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第106話 彼女に対する禁句を口にしてしまう


 びくりと飛び跳ねる勢いでハムレットが反応して、誰なのかを察する。耳に響くのではという足音を立てながらやってきたのはフェルシェだ。


 淡い水色のくるくると巻かれた長い髪を靡かせながらやってきた彼女は、ハムレットが逃げないように彼の肩を掴んで向き直らせた。動く隙すら与えずにやってのけた様子にフランは思わず拍手してしまう。


 ハムレットに「感心している場合じゃないから!」と、助けを求められるも、この流れは純粋に凄いと思ってしまった。けれど、彼女の表情は怖いものになっている。気持ちを落ち着かせるべきだろう。


 フランは怖かったのだが、放っておくこともできなかったので、落ち着いてくださいと声をかけた。すると、フェルシェが力強い眼を向けられて、ひぇっとフランは思わず声が出てしまう。



「貴女に分かりますの? 他の女と比べられた気持ちが!」


「それは……その……」


「ハンター様に比べられたことがありました?」


「ないです、はい」



 フランは即答する。アルタイルはフランを他の女性と比べたり、露骨に褒めたりはしていない。相手の実力や、行動を素直に褒めることはするが、ハムレットのような言動はしていなかった。


 フラン自身も嫌な気分になるようなことはされていないし、言われてもいない。なので、フェルシェの感じた悲しみや怒りを分かることはできないのだ。


 素直にそう答えて引くしかなく、彼女を落ち着かせることに失敗してしまう。


 何も言えなくなったフランからフェルシェがハムレットに目を向けて、「さぁ、逃げられませんわよ」と肩を握る手に力を入れる。フランが見ても強く握られているのは分かることだ。


 ハムレットは助けてくれと言いたげに見てくるが、自分には無理ですとフランは首を左右に振る。


 アルタイルはお前がしでかしたことだろうといったふうに頬付けを突いて見ていた。見守ってはくれるらしく、「彼女の話を聞いてやれ」と返す。



「わたしの言動が悪かったのは認めます。少し強引だったところもあったでしょう。それは申し訳なかったですわ。でも、避けることはないのではなくて?」



 指摘されてから行動を改めて、反省していたのだとフェルシェは話す。一度、やらかしてしまっているので信用されないのは仕方ないことだと理解もしている。


 けれど、避けるだけならまだしも、やっと話せたと思ったら目の前で好きな女性を褒めて、そんなにわたしを突き放したいのか。


 フェルシェは「嫌いならば嫌いって言ってくれればいい」と涙目だ。確かにどっちつかずのままでいるというのに、避けるというのは良くはない。どんなにこじれようともはっきりさせることは大事だ。


 ハムレット的には女の子に酷いことはできない、泣かせたくないといった感情があるのだろが、うやむやにするほうが相手にとって辛いことになる。


 言わない優しさというのもあるが、言わなければ伝わらないこともあるのだ。アルタイルが「お前は相手のことを考えているようでそうでない」と、ハムレットに止めを刺す。


 これにはハムレットも何も言い返せず、「申し訳なかった」と謝罪した。けれど、フェルシェが欲しかったのはその言葉ではない。



「ハムレットさんは、わたしが嫌いなのですか?」


「え? いや、嫌いじゃなくて……」


「好きでもないと?」


「その、良き冒険者仲間って感じで……」



 ハムレットの返答にフェルシェがまた怖い顔になる。彼女はどちらかはっきりしてほしいタイプのようだ。それを察してか、ハムレットが「恋愛対象ではないかな」と正直に伝える。


 本当に申し訳ないけれど良き冒険者仲間としか思えないのだと言えば、フェルシェが悔しそうに唇を嚙みしめながら赤毛の受付嬢を睨みつけた。


 避難するタイミングを失っていた赤毛の受付嬢がいることに気づいて、フランがあっと声を零したと同じくフェルシェが動く。赤毛の受付嬢の前まで歩み寄ると彼女に向かって指をさしながら声を張り上げた。



「貴女だってそうだわ! 受付嬢だからっていろんな冒険者に愛想を振りまいて!」


「受付嬢である以上、誰に対しても平等に落ち着いて対応するのが当然ですので」


「誰に対しても平等に? 自分の名前を隠しておいてよく言うわね」



 自分の素性を隠しておいて平等だなんて笑わせてくれるわね。フェルシェはじとりと睨みながら言う、名前すらも教えないなんて相手に失礼じゃなくてと。


 名前のことを指摘されて赤毛の受付嬢が眉を寄せた。そうだ、確か彼女は自分の名前が嫌いでその話題は禁句なのではとアルタイルを見遣ると、彼にしては珍しく焦った表情をみせる。



