常々エギュンは、あっちゃんになりかわり、次代の魔王になりたいと願っていた。
これはわかりやすい野心だ。悪魔ならずとも、より上に行きたい、頂点に立ちたいというのは、誰でも一度は思うことだろうし。
一方、パイモンさんは。
「ずっと、パパから、お城を出ることを禁じられていましたので……良い異性とめぐり逢う機会も得られず、気付けばもう、あたしも適齢期です。パパが不在のときでも、アマイモンの監視がとても厳しくて……」
悪魔にも適齢期ってあるんだ?
それはともかく、パイモンさん、産まれてから今日まで、超がつく箱入り娘として育てられてたわけね。
出生の経緯を鑑みれば、あっちゃんの気持ちもわからなくはない。まさに珠のような一人娘。ずっと手許に置いて、大切に大切に守りたいという親心ではあるのだろう。
けれどそれだけでパイモンさんが幸せになれるかといえば、ノーだろうね。
自由恋愛というのが、必ずしも幸福な結末をもたらすという保証はない。でも、その機会すら得られないのは、やっぱり不幸なことだと思う。
城内に、同年代の幼馴染みの異性でもいれば、また違っただろうけどね……ええ、それはわたしの大好物です。
で、パイモンさんは、こんなことを考えたそうで。
「パパのおっしゃることも、わかるのですよ? 地上のお話を聞くにつけ、また書物なども随分読みましたが、どうも今の地上にいるのは、つまらない殿方ばかり。あたしと釣り合うような、強くたくましく美しい勇士はいないようです。そんなつまらない男に引っかからないよう、パパはあたしを地上へ出さなかったのでしょう?」
「お、おう。その通りだぞ」
あっちゃんは、若干、鼻白んだ様子でうなずいた。
パイモンさん、めちゃくちゃ理想高そうだよね……。美人ではあるし、無理もないか。
「だから」
ぴっ、と、パイモンさんは、右手の魔法のステッキを、玉座の上に渦巻く真っ黒いゲートへ差し向けた。
「地上によい男がいないなら、魔界から呼べばよいと考えたのです。エギュンにアマイモンの魔力を絞らせ、召喚石をこしらえて、ゲートを開かせたのは、そのためです」
ははあ。でもそれで、魔界からイイ男が来るって保証はあるんだろうか……。
「書物で読みました。魔界の五十四個軍団。それを統べる大元帥、魔界の大公爵アスタロート様。最高に強く、美しく、逞しい殿方であると。わたしは、ずっと憧れていたのです。婿に迎えるならば、アスタロート様しかいない、と。そのお方が、もうすぐ……もうすぐ、ここへやって来る。ああ、はやく、お逢いしたい……!」
うっとり呟くパイモンさん。
書物で読んだって……いったい、どんな本を読んだのパイモンさんは。
なんかもう恋に恋する乙女みたいな顔になっちゃってるし……。
パイモンさんの宣言に、一同しばし声もなく。
ガミジンさんは呆れてるみたいだ。あっちゃんは、単純にショックを受けてるっぽい。
わたしには魔界の大悪魔がどうこうという知識がないので、コメントしようがなくて、黙っていた。
アスタロートの名前くらいは聞いたことあるけどね。なんか凄い悪魔、というくらいのことしか知らない。
「そこのちんちくりん」
突如、キッと、わたしのほうを睨みつけてくるパイモンさん。もう誤解は解けてるはずなのに、ちんちくりん扱いは酷い……。
「あなた、本当に、パパのお嫁さんじゃないのですね? たまたまついてきただけの、変な子ですよね?」
変な子……。もう言いたい放題ですね。
でも不思議と腹は立たない、かな。
実際、いまこの場に、わたしみたいな人間の子が居合わせてるのって、やっぱり場違いだろうし。
で、わたしは、あえて声には出さず、こくこくとうなずいてみせた。
「よろしい。パパは信用できないけど、あなたは信用してあげましょう」
パイモンさんは、けぶるような微笑を浮かべた。
うおお。笑うと、その白い美貌がキラキラ輝いて、いっそうお美しい。その羽飾りのついた女児向け玩具っぽいティアラのせいで、なんか台無しだけど、あえて言うまい。言ったら殺されそうだし。
「いやいや、余のことも信用してくれよ。パパなんだからさぁ」
「邪魔をしないのなら許してあげます」
ぴしゃりと言い放つパイモンさん。
「んー……そうか」
しばし、思案顔を浮かべるあっちゃん。
「そうだな。アスタロートが出てくるまで、パパは手出ししない。ただ……」
「ただ、なんです?」
「いや、実際に自分の目で確かめてみるほうがいいだろーな。パパがどうこう言うより」
「なにか含みがある言い方ですね。そんなに、あたしが婿を迎えるのが気に食わないのですか?」
「んなこたあいわねーよ。パパだってなー、パイモンが幸せになれるなら、それに越したことはねえと思ってるぜ」
「だったら――」
とか言い合ううちに、ゲートのほうに異変が生じていた。
「来ますね……尖兵が」
ガミジンさんが呟いた。
さきほどのあっちゃんの話では、魔界五十四個軍団、まずはその尖兵にあたる部隊が、こちらへ突入してくる。軍団長らの率いる本隊は、その後に続いてくるだろう、ということだった。
「おっと、離れたほうがよさそうだな」
あっちゃんは、わたしとガミジンさんの手を引き、ささっと謁見の間の中央付近へと下がった。パイモンさんも、静かにわたしたちの横に並び立つ。
そうして、みんなゲートと距離を取り、見守ること、しばし。
ゲートの前面に、ぼうっ……と、青白い炎が浮かび上がった。鬼火ってやつ?
鬼火がひとつ、ふたつ……と見る間に、どんどん増殖してゆく。
続いて、最初の鬼火が、人型の影となって、本来の姿へ実体化を果たした。
んー? あれは見おぼえあるな。ゼンギニヤことマルボレギアによく似た、二足歩行の大トカゲ。
それが続々と実体化してゆく。
総数は、ひいふう、ええと……いっぱい。
ざっと見て三、四十体は下らない。
あのマルボレギアと同型の悪魔が、ゲートを抜けて実体化し、ひしめき並んでいる。
これは異様な状況だ……!
あっちゃんは、アスタロートが出てくるまで手出ししないと約束している。
じゃあパイモンさんは、彼らをどうする気だろう?
なんかあの悪魔さんたち、めっちゃコッチ睨んでるんだけど。