ラヴォレ・テッカー伯爵との交渉は、まずまず成功裡に終わった。
ついカッとなって、長々と推し語りなどしてしまったものの、かえってラヴォレ氏の心証は良くなったようで。
今後も必要に応じて互いに援助していきましょう、ということで話をまとめることができた。
「それでは、また後日」
そう告げて、わたしひとりで、うまみみ亭を出てきた。メリちゃんさんたち、まだラヴォレ氏に用事があるみたいだったからね。お見送りは不要、ということで。
外に出ると、空が茜色に染まっていた。そろそろ日暮れが近い。
でもまだお夕飯には早いかな。
ならば、ラヴォレ氏のこともあるし、大聖堂に顔を出してみようかな? 早めにレオおじさんと面会して、テッカー伯爵家について話しておくべきかもしれない。
あ、でも、その前に。
冒険者組合本部に寄っておこう、と思い立った。
ちょうど、うまみみ亭と街路を挟んだ、はす向かいに、もうその立派な建物の玄関口が見えている。
木造三階建て。古いけれど、いかにも頑丈そうな、御殿っぽいつくりになっている。壁と屋根は朱と金に塗られていて、周囲に軒を連ねる木造建築のなかでは、ひときわ人目を引く鮮やかさ。
わたしはこれまで、アルカポーネ、サントメール、ブランデル、の各地方の冒険者組合にて登録を済ませており、それらの地方では、冒険者としておおっぴらに活動できるようになっている。
でもまだ、王都の組合本部には登録していなかった。
せっかく近所まで来たのだから、ついでに手続きしておきましょう。
と思って、街路を渡り、本部玄関の前へとさしかかったとき。
「あら?」
と、背後から、声をかけてきた人がいる。
よく知ってる声だ。
厳密にいえば人じゃないけど、そう呼んで差し障りないでしょう。
つまり、パイモンさんだ。
そういえば、いまは、うまみみ亭に泊まってるんだっけ。
振り向くと、そのパイモンさんは、ちょっと戸惑いの表情を浮かべた。
「えっと……レッデビちゃん……? いえ、人違いだったかしら?」
あ、そっか。いまのわたしは、偽装眼鏡を掛けてるモブ顔の女生徒Bだった。
でも、完全に見抜けてはいないにせよ、なんとなく、わたしの存在を感知しているとは。
この完璧な偽装眼鏡でさえ欺ききれないとか、さすがは魔王の娘。侮れない。
「人違いじゃないですよ」
わたしは、軽く微笑んで、スッと眼鏡を外してみせた。
パイモンさんは、目を見張って、声をあげた。
「あっ! やっぱりあなただったのね! 驚いた! 全然別人みたいに見えたわ!」
「ええ。この眼鏡に、そういう魔法を掛けてあるので。ガミジンさんと一緒に作ったんですよ」
「そうだったの! 凄い眼鏡じゃない! そういえばガミジン、あなたのこと、いつも心配していたわよ」
「え、ガミジンさんが、わたしを?」
「そうよ。キレると何をやらかすかわからないから、今頃またどこかで暴れてるんじゃないか、って」
そんなブレーキが壊れたダンプカーみたいに思われてたのか、わたし……。
でも、ガミジンさんがわたしを心配してくれてるというのは、素直に嬉しい。ガミジンさんのほうこそ、元気でいてくれてるといいんだけど。
「それで、パイモンさんは、もう登録を済ませたんですか? わたしは、これから登録しようと思って」
と訊くと、パイモンさんは穏やかにうなずいた。
「ええ。ルリマスの組合の登録証を見せたら、あっさり審査を通ったわ」
そういえばルリマスの街で冒険者をやってた、って言ってたっけ。
でもあそこの組合、近所の湖で、タコ型邪神を捕獲するのが主なお仕事じゃなかったっけ。冒険者組合というより漁協だよねそれ……。
「でも、今日のところは、あまり面白そうな依頼も見当たらなかったから、宿に戻るところよ」
だそうで。
「そこの宿の、105号室に泊まってるから。しばらくはそのまま逗留するつもり。何かあったら、いつでも訪ねてきてちょうだい。とくに、エギュンの情報を掴んだら、真っ先に伝えてね」
「わかりました!」
「ふふ、じゃあ、またね」
パイモンさんは、典雅な微笑みを残して立ち去っていった。
やっぱり美人だなあ……。
あれだけの美人なら、変なコスプレさえしてなきゃ、男性なんていくらでも寄ってくるでしょう。いい人が見つかるように祈っておきます。
「……さてと」
すちゃっ、と眼鏡を再装着し、あらためて組合本部の玄関へ……。
向かおうとして。
足が、止まった。
大きく左右に開け放たれた、本部玄関ドア。
その向こうに。
立っていた。
見知った同級生の。
彼が。
学園の制服姿じゃない。
灰色の長衣をまとって、手に短杖を横たえる……いかにも魔法使い、といういでたち。
その、同級生の、彼が。
さながら、森の中で突然大怪獣に出会った子供みたいな、なんとも物凄い顔を、わたしに向けていた。
そう、黒髪長身のクラスメイト、辺境伯家長男。
ザレック・リヒター。
その人だ。
いやでもなんで、上級貴族の嫡男さんが、こんな場末にっ? それも魔法使いの格好で?
しかもなんか、めっちゃくちゃ驚いて、すっかり固まってちゃってる様子。
え?
まさか?
見られてた? わたしが偽装眼鏡を外したところを?
わたしの素顔、見られちゃってたの?