パイモンさんの願いに、大公爵アスタロートは「その望み、聞き届けよう」と快諾を与えた。
「だが、すぐというわけにはいかぬ。少し猶予をもらうが、よいな?」
「はっ、はいっ! どうか、よろしくお願いしますっ!」
ぺこりと頭をさげるパイモンさん。顔つきは真剣そのものだ。そりゃムコ選びだものね。素敵な伴侶を迎えられるといいな。
そこへ。
「よ、大公。お疲れさん」
あっちゃんが歩み寄って、気軽に声をかけた。
「久しいな、アリオク」
フッ、と、アスタロートの顔に笑みが浮かんだ。なんという不敵で素敵なイケメンスマイル。つい、みとれてしまう。
「卿がケテルを去ったのは、いつ頃だったか。よもや、異界に渡って魔王を名乗り、娘までつくっているとはな」
「はっはっは、昔のことは言ってくれるな。余もいろいろあったんだよ」
「そうか。だが、今でもケテルの城に、卿の席は残っているぞ。いつ戻ってもよいように、と」
「あのおっさん、余計なことを……」
苦笑を浮かべるあっちゃん。
なんだろう。このお二人、随分気安い仲みたいだ。
「あの……アスタロートさま。父とは、どういうご関係で?」
パイモンさんが尋ねる。
アスタロートは、あっちゃんと軽く笑みを交わし合って、応えた。
「汝の父君は、かつて魔界の客将として、長くケテル城に逗留していた。当時は、剣の騎士アリオク、と呼ばれていたのだよ」
「いやー、そんな長居するつもりはなかったんだけどな? 所詮、余は外様の流れ者だしなー。でも、ルキフゲが、どうしても居てくれって泣いて頼んでくるから、千年ばかし、あっちに居たんだよ。この世界に迷い込む前の話さ」
あっちゃんは、一時期、魔界の中心地であるケテル城に留まり、その武力を見込まれて大魔王ルシファー直属の将となり、近衛隊を率いていたそうな。
「つっても、大魔王の顔は見たことねーけどな。代理者のルキフゲを通して、ちょくちょく雇用条件の調整、交渉をやってた程度だ。で、そういう席に必ずいたのが、そこの大公どのってわけ。そんなに話したことはなかったけど、顔見知りではあるな」
「ねえ、ルキフゲって?」
いつの間にか、わたしも当たり前みたいに会話に混ざって、あっちゃんに質問していた。誰もツッコミを入れてこない。
そして当然のように質問に答えるあっちゃん。
「ルキフゲ・ロフォカレ。魔界の宰相だよ。カネ勘定にやたらうるさくてなあ」
ほほう。経理担当なのかな。魔界にもそういう人……っていうか悪魔がいるんだなあ。
「……ところで」
ふと、アスタロートの視線が、わたしに向けられた。あ、ようやくツッコミが来る?
アスタロートの眼差しは、やけに穏やかというか優しげというか、さながら子猫を眺める猫好きの好青年みたいな慈愛に満ちていた。わぁ、なんてきれいな目なの。
「この小動物は、何だ? アリオク、卿が飼っているのか」
本当に子猫扱いだった。
あっちゃん、パイモンさん、アスタロートさんの三者は、玉座のそばに腰をおろして、今後の話し合いをはじめた。
アークデーモンズ五十一体は、パイモンさんの背後に控えている。
彼らは、つい先刻まで、たまたまビナーに住みついていた名無しの悪魔たちで、アスタロートさんに仕えていたわけではないんだとか。ゆえにアスタロートさんも、彼らの存在を気に留めていないようだった。
玉座の上には、相変わらず、真っ黒い瘴気が、静かに渦を巻いている。
「このゲート、放置しておけば、いずれ効果は切れるという話であったな?」
アスタロートさんの問いかけに、パイモンさんが応えた。
「はい。召喚石に蓄えられた魔力が尽きれば、ゲートは消滅します」
「できれば維持してもらいたいのだが……可能だろうか」
「ああ、できるぜ」
あっちゃんが言う。
「ただ、定期的に、コアになってる召喚石に魔力を注ぎ込む必要がある。それもけっこうな量をな」
「それは、あたしがやります。このゲート自体、あたしの術式ですので」
「では、汝に任せるとしよう。ビナー側の召喚陣については、我が管理を行う」
「これで、いつでも、魔界とこちらを往復できるのですね?」
「そうだ。汝の望みを叶えるには、このゲートを活用するのが手っ取り早いと思うのでな」
パイモンさんは、アスタロートさんに、自分のおムコさんを見繕ってほしい、と望んだ。
アスタロートさんはそれに応じた。魔界とこちらの世界とが常時繋がっていれば、連絡を取り合うのも容易だし、お見合いのセッティングなどにも都合がよい、ってわけだね。
「ではその件はそれでよいとして、今後のことだが……」
「あーはいはい、どうせ、あっちに顔出せってんだろー?」
あっちゃんがため息まじりにつぶやく。
それを眺めて、フッ、とアスタロートさんが微笑んだ。
「どのみち、今回の件はロフォカレの耳にも入るだろう。卿が黙っていれば、今度はあちらから押しかけて来るぞ」
「うわー、そりゃ勘弁……。わーったよ、一緒に行くぜ」
うなずくあっちゃん。
「えっ、パパ、魔界へ行くんですか?」
パイモンさんが、ちょっと意外そうに尋ねた。
「ああ。あっちで、今後の身の振り方について、ちっと話し合ってくる」
「どういうことですか?」
「前々から言ってただろ。この城は、おまえのために建てたんだよ。おまえにはもう直属の配下もできた。あとはムコ取りを見届けたら、この城は正式におまえに譲渡するつもりだ」
「じゃあ……あたしが結婚したら、パパは、魔界に戻るというんですか?」
「多分そうなるなー。だがよ、このゲートで繋がってるなら、いつだって往復できるわけだろ。だったら何も問題ねーんじゃねーか?」
「ええ、それは確かに……けど、パパは前からおっしゃってましたよね。この世界の人間たちと、モンスターたちの共存を目指している、って」
「それも、おまえに任せるよ。ちょうど、レッデビちゃんっていう、面白い人間とも知り合えたしな」
あっちゃんとパイモンさんが、同時にわたしに顔を向けてきた。
ん? ここでわたしの話になるの?
そのわたしはというと。
三者の会談中ずっと、アスタロートさんの膝に乗せられて。
まさに子猫のごとく、頭をなでなでされていた……。