「ダアムバニーは北方の方言で〝馬鹿な子〟という意味がある」
山の中を歩きながらアルタイルは赤毛の受付嬢の名前について教えてくれた。ダアムバニーとは、北方の方言で〝馬鹿な子〟や〝おバカなお子様〟といった意味があるのだという。
赤毛の受付嬢の父は息子が欲しかったらしく、生まれてきたのが娘で激怒した。
馬鹿が生んだ子という意味でダアムバニーと勝手に名付けたのだ。彼女の母親は違う名前で呼ぼうとしたのだが、父親はそれを許さなかった。
最初は意味を知らなかった赤毛の受付嬢でも、成長すれば嫌でも耳にすることになる。それが元で苛めにもあったりと、幼少期は散々な日々を過ごしていたらしい。
そんな嫌がらせに負けるものかと赤毛の受付嬢は気が強くなり、真っ向から立ち向かっていた。父親に馬鹿にされようとも逆に怒鳴り返していたのだとか。
それから、武道の才能が開花して、母を連れて遠く離れたこの土地にやってきたということだった。
ギルドに所属する時に名前を登録しなければならず、仕方なくギルドに伝えはしたけれど、ギルド長に訳を話して名前で呼ばないようにしてもらったのだ。
けれど、赤毛の受付嬢は手際も良く、愛嬌もあったので男性受けが良かった。彼女に恋した一人の冒険者が名前を知りたくてこっそりと調べてしまう。
「そこからは想像ができるだろう。その名前で呼んだ冒険者は、さっきと同じように怒鳴られながら詰め寄られ、最終的に泣きながら土下座をさせられていた」
「ひぇ……」
これが一度ではなく、何度か起こったのだ。その度に怒った赤毛の受付嬢の姿を見て、驚き震える者、本性を隠していたと逆に怒る者、逃げ出す者といろいろいたと、アルタイルは話す。
手を挙げようとする冒険者もいたが、ギルド長お墨付きの実力がある赤毛の受付嬢に通じるわけもない。一撃も与えることなく、その冒険者は返り討ちにあった。
「ボロボロだったよな、あの時の冒険者……」
「俺が羽交い締めしても振りほどけそうな力で、カルロにも押さえてもらったからな……」
「そ、そんな怖い方だったのですか……」
「いや、受付嬢ちゃんは優しいんだよ。ただし、自分の名前を呼ばれたり、馬鹿にされたり、逆に褒められたりさえしなければ」
赤毛の受付嬢にとって自分の名前は嫌な思い出しかないものだ。トラウマでもある出来事を思い起こさせるので、口に出されるのも嫌で、それが馬鹿にされるものだと腹が立ち、何も知らないで褒められると苛立つ。
この地域ではダアムバニーの意味を知る者は少ないので、口に出してしまうというのは起こる。
あの姿が赤毛の受付嬢の本性というわけではない。怒った姿があれだっただけで、普段は優しく気配りのできる女性だ。名前さえ関わらなければ、滅多に怒ることなどしない。
「だから、このギルドに長くいる冒険者は彼女の名前を絶対に口に出さないし、新入りにもあの子は名前を呼ばれるのが嫌だから受付嬢って呼べと教えているんだ」
フェルシェが何処で聞いたかは分からないが、赤毛の受付嬢が怒ったら恐ろしいというのを知らなったのだろう。その上、あの状態の彼女に喧嘩を売ったのだ。
誰が止められるのか、経験があるハンターとギルド長ぐらいしかいない。だから、周囲に居た冒険者たちはハンターに頼んだということだった。
「カルロに回す予定だった依頼を使うとは思わなかったが……」
「カルロの機嫌を損ねるような魔物じゃないことを祈るぜ……」
カルロの機嫌を損ねるのも面倒なんだよとハムレットは肩を落とす。自分が招いたことなので文句も言えないようだ。
名前を変えるという選択をすることもできるが、赤毛の受付嬢はしなかった。理由を聞けば「母がバニーナと呼んでくれるから」と教えてくれた。
ダアムバニーという名前は嫌悪しているが、バニーという単語に罪はない。母はせめてもとバニーナと愛称で呼んでくれていた。
ダアムもバニーも聞きたくない単語であるけれど、それに罪はなく、愛称で呼んでくれる母の優しさを考えると名前を変える選択ができなかったと。
「わたしが名前を変えれば、母はそんな名前にしてしまったことを自分が夫を止められていればと責めるはずだ。口に出さなくともずっと自分を責め続けるのを受付嬢は分かっていた。母は何も悪くない、自分を責めないでほしい。だから、名前を変えることはしないのだとも言っていたな」
話を聞いてフランは赤毛の受付嬢の本心からの優しさを感じた。母を想い、嫌悪する名前を変えることをせず、単語に罪はないからと許して。
(私にそれはできるかな)
赤毛の受付嬢のような考え方を想い方をできるだろうか。フランは自信がなくて、彼女の強い想いを感じた。
だから、赤毛の受付嬢の怒りを理解できたし、誰かを落とすために相手が気にしていることを悪く言うべきではないと思った。これはフェルシェに一度、しっかり言おうとフランは心に決める。
「こっちに入った形跡はあるから道は合ってると思うんだけど……」
「そう時間は経っていない。追いつくと思ったが」
「あ! なんか声が聞こえますよ!」
フランが耳を済ませれば、少し離れたところから「ギャー」という悲鳴と「おうらぁ!」という掛け声が聞こえてきた。
声のする方へとフランたちが走っていけば、木の影で腰を抜かしているフェルシェが座っている。立ち上がることもできないようで、真っ直ぐに前を向いて目を離さない。
なんだろうかと、視線の先に目を向けてフランは固まった。