教室に入ると。
「おはよう」
さっそく、ザレックから挨拶の声。
もう自分の席について、机になにやら書物を広げている。教科書じゃないな。魔法書?
「おはよう。早いね」
見渡せば、まだ数人しか教室に来てない。彼はずいぶん早く出てきたみたいだ。
「読みかけの本があってね。授業が始まる前に読み終えとこうと」
「それ? 魔法の本?」
「魔法工学の入門書だよ」
ん? 魔法工学?
「物体に永続的魔力を付与するための基礎理論を解説してくれてる。きみはとっくに通り越してるレベルのものだけどね」
あー、そういう本か……。
わたしはそのへん、ガミジンさんの直接指導を受けて、いわば身体で覚えちゃったからなあ。いま掛けてる眼鏡が、まさにその産物だし。
でも、そうだな。
たとえ知ってる分野でも、一度はきちんと体系的に学ぶことも大事だ。そこから新たな発想が生まれることもあるし。
「その本、あとで、わたしにも読ませてくれる?」
「そうか。興味あるなら、あとで渡すよ」
「ん。それじゃ、あとでー」
わたしは、自分の席へ向かおうと、振り向いた……。
ダイアナが、ちょっと離れたところで、にこにこ微笑んでいた。
それはもう楽しそうに。いいものを見た! という顔して。
彼女、わたしたちのやりとりを、ずっとそんな顔で眺めていたらしい。
いや、ザレックとは、そんなんじゃないんですけどね?
その後、昼食を済ませて、ザレックから魔法工学入門書を借り受けた。
ダイアナは、その際にも、嬉しそうな顔して、わたしたちを眺めていた……。
なんか、あらぬ誤解を受けてる気がするけど、わざわざムキになって否定するのも、なんだし。放置でいいか。
さて、放課後である。
わたしとダイアナは、裏庭の桜の木の下で、二人きりで向き合っていた。
同好会の結成式。
わたしはよく知らなかったのだけど、同好会を結成する際は、発起人と賛同者が集い、「儀式」を執り行うのが、この学園における慣習なのだとか。
ダイアナが、その「儀式」の詳細を調べたというので、ではその通りにやってみましょう、ということになり。
現在、地味めな女学生二人が、こんな裏庭で向かい合っている、という。
わたしとしては、ザレックや、メリちゃんさん一味なども呼ぼうかと思ったのだけど、ダイアナがいうには。
「まずは、二人で、活動方針などを話し合って決めませんか。賛同者を引き入れるのは、その後から、ということで」
なるほど一理ある。そういうことは少人数でシンプルにやったほうがいいよね。人数が多いと、決まるものもなかなか決まらなくなるし、下手すると結成前に意見対立、空中分解、なんてことにもなりかねないからね。
それで、結成の「儀式」とは、いかなるものかというと。
まずダイアナが、ささっと地面に蓆を延べた。藁を編んだだけのシンプルなやつ。
そこに、ふたり向き合って座る。
次いで、わたしが用意してきた水筒から、木製のお椀ふたつへ、水を注ぐ。これは先ほど、学食のそばの井戸から汲んできた、ただの飲料水。
「さ。ガルベスさん」
「はい」
わたしたちは、桜の花びら舞い散るなか、それぞれ水の入ったお椀を高々と掲げ合った。
二人、声を揃えて、誓言をおこなう。
『我ら、同好の絆をここに結ばん。願わくは、この縁、とこしえに続かんことを』
そして、二人同時に、お椀の水をぐっと飲み干す。
ぷはー。
なんだかなあ。桃園の誓いならぬ、裏庭の誓い?
