てられて。一瞬にして、抵抗する気力を失っていく。
それは、言うなれば絶対的な″敗北宣言″。俺を構成する全てが、たった一つの耳打ちで瞬時に勝ちを諦め、降伏してしまった。
こうなってはもう手の付けようがない。何を考えようと無駄なのだ。
だって、もう勝機などほんの一パーセントすら残っていないのだから。仮に残っていたとしても……他でもない俺自身が、その勝ちを拾うことが出来ない状態にされてしまったのだから。
「ふーふー……させて……いただき、ます……」
「ん、ありがと♡」
さながらその様は、煙草を咥えた兄貴分を前にすかさずライターで火をつける、子分かの如く。
「あ〜〜」
「ど、どうぞ」
「はむっ」
ああ、なんと情けない。公衆の面前でこんな。
でも仕方ないじゃないか。俺は、負けてしまったのだから。
負けた者は勝った者には逆らえない。それは、この世のごく自然な摂理なのだ。
「あっ、おい見ろあの子。もしかして……」
「一年三組のメイドさん!? 彼氏持ちって噂、ガチだったのかよ!」
ああ、見られている。ひそひそ話までされている。
三葉のやつ、すっかり人気者だな。こんな三年生の階にいても注目を集めるほどだなんて。
まあでも……そうだよな。うちの彼女さんは最強最かわだもんな。そのうえ宇宙一の忍者メイドさん姿を一般公開してしまったのだから、時の人にならないはずがない。
「彼氏さん、くるしゅうない。いいふーふー加減」
「な、なによりです」
そして、そうある所以はビジュアルだけにあらず。周りにどれだけ見られても全くブレることのないそのメンタリティで、俺からふーふーしてもらったフランクフルトをしっかりあーんの構えを崩さぬまま受け取って。高級食材でも食すかのような″噛み締める咀嚼″をしながら、その味を堪能している。
「羨ましいよなぁ、隣の彼氏。あんなに可愛い子にーーーー」
「だなぁ。あんなに綺麗な子にーーーー」
おっ、なんだ? 嫉妬か?
分かる。分かるぞ。そりゃあこんなに魅力満点な女の子に彼氏がいたとあれば、たとえ自分が付き合える可能性はゼロだったとしても少なからずは凹むよな。
その嫉妬、あまんじて受け入れよう。まあちょっと今のこの格好じゃあ、そう偉そうにはできないが。
チラッ、と。あくまで視線は合わないよう、横目に。声のした方に僅かに意識をやりつつ、耳を傾ける。
すると、間も無くして。二人の男子の声が、重なった。
「あんなに可愛い子に、仕えられるなんて!!」
「あんなに綺麗な子に、敷いてもらえるなんて!!」
……ん?
あれ、おかしいな。聞き間違いか? なんかこう、思っていたやつとは違うのが聞こえてきた気がするのだが。
普通こういう時、羨ましがるなら「イチャイチャできて!」とか「隣にいられて!」とかだよな。それに比べて俺が聞き取った二つは、まるで……
刹那。俺の脳内に、三葉が接客したあの男たちの″歪な笑顔″がよぎる。
(ま、まさかとは思うけど)
あまり、深く考えないようにしていたことだ。
何故、アイツらはあんなに悦ぶような笑顔を見せたのか。三葉は一体、どんな接客でそうさせたのか。
「むっ。彼氏さん、おサボりはダメ。彼女さんがあーん待機してる!」
「へ? お、おう。すまん」
聞いて、みるか?
……いや、やめておこう。もう状況証拠が物語り過ぎている。
その、なんだ。別にちゃんと売上には貢献できてるんだもんな。多数の人を歪めてしまったことに関しては彼氏さんとして誠に遺憾だが。こ、これもリピーターを増やすための営業戦略ってことで。
「つ、次はいつシフト入ってんのかなぁ? 俺、次はもっとキツいこと書いてもらおうと思うんだ……」
「暴言トッピングを……へへっ、へへっ……」
「も、もう一度あのゾクゾクを味わうためなら、何時間だって並んでやる。もう俺は、普通のメイドさんじゃあ満足できなーーーー」
ふう。何も聞こえない。俺には何も聞こえてないぞ。
自分にそう、言い聞かせて。周りの声を必死にシャットアウトしながら、彼女さんと廊下を進む。
まだまだ、文化祭デートは始まったばかりなのだ。……ノイズに邪魔されるわけには、いかないからな。