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第159話 人生最大の幸福

 閉じ切った暗闇の視界の中で。衣擦れの音と共に、ふわりと。大好きな女の子の香りが鼻腔をくすぐる。


 このタイミングで目を閉じさせるというのが何を意味しているのか。それくらいは俺でも、すぐに分かった。


 だから、覚悟を決めて。毅然とした態度で受け止めようって、そうーーーー思っていたのに。


「んむっ……ちぅっ♡」


「〜〜っ!? ぅぶっ!?」


 唇と唇が触れ合い、重なる。けど、それだけでは終わらなかった。


 刹那。俺を襲ったのはあまりに未曾有で、強すぎる刺激。


 俺は一体、いつになったら学ぶのだろうか。この彼女さんの行動は常に……俺の予想の範囲で収まったことなど、無かったというのに。


「ぷあっ♡ 私の初めて、あげちゃった♡」


「おま、舌……ッ!!」


「? 駄目だった?」


「いや、駄目ってことはないけど。ないけども!!」


 三葉による返事の返事。それが言葉だけで済むとは思っていなかった。目を閉じてと言われた時に、きっとこれから俺はキスをされるんだろうなって。


 けど、まさか初めてのキスが舌を入れての……お、大人のキスだなんて。思いもしなかった。


(か、感触が。まだ、残って……)


 既にキスは終わり、口も離れた後だというのに。まるで今も尚繋がっているのではないかと思うほどの余韻が、口内を支配している。


 ぷるぷるで瑞々しい柔らかな唇に、甘い唾液。それが混ざり合って発生した、官能的な音。


 その全てが、フラッシュバックとしてリピート再生を繰り返す。何度も、何度も。


「えへへ。これが、私の答え。私の、しゅー君に対する気持ち。ちゃんと……伝わった?」


「〜〜〜ッッ!!!」


 三葉は言っていた。日々溜まりに溜まり続けている欲望を解放するのは、俺と本当の意味で恋人さん同士になれた時だと。


 二ヶ月。思春期の女の子を、二ヶ月も待たせたのだ。その間溜まり続けた欲望の発露がただのキスだなんて。よくよく考えてみれば、そんなはずがなかったのである。


 というか、今のでもきっとまだまだ足りないくらいだろう。


 だってあの三葉だぞ? これだけ毎日のように好きをぶつけられ続けた俺だからこそ、はっきりと分かる。こんなのは、言わば欲望を閉じ込めていた蓋にヒビが入り、中身がほんの少し漏れ出たに過ぎないと。


「えへへっ。えへへへっ」


「わわっ。ま、待て。待てって。伝わった! ちゃんと伝わったから!!」


 駄目だ。ーーーー止まらない。


 三葉は、恍惚とした表情を宿したまま。その華奢な腕を俺の首元に回し、細身から出ているとは思えない力で。俺の身体を、思い切り抱きしめる。


 そしてそうされるともう、俺はこれっぽっちも身動きが取れない。こうガッチリとホールドされてしまっては、俺の非力な力では太刀打ちができないのだ。


 三葉もそのことは理解している。理解した上で、俺を離すまいと。全力抱擁をしながら、身体を強く密着させることでその気持ちをアピールしていた。


「……」


「か、彼女さん? 苦しいです……」


「やだ。絶対、離れない。大好きな彼氏さんともっとぎゅうする!」


「お、おぅふっ」


 当然、つよつよな彼女さんの全力なんて受け止めたら、俺みたいなよわよわ彼氏さんの身体はそう長くは持たない。今も現在進行形で、身体の節々がみしみしと嫌な音を立てているのだけれど。


 しかし、それ以上に。あまりにも彼女さんが可愛過ぎて。それ以上反論する気など、起こらなかった。


「ねえ、しゅー君」


「なんでしょう?」


「私今、これまでの人生で一番幸せ」


「……そんなの、俺もだよ」


「ほんと? 嬉しい♡」


 二つの好きが結ばれ、一つのオーラとなって。いっぱいの幸せで俺たちを包み込む。


 けど、それでも俺たちにはまだ物足りなくて。もっともっと、限界以上の幸せを追い求め、身体を擦り合わせる。


 よく三葉は俺と触れ合うことで元気を貯める行為を「充電」と言うけれど。これではもはや「発電」だな。


「ねえ、彼氏さん」


「今度はなんですか、彼女さん」


 なんて、そんなことを考えながらハグを続けていると。耳元で、再び。三葉は囁くように、言う。


「私の初めて、全部しゅー君にあげる。だから責任、ちゃんと取ってね。私の……未来の旦那様♡」


 ーーーーぷつんっ。


 それは、一瞬の出来事だった。


 三葉のその囁きによって、本当にあっという間のうちに″糸″の切れる音が脳内に響いて。


「へっ? う、嘘。なに、この力……」


 次の瞬間には、もう。自分でも信じられないほどの力が、身体の奥底から湧き上がっていた。


「しゅ、しゅー君?」


「そうだな。責任、取らないとな」


 どさっ。俺の身体にしがみついている彼女さんを、シートの上に俺が上から覆い被さるような形で押し倒す。そして一瞬困惑してから、でもすぐに受け入れる、そんな表情の変化を。じっと、見つめ続ける。


 理性の糸は、一瞬にして千切れてしまった。


 けど、いいよな。


 だってもう、俺たちは本当の恋人さん同士になれたのだから。そしてなにより……三葉は、こうすることを望んでくれているはずだから。


「次は、俺からだ」


「……ん♡」


 ここが学校の屋上であることも、俺たちに残された休憩時間はもうほとんど残っていないということも。何もかも、忘れて。


 貪欲に、真っ直ぐとお互いを求め合う。今はただ、そんな時間がたまらなく愛おしい。


(もっと早く、こうしていればよかったな……)


 ここに来るまで、本当に長い時間をかけてしまった。


 でも、そうだな。まあ俺が言うのはどうなんだって話だけど。きっとそんなの……些細な問題でしかないんだ。


 だって、そうだろう?



 俺は三葉とこの先の長い人生、これまで共に過ごしてきた時間の、何倍もある時間を。これからずっとずっと……一緒に、過ごしていくことになるのだから。

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