あっちゃんが呟いた。
「あれはアークデーモンだな。一応、上級といわれる部類さ。個々の魔力は、そこにいるエギュンにもひけを取らんぜ」
ほうほう。アークデーモンっていうんだ、あれ。
マルボレギアと同型、なおかつ四天王に匹敵する大悪魔。
以前、マルボレギアに大苦戦した経験もまだ生々しいのに。
それが四、五十、ってまた数が増えた。この広い謁見の間を、半ば埋める勢いでひしめいている。
あのー、どーすんの、これ。
「といっても……あいつら名無しだろうから、そんなに強くはないぞ。所詮は雑兵ってやつさ」
戸惑うわたしに、あっちゃんが解説してくれた。
悪魔の世界では、個体名の有無が、非常に重要な意味を持つという。
本来、悪魔は生まれたときは名無しであり、より上位の悪魔に個体名を授けられると、一段進化を遂げ、あらゆる能力が向上するのだとか。
さらに複数の上位悪魔から異なる名を授かると、そのいずれかを「真名」として持つことができ、さらに進化できるという。
悪魔ゼンギニヤには、マルボレギアという「真名」があった。あのトカゲがやたら強かったのは、そういう事情があったんだな。
でも、あっちゃん視点ではそんなに強くないといっても、人類には充分すぎる脅威だよ。それもあの数では……。
アークデーモンの大群は、静かな敵意を秘めて、わたしたちを睨みつけている。
なにせ相手は魔界の尖兵。その目的はおそらく、こちらの世界への侵略。
これは、血を見ないでは済まないだろう。
いったいどうなるのか……と見ていると。
「ここまでは想定内です」
パイモンさんが、すっと前に出て、アークデーモンらに語りかけた。
「あなたたち」
華麗な立ち姿で、優雅にステッキを打ち振り、言い放つ。
「名前が欲しくない? あたしが名付けてあげましょうか」
あ、そーくるか。
たちまち、ざわわっ! と、アークデーモンの列が激しく波打った。
「%☆#$★@*$★%!」
「&@*★! $%★*#☆◎!」
なんか口々に声をあげて騒ぎだした。
何言ってるのか、さっぱりわからないけど……。
「そう。わかりました」
パイモンさんは静かにうなずいた。いまのアークデーモンたちの謎言語、パイモンさんにはわかるのか。さすが魔王の娘。
「条件があります。名付けの代償として、あなたたち、あたしに仕えなさい。そうすれば悪いようにはしません。少々、ブラックな職場ですけれど」
「%☆#$★@*$★%$%#*#☆◎!」
「&@*¥! $%★*#☆◎!」
ええー、みんな喜んで盛り上がってる。
ブラック職場? むしろご褒美です! とかいってそうな雰囲気。いや実際どうなのかはわかんないけど。
「ではみんな、そこに並んで。ひとりずつ、名前を付けてあげましょう」
たちまち大行列ができた。意外とみんなお行儀がいい……。
「あなたは、アーです」
最初の一体に名前が付いた。アーって。適当すぎませんか。
一瞬、そのアークデーモンの全身が虹色の輝きを帯びた。
「……おお、力が増した! 感謝いたします、女王様!」
光が収まっても、外見はあんまり変わってない。
ただ言語は明瞭に、顔つきは若干穏やかに、両目には、それまでと異なる理知と理性の光が宿っている。
魔力、体力、さらに知能面でも、確かに一段、進化してるっぽい。凄いな、名付け効果。
「あれはですね。自らの魔力を分け与える行為なのです。見ためより、名付ける側の負担は大きいのですが」
ガミジンさんが、そっと教えてくれた。
「ただ、パイモンさまは、マスターと同等の魔力をお持ちです。悪魔の百や二百ぐらい、魔力を分けても、なお余裕がおありでしょうね」
ほえー……あっちゃんと同等。それはすごい。魔王の娘は伊達じゃないね。
「わたしに背きさえしなければ、よき待遇を約束しましょう。わかりましたね? アー」
「ははっ、女王様!」
嬉々として、ささっと跪くアークデーモンのアーさん。
パイモンさんはそれを眺めて、鷹揚に微笑んだ。
うん。女王様か……その格好で……。
下手になんか言ったら殺されそうだから、わたしはあえてノーコメントで。
「では次。あなたは、イーです。次、あなたは、ウー」
テキトーすぎぃ!
いや、でも、これだけ数があると仕方ないのかな。番号じゃないだけマシ?
「……はい、あなたで最後ですね。あなたは、ンーです。今後はそう名乗りなさい」
結局、五十音順全部使い切り、最後は「ん」で締めた……。発音しにくそうなんだけど、いいのかな。
「ありがとうございますンー! 頑張ってお仕えいたしますンー!」
当の個体は喜んでるみたいだ。語尾がおかしなことになってるのは、名前の影響なのか、なんなのか。
「われら、女王パイモン様に、とこしえの忠誠を誓います!」
最初に名付けられたアーさんの宣誓とともに、この場に出現したアークデーモンちょうど五十一体すべて、パイモンさんの前に一斉に拝跪し、違背無き旨を誓った。
めでたしめでたし……なのかな?
「ほー、ちゃんと、出てくる奴らへの対策は考えてたんだな。さすが余の娘、見事なもんだ。余も鼻が高いよ」
やけにホクホク顔でうなずくあっちゃん。これを娘の自発的成長ととらえて、素直に喜んでるようだ。
でもこれ喜んでる場合かな……。
「ん? どしたー、レッデビちゃん。なんか浮かない顔になってるけど」
「あー……ちょっと、きになることが」
パイモンさん、もう自分の手下を大量に従えて、女王様とまで呼ばれちゃってますけど。このシュヴァンガウにおいて、魔王様と女王様が並び立つ状況になったってことだよね。そういうの、新たなトラブルの元になるのでは、という懸念が。
「きゅうに、あたらしーあくまさんたちが、増えたでしょ。このおしろ、だいじょーぶなのかなー、って」
「ああ。言いたいことはわかる」
あっちゃんは、問題ない、といわんばかりに笑った。
「もともと、この城はパイモンのために建てたんだ。もしパイモンが無事に成長したら、いずれは城も、魔王の座も、パイモンに譲って、余はどこかに隠居するつもりだったのさ」
おお、シュヴァンガウの建設には、そんな思惑が。
どうりで、やけにロマンチックな外観の城館だと思ったけど……なるほどパイモンさんのイメージとよく合う。なんか白鳥っぽい雰囲気とか。
「ただな……。今度のムコ取りは、ちょっと、パイモンには難しいかもしれねえ。残念なことになるかもな」
ふと、あっちゃんは、眉をひそめた。
「よりによって、アスタロートとは……」
そういえば忘れかけてたけど、いまここにいるのは、魔界の大軍団の、ほんの尖兵。
まだ後があるんだった。
おそらくパイモンさんのターゲット、大公爵アスタロートも、じきに現れるのだろう。
どういう悪魔なんだろう?
あっちゃんは、なにか知ってるみたいだな。それも、あまりよくない意味で。