種を植えてから三日目の事です。
小さな芽が、緑色の小さな若葉が土の上にいくつか顔を出していました。
本当に小さな黒い種から、こうも綺麗な緑色で瑞々しく芽が、若葉が出て来るとは驚きです。
なんでしょうか。
人形である私には感情などあるはずもないのですが、ないはずの心が満たされていくのを感じます。
なぜ、こんな小さくも弱々しい青葉が愛おしくてたまらないのでしょうか?
メトレス様の命令がないときは、ついついこの芽を見に来てしまいます。
植物の育成には陽の光が必要と私の知識にはあります。
ですが、この庭は三方を壁に囲まれていてあまり陽の光が届きません。
どうにかできない物なのでしょうか?
「それは…… あの壁があるからボクは安心してキミを庭に出せるんだよ。壁を壊すのはやめてくれ」
壁をどうにかできないか、そう相談したら、そう言われました。
私にも壁を壊すつもりはないですよ?
「すいません。無理な相談でした」
そうですよね。
人形である私の願いなど、メトレス様が叶える必要もないのですよね。
けれども、メトレス様は少し笑って言葉を続けます。
「いや、良いよ。それに…… 前にも同じ相談をされたことがあってね」
そう言うメトレス様は本当に嬉しそうでした。
どういう事でしょうか?
「それは……」
シャンタル様。
恐らくはその方もメトレス様に同じことをお願いしたのでしょうか?
だから、メトレス様はそんなにも優しく笑ってらっしゃるんですか?
「まあ、日当たりが悪いことは事実だけどね。それにもう、一応は解決した問題でもある」
「もう解決しているのですか?」
それはどういう事でしょうか?
私には日光が、光が、あの庭には足りないように思えますが。
「ああ、そうとも。しばらく掃除してなかったからな。もう汚れてしまったのだろう」
メトレス様は今も嬉しそうです。
それでいて、少し寂しそうです。
あの方を思い出しているのでしょうか?
ですが、掃除はちゃんとしているつもりでしたが、私の手の行き届いてない場所があるという事でしょうか?
「掃除ですか? それなら毎日していますが?」
「いや、外側、この家の外の壁面だよ。目に見えて変わるものでもないけれど、シャンタルはそれでも喜んでくれていたよ」
外側? 家の壁という事ですか?
それでシャンタル様は喜んで…… ですか。
「どういう事でしょうか?」
わかりません。
家の壁を掃除することが、庭に光が届かない事の解決になるのですか?
「まあ、なんだ。暇なときにでも庭のあるこの家の壁面を煤を落とすように掃除してくれればわかるさ。それほど効果があるわけじゃないけど、想像以上に明るくはなるんだ」
「はい、わかりました。早速掃除してきます」
よく理解できませんがとりあえず掃除してみましょう。
あの可愛い若葉に日光を届けてあげましょう。
私にわからなくともメトレス様がそうおしゃられるなら間違いはありません。
「そうか。いいよ。特に今はしてもらいたい仕事もないしね。でも、よかったよ」
「何がですか?」
何が良かったのでしょうか?
家の壁が汚れているので私が掃除することにでしょうか?
「庭いじり、気に入ってくれたんだろう?」
私の事ですか?
私が庭いじりを気に入っていることを良かったと?
なんでしょうか、私は今、満たされています。
とても満たされています。
言い表せない物で満たされています。
メトレス様は人形である私をそこまで気にかけてくれているのですか?
それとも、今は亡きあの方の魂をお使いになったからでしょうか?
でも、確かに私は庭いじりというものを気に入りました。
「はい、メトレス様の言う通り気に入りました」
私の言葉にメトレス様は笑顔で満足そうに頷きます。
「そうか、それは本当によかったよ。何かあればすぐに言ってくれて良いからね」
私はメトレス様の言う通り庭のあるほうの家の壁をブラシで洗いました。
用具入れにブラシが入っていたのは、このためだったのですね。
ですが、家の壁を掃除するのとこの庭に光が届くのと、どう関係が……
ああ、ああ、なんて素晴らしい!
家の壁の汚れを落とすとそこには白い綺麗な壁が現れました。
この辺りも工房街ですからね。煙突がある建物が多く家の壁は煤で汚れがちです。
その汚れを落とすと綺麗な白い壁が現れました。
そして、その白い壁は陽の光を僅かにですが、反射し小さな庭を照らします。
ほんの少し明るくなるだけですが、こんなこともできるのですね。
確かにこの辺りは煙突も多く煤も多いです。
壁があった方が植物には良いかもしれません。
周りの壁は煤除けにはなってくれています。
そこへ家の外壁から光を反射させて取り込むなど、流石はメトレス様です!
ああ、なんて素敵な庭なのでしょうか。
こんな素晴らしい場所を私は自由にして良いとか、私は本当に幸せものです。