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【第三十六話】妄想

 ボクはいつも通りに寝ているシャンタルを見守っている。

 最近、仕事終わりにシャンタルの寝顔を見るのが日課に、いや、これをしないと落ち着かなくなっている。

 彼女の寝顔を、寝息を確認できるだけで、ボクの心は平静を保てる。

 これをするためだけに生きている、そんな気さえする。


 彼女から少しでも目を離すと心配で心配でたまらなくなる。

 それほど彼女の容体は良くない。

 いつ、彼女が、シャンタルが死んでしまっても、もうおかしくはないんだ。

 恐らくもう彼女の両目はもうほとんど見えていない。

 シャンタルはボクに心配かけまいと言わないが、彼女の反応を見てれば嫌でもわかる。

 今、シャンタルに見えているのは光か影か、その違いくらいだ。


 だからこそ、ボクは余計に心配になってしまう。

 彼女の前から離れたくなくなってしまう。


 彼女の体はもう結晶化してしまった場所の方が多い。それはもう事実だ。

 ヴィトリフィエ病は神経、筋肉、皮膚、臓器、最後に骨の順で結晶化していくらしい。

 だから、シャンタルの様にその体のほとんどが結晶化しても大事な臓器が残っていれば、こうやって辛うじて生きていられる。

 だけど、その病気の進行を止める術はない。

 なんて残酷な病気なんだ。


 それに、目も見えないという事は結晶化が臓器にまで及んできている、そういう事でもある。

 もういよいよだと、そう告げられているのだ。

 大体はそれよりも早く、肺の筋肉が結晶化で弱まり呼吸できなくなり死んでいくものらしい。

 シャンタルはまだどうにか、そのあたりは結晶化されていないようだけど、それももう限界なのかもしれない。

 だから、彼女が寝息を立てていることを確認できると、ボクは心から落ち着く。

 一思いに彼女を楽にさせてやる、という気持ちがないわけではない。

 だけど、ボクは少しでも長くシャンタルに生きていて欲しいし、聖サクレ教を深く信仰している彼女が自ら命を絶つことはない。


 ボクは無力だ。

 彼女がこんなにも苦しんでいるのに何もできない。


 ボクは呆然と結晶化してしまっているシャンタルを見る。

 結晶。

 この結晶はガラスやネールガラスと同じ非晶質固体らしい。

 だから、この病気でできた結晶を結晶化というのは本当は間違いらしい。


 ガラス化、もしくは非晶質固体化というのが本当は正しいんだそうだ。

 非晶質固体のことはボクも良くは知らないが、なじみ深い。

 仕事で使うネールガラスも非晶質固体なのだから。


 ガラスやゴムがそうだと言われている。

 はっきりとした融点がなく温度が上がれば柔らかくなる、という特性を持っている。

 確かにネールガラスという物質もそうだ。

 ただ一度融解して固まると相当高い温度で熱せないと柔らかくもならないけども。

 そもそも、ネールガラスとは一体なんなんだ?

 こんな特製の物質は他に類を見ない。


 謎の化石から抽出される非晶質固体で、魂の影響を受けて変化し、進化もする。

 この地方でしか産出さえない地下資源。

 それしかわかっていない。

 いや、それ自体がよくよく考えればおかしなことだ。

 この地域に住んでなければ、馴染みのない物質だし、さぞ不思議な物質なんだろう。

 そして、昔から人形作りにのみ使用されているが……

 そういえば他の物に利用されている話はまるで聞かない。

 たしか、法律で禁止までされているはずだ。


 ネールガラスは人形にしか使われない。

 なぜだ?

 今まではそういうものだと思っていて、疑問にも及ばなかったが……

 確かに便利な素材で利用しているが、そもそもネールガラスが何なのか、誰も本当の意味で理解できていないのではないか?


 それも採掘量が年々少なくなってきているという話だが、それはボクらが考えているよりも早く急激に産出しなくなってきているのかもしれない。

 だから、シモ親方もあんな意味の分からない実験に付き合わされているのだろう。

 けど、それも今はどうでもいい。


 ボクが今一番、気になるのは。


 この結晶、いや、非晶質固体化したシャンタルがネールガラスの代わりになるかもしれないという話だ。


 このシャンタルの使って、シャンタルの魂も使って、人形を作れば、それはシャンタルそのものではないのか?

 彼女は永遠になれるのではないか?


 ボクはそんなことを考えてしまっている。

 もちろん、それが良くない事だと、悪魔的な所業だと、そう言ことは十分に理解している。

 それでも、ボクは……

 悪魔に魂と売ってでも……

 シャンタルを失いたくはないんだ……


 けど、ちゃんと理解している。

 売ることになるのはボクの魂ではなく、シャンタルの魂だという事を。

 そんなバカげたことを、ボクがやってはいけないんだ。


 少し疲れているのかもしれない。

 今日はもう休もう。

 そうしなければ、ならない。

 こんなバカげた妄想をもう考えないように……


 彼女がそんなことを望んでいるわけがないのだから。






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