「その話題はやめるんだ」


「何故? たかが名前でしょう? 気に入らないってだけで素性を隠すなんて、受付嬢として恥ずかしくないのかしら?」



 アルタイルが止めに入るもフェルシェは聞く耳を持たない。むしろ、煽るようなことを言ってしまっている。これにはアルタイルも「人によって感情の抱き方は違う」と少し強い口調で注意した。


 口に出されることも嫌だと思う名前だ。彼女にとってそれは一種のトラウマである思い出を掘り出すことになる。そう説明するも、フェルシェはそれがどうしたといったふうだ。



「何が嫌いな名前よ。〝ダアムバニー〟っていうのが」



 あっとアルタイルが声を零してから深い溜息を吐き出した。途端にぴたりとギルド内が静まる。えっと周囲を見渡してみれば、冒険者たちの顔が青ざめていた。


 もしや、フェルシェは赤毛の受付嬢の名前を言ってしまったのか。恐る恐る赤毛の受付嬢を見ると、それはもう怖いぐらいの笑みを浮かべているではないか。青筋を立てながら。



「なぁに、その顔」


「黙って話を聞いてりゃあ、べらべら言いやがって」


「え」



 赤毛の受付嬢の口調にフランは目が点になる。それはもう低い声で言うものだから、流石のフェルシェも困惑した表情をみせた。



「ダアムバニーの意味も知らねぇで勝手なこと言いやがって、こっちがこの名前で十数年と悩んできたことも知らねぇくせによお。がたがた言ってるが、要はお前に魅力がない、性格も合わないからお断りしますって言われてるんだよ」



 笑顔、青筋さえなければ素敵な。そんな表情で荒れた口調を使う赤毛の受付嬢を今まで見たことなかったフランは動揺してしまう。


 男性が使うような口調で話すものだから、見た目と相まって違和感がとてつもない。けれど、赤毛の受付嬢はそんなものは知らないといったふうにフェルシェへと詰め寄っていく。



「何がはっきりしないのが嫌だって? 相手の態度を見れば脈もなければ、眼中にも入ってないことぐらい気づくだろうが。そんなことすらも察せられねぇとか、箱入り娘か何かだったわけ? そんな鈍感さでよくまぁ上手くいくと思ってたな、ポジティブ思考すぎない?」



 それはもう早口でまくし立てていく赤毛の受付嬢の圧にフェルシェは引いている。何か言い返したくとも、彼女から発せられる言葉が突き刺さっているようだ。若干、泣きそうな顔をしている。


 それでも逃げずに赤毛の受付嬢の隙を見て、「本性を現した!」と反撃するように食らいついた。けれど、赤毛の受付嬢は怯むこともない。



「本当はそんな言葉づかいで相手を見下していたのね!」


「本性? 隠したつもりもねぇわ!」


「はぁあ! どうせ、実力も大したことないのでしょ! そうやってキャラクターを作っていたのだから!」


「受付嬢の実力を疑うって? なら、見せてやろうか!」



 そう声を上げて赤毛の受付嬢は受付に立つサラを見る。その鋭い眼光にひぇっとサラは小さく鳴いた。


 怯えながらも「ハンターに渡す奴、出しな!」と指示されて、おずおずと依頼書を差し出す。



「これはカルロさん用だったけど、もういい。わたしがやってやるよ、その目で実力を確認すればいい!」


「いいわよ! 見せてみなさいよ、実力を!」



 売り言葉に買い言葉、二人はそう言い合ってからギルドを出て行った。その勢いときたら、誰にも止められないほどだ。


 これはとフランがアルタイルにどうしたらと聞けば、「追いかけるしかない」と彼はそれはもう疲れた様子を見せる。


 ハムレットは「申し訳ない」と謝って、周囲にいた冒険者たちも「ハンター頼むわ」と声がかかっている。



「ハンター、おれらがギルド長に訳を話しておくから、そいつ連れて追いかけてくれ」


「ハンターとギルド長にしか止められないから、あれ」



 冒険者たちにそう言われてアルタイルは「後は頼む」と返すと、ハムレットの首根っこを掴んで引っ張っていく。逃げようものなら首が閉まるように。


 ハムレットは大人しく着いていったので、フランはどういうことなのか気になりながらも、二人の後を追いかけた。



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