冒険者組合本部の両脇は、細い路地になっている。左右どちらからでも、建物裏側へ通り抜けが可能。
その本部建物の裏は、だだっ広い空き地。
ゲーム「ロマ星」とまったく同じだね。
そのゲーム内、隣国からの留学生エルメキア王子を攻略する「白球熱血スポ根ルート」において、この空き地は、ルナちゃんとエルメキア王子の秘密の特訓場として使われる。
ブラス・ボールという球技の奥義を体得すべく、ルナちゃんはここでエルメキア王子の指導のもと、さまざまな猛特訓を受けるのだ。
……この現実で、そうなるのかはわからない。ルナちゃんが来年、学園に入ってくるのは確実だけど、彼女がどのルートに進むのかは現時点では未知数だからね。
ともあれ現在、ここはまったくの空き地。実は冒険者組合の所有地で、大規模な戦闘訓練施設を建てる計画があったらしいのだけど、予算不足で頓挫して、ずっとそのままになってるそうな。
この草木もまばらな空閑地の片隅にて、わたしと、辺境伯家嫡男ザレック・リヒターは、少し距離を置いて向き合っていた。
お互い、入学初日に教室で自己紹介をやっているので、名乗りは不要。
まず開口一番、わたしから訊いた。
「見ましたか」
何を見たか、なんて聞くまでもない。
ここで無駄にトボけてきたり、茶化すような態度を取るなら、最初から話し合いの余地はない。
悪意ある輩、話の通じぬ手合いと見做して、相応の処置をするだけ。
……と思ったのだけど。
「見た。眼鏡を取ったら、別人みたいな顔なんだな」
ごく神妙な態度で、ザレックくんは生真面目に質問に応じた。
よし。こういう人なら、まともに話が通じる可能性が高い。
「わたしは普段、この眼鏡で、いまの姿を装っています。理由があって、なるべく、素顔を人前に晒さないようにしているのです」
わたしが語ると、ザレックくんは、いよいよ申し訳なさげに、肩をひそめてみせた。
「そうだったのか……。ただ、見てしまったのは、故意ではないんだ。そこは、信じてくれないか」
おや。上級貴族の嫡男とは思えぬ謙虚ぶり。
リヒター辺境伯は王国有数の武門の名家。そこの嫡男ってことで、もっと、いかにも傲岸不遜オラオラ系男子なイメージを勝手に抱いてたんだけど。
全然そんなことはなくて、むしろ、真面目くん……なのかな?
「わかっています。素顔を晒してしまったのは、わたしの油断。あなたは何も悪くありません」
「そうか……。わかった。このことは誰にも言わない。秘密は墓まで持っていく。それでいいか?」
百点満点な解答いただきました。まるで、こちらが何を望んでるか、見通してるかのようだ。
「ええ。そうしてくだされば、何も問題ありません」
わたしがうなずくと。
「ただ……」
と、彼は、少し表情をあらためて、じっと、わたしの顔を見つめてきた。
「そのかわり……というわけでもないんだけど、ふたつばかり、俺の質問に、答えてくれないだろうか」
そらきた。秘密を守るかわりの、交換条件ってやつ?
言い方はやんわりだけど、こんなふうに切り出されたら、お断りできませんよね。
質問ふたつ、ですか。いったい、わたしから、何を聞き出そうというんですかね。眼鏡掛けてる理由、とか?
「わたしにお答えできるものならば」
ちょっぴり警戒しながら、短く応じた。
「ああ、いや、たいしたことじゃないんだが……」
ザレックくんは、少し何事か思い出すような顔をしながら、こう訊いてきた。
「今から十年ほど前。ルリマスにいなかったか? ルリマスの公園で、誰かとぶつかった記憶はないか?」
「はあ」
十年ほど前っていうと、五歳ぐらい……。
ちょうど王国縦断マラソンの真っ最中。初めてルリマスを訪れたのが、それくらいの時期だったはず。
ルリマスといえば……。
初めてレオおじさんと出会った場所だね。
それで、レオおじさんと一緒にタコ型邪神を食べて、競馬ならぬ競豚を観戦した。あれは楽しかったなあ。
それから……。
公園で……。
ああ。
ぶつかったね。男の子と。ゴツン、と。
それで、頭にでっかいタンコブができちゃってたので、回復魔法をかけてあげたっけ。
たしか黒髪の、同い年くらい……の……男の子……。
んん?
「え、あの、もしかして」
わたしは、呟いた。
「あのとき、わたしに横からぶつかってきた……」
「や、やっぱり、きみだったのか」
ザレックくんは、驚くというより、納得したというような表情を浮かべていた。
「思い出しました。確かに、そういうことがありましたね」
わたしは素直に肯定した。
なんたる偶然だろう。あのときの、かわいい男の子が、こんな男前になっちゃったかー。
「入学試験のとき、きみを見かけてから、たぶんそうじゃないか、という気がしていたんだ」
「なぜ、そう思ったんですか?」
「試験のとき、回復魔法を使ってたのが見えた。それも無詠唱で」
ザレックくんは答えた。
「あのとき……ルリマスでぶつかったとき、無詠唱で回復魔法をかけてくれただろう? そんなことができる魔術師なんて、世間に何人もいないよ。だから、入学試験で同じことをやってたきみを見て、もしかして、と思ったんだ。年頃もぴったり合うし」
んー。無詠唱魔法かー。それで特定されちゃったかー。十年前のルリマスの、ほんの小さな出来事をね……。
そういえば、あのとき、小さい彼は、ずいぶん驚いてたっけ。
詠唱無しで魔法を使ってみせたのが、彼にはよっぽど珍しいものに映っていたんだな。
わたしにしてみれば、詠唱というのは、魔法の効果を効率よく引き出すための補助にすぎなくて、やらなくても大抵の魔法は、念じるだけで普通に使える。詠唱したら多少、威力が上がったり持続時間が伸びたりする、という程度のもの。
わたしの父もそう。基本的に詠唱しない派だった。
ただ、昔、レオおじさんから教わった話だと……。
「それは、きみら親子がおかしいんだ。世間のほとんどの者は、どんなに優れた素養を持っていようが、詠唱しなきゃ、魔法は使えない。おれだってそうだぞ? うちの教会で無詠唱魔法なんて使うのは、それこそ教皇猊下くらいだろう」
だそうで。
なるべく目立たぬよう行動しているつもりでも、つい、知らず知らず、わかる人にはわかるような真似をしちゃってたんだな、わたしは……。
いけない、こんなことでは。
今後はもっともっと慎まねば。
と、海より深く反省しつつ。
ちょっと気になることがあったので――。
わたしはこっそり、ザレックくんに『鑑定』魔法を掛けてみた。
もちろん無詠唱で。