「儀式はこれで終わりです。これで、わたしたちは同好会の同志となりました」
ダイアナが、ほっこり笑顔でお椀を置いた。
ううむ。そう笑うと、豊かなダイアナほっぺが、さらにふんわりと柔らかそうに膨らむ。ちょっと、ぷにぷにって、してみたくなる。しないけど。
「それで会の名称なのですけど。アルカポーネさんが決めてください」
と、いきなりダイアナは命名をぶん投げてきた。
であれば。
「えっと……『ルードビッヒ様とポーラ様の素晴らしさを語る会』では駄目ですか?」
昨日、ザレックにはそう説明した。もちろん正式にそう決まったわけじゃなく、わかりやすく概要を伝えたかったので。
実際、これでも、そんな悪くはないと思うんだけどね。
ただまあ。
「長すぎませんか、それ」
ですよねー。当然の反応だと思います。
「それに、ルードビッヒ様のお名前を団体に冠してしまうと、少し、難しいことになるのではありませんか」
あ、それはそう。こちらがたんなるファンクラブのつもりでも、周囲からは政治活動の団体と見られかねない。
色々とマズいことになりそうだ。これはダイアナが完全に正しい。
「んー、確かに。では、これは諦めます。といって、他に……」
悩むこと、しばし。
ここで、ふと、アイデアが思い浮かんだ。
素早く、自分のカバンを、ささっと探る。
「えっと……あ、これでいいか」
わたしは、一本のペンを取り出した。
何の変哲もない、普段使いの筆記用具である。
「ガルベスさん。ちょっと見ててください」
「はい」
「……むむ」
脳内に魔法の術式を描く。
ペン先に、魔法を掛ける。
脳内で編んだ術式を外部に転写するイメージ。
ペン先が、ぱあぁっ、と、金色に輝いた。
「まあ!」
驚声をあげるダイアナ。
「これで文字を書くとですね……」
自分のカバンに、ささっとペン先を滑らせる。
『ルードビッヒ』
という、金に輝く文字列が、カバンの表面に刻み付けられた。
「どうなってるんですか、これ?」
「魔法工学というものです。ごく簡単なものですが」
パチン! と指を鳴らすと、ペン先の輝きは消え去り、カバンの文字列もかき消えた。
「ようは、道具に魔力を付与する技術です。応用すれば、もっと色々と、便利な道具を作り出せるでしょう」
「すごいですね! あ、もしかして、それでルードビッヒ様とポーラ様を応援できるような道具を作ったり……?」
「ええ、できると思います」
簡単なものだと、拡声器とか、サイリウムみたいな光る棒とか。
この世界にはまだカラー写真というものがないので、魔法工学でそういうのを作ってみる、というのもアリか。
それでルードビッヒとポーラを撮影……とか。
あ、喋るフィギュア、なんてのもいいな! そのためには盗聴、いや集音マイクで録音とか……そういうの作って男子寮に仕掛けてみるか? 駄目かな?
いやそんな妄想はともかく。話を続けないと。
「……どんな道具を作るか、それをどんなふうに作って、どう使うか。みんなでアイデアを出し合いながら、より深く、楽しく、ルードビッヒ様とポーラ様を応援していく。そんな集まり、いいと思いませんか」
わたしの提案に、ダイアナは。
「ああっ! いいです! それ! とっても素敵ですっ!」
全力で乗ってきた。ええ、そう言うと思ってましたとも。
「それで、名称ですけれど。ここはあえて地味めに、魔法工学研究会、でいかがでしょう」
「はい! 活動内容に沿っていますし、とてもいい響きです! それでいきましょう!」
「決まりですね」
「ええ。あと、せっかくですから、わたしたち、ファーストネームで呼び合うことにしませんか」
にっこり微笑むダイアナ。同好の誓いを交わした直後、最高のタイミングでの提案。もちろん、わたしに否やはない。
「わかりました。よろしく、ダイアナ」
「ええ。末永く、誼みを結んでくださいね。シャレア」
ダイアナとわたしは、その場で、しっかと握手をした。
桜舞う裏庭に、固い絆は、かくして結ばれた。
……よもや、この一幕が「桜花の義盟」とか称され、極限まで美化誇張のあげく、後世まで語り草にされようとは。
このとき、わたしは想像すらしていなかったのである……。