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#157


 ドアを開けたら、エプロンつけた王子様が微笑んでいた。

 アラフォー王子様だけど。

 当然、驚いた。ダイアナは、わたし以上に驚いていた。

 ダイアナはわたしと違って、これまでいくつも大貴族主催のパーティーに出ている。

 だから多分、マルケ殿下の顔や背格好も知ってるんだろうね。

「あの。もしや」

 そのダイアナが、おずおずと口を開いた。

「ああ、きみ、僕を知っているのかな?」

 マルケ殿下は、にこやかに訊ねてきた。

「はい、あの……マルケ殿下、であられますか?」

 ダイアナが応える。

「その通り、僕はマルケだよ。……ふむ」

 マルケ殿下は、ダイアナの姿を眺めて、ふと気づいたように、つぶやいた。

「見覚えがあるね。確か、ガルベス子爵家のご令嬢だったかな?」

「はい。ダイアナ・ガルベスです」

「そうか、思い出した。先年のブランデル侯のパーティーにいたね。うん、見違えたよ。すっかり美人になったね」

「あ、ありがとうございます」

 さっとうつむいて、恥ずかしそうに応えるダイアナ。

 ううむ、紳士だな。流れるように女子を持ち上げる。さすがは第一王子さま。

 とか勝手に感心してると、そのマルケ殿下、今度はわたしのほうへ、穏やかな眼差しを向けてきた。

「では、そちらの眼鏡のお嬢さんが、シャレア・アルカポーネ嬢かな」

 ……なんで第一王子さまが、わたしの名前を知ってるんだろう?

「はい。おっしゃる通り、シャレア・アルカポーネです。マルケ殿下。お目にかかれて光栄に存じます」

 内心ではちょっと焦ってるのだけど、どうにか表面は平静を装いつつ、ご挨拶できた。

 とはいえ、やはり、こう訊ねなければなるまい。

「あのー。わたしをご存じなのですか?」

「ああ。コープスどのから、色々と話は聞いているよ」

 当然のようにマルケ殿下はうなずいてみせた。

 そうかー。マルケ殿下、レオおじさんのお知り合いだったかー。

 これは意外……でもないか。聖光教の枢機卿にして、先日までガリアスタ大聖堂の責任者をやってたのがレオおじさん。

 見ためは全然そんな偉く見えないし、実際そう偉ぶったところもない人だけど、実は偉い人なのだ。第一王子と顔見知りだっておかしくはない。

 ん?

 あれ、もしかして、そういうことなの?

「では、あらためて挨拶しよう。僕はマルケ・アウェイク。この国の王子だ。少し、事情があってね。このお店の所有者であるコープス氏の紹介で、ここで商売をやらせてもらうことになった」

 やっぱり、そういうことかー。

 商売をやりたがってる知り合いがいる、そいつに店を任せようと思ってる……と、つい先日、レオおじさんから聞かされてたけど。

 そのお知り合いが、まさか第一王子さまだとは。しかも現在ただいま王宮から逐電中。

 レオおじさんは、もうとっくに事情を把握してるんだろうな。下手すると、レオおじさんこそが、事態の背後で糸を引いている首謀者だったりするかもしれない。

「もう知ってるかもしれないけど、僕はいま、王宮から逃げてきてる身でね。今後は偽名を使わせてもらう。どうか僕のことは、マルクと呼んでもらいたい。二人とも、いいかな?」

 一字違いじゃないですか。たいして変わらないような……。

 でもここは、素直に応じておくべきでしょう。

 相手は王族。雲上の貴顕。無駄なツッコミを入れて、ご機嫌を損ねるわけにもいかないしね。

「わかりました。マルクさん」

「はい。マルクさん、ですね」

 わたしとダイアナは、ともにうなずき、承知の旨を伝えた。ダイアナも、わたしと同じ考えのようだ。ここは、無闇な詮索などはするべきじゃない、と。

「うん、それでいい。さてと。実は、ついさっき、開店準備に取り掛かったところなんだ」

 マルケ殿下あらためマルクさんは、いそいそと背後の棚に向かい、ティーセット一式を取り出して、カウンターに置いた。

 厨房にはもう火が入っていて、湯気を噴くヤカンも見えていた。

「二人とも、そこに座って。ちょっと、味見をしてもらいたい」

 なんと、マルクさん手ずから、お茶を淹れてくださるらしい。

 もちろん、わたしとダイアナは興味深々、カウンターの席についた。

 マルクさんは、なんとも楽しそうに、慣れた手つきで用意を進め、ヤカンのお湯をティーポットに注いだ。

 蒸らし、抽出、待つ間もあらば。

 ほどなく、ふたつの白磁のカップに、琥珀色のお茶が注がれた。

 ほわほわと湯気がたち、マスカットにも似た、かなり強い芳香が漂ってくる。うわ、これ、めちゃくちゃ高級な茶葉だ。

 近所の市場で扱ってる普及品じゃない。ひとつまみで、同量の宝石ぐらいの価格で取引されるようなやつ。

 もしやこれ、王宮から持ち出してきたの?

 ダイアナもびっくりしている。

「この香り……! もしかして、すごくお高いものでは?」

「ん、そうなのかな? いや実は僕、あまりそのへん詳しくなくて。部屋に置いてあった茶缶をいくつか、適当に見繕って、持ってきただけなんだ」

 そう言って、マルクさんは穏やかに微笑んだ。

 なんというテキトーな。人当たりはよくても、やはり王族なんだなあ。鷹揚というか、なんというか。

 第一王子が普段嗜んでるような茶葉なら、そりゃ高級品でしょう。最高等級のお茶でしょうとも。

 わたしとダイアナは、おずおずと、カップに口をつけた。

 まず鼻先にかぐわしきフルーツ系フレーバー。

 口に含めば、ほわぁん、と広がる、ほのかな茶葉の甘み、深いコク。

 遅れて、わずかな渋味が、スッと舌の奥を通っていく。

 これは。

「お、おいしい……!」

「ほわぁー……」

 二人して、思わず声が出ていた。

 もう、めっちゃくちゃおいしい、見事なストレートティー。

 淹れ方も完璧だ。第一王子は紅茶の達人だったのか。知らなかった。感動すらおぼえるおいしさだ。

「どうだろう? これで商売、できると思う? 採点を願いたいんだけど」

 と、機嫌よさげにきいてくるマルクさん。

「0点」

「0点です」

 わたしとダイアナは、同時に答えていた。お互い、考えることは同じみたいだね。

「えっ? まずかった?」

「いいえ。おいしかったですよ。でも」

 と、わたしが言えば。

「いくらなんでも、お茶っ葉が高級すぎますよ。これで商売は難しいと思います」

 とダイアナが続けた。

 いくらここが貴族街に近い王都のアップタウンとはいえ、たった一杯で庶民のひと月ぶんの収入が吹っ飛びそうなお茶で、カフェをやっていくのは、さすがに無理がありすぎる。

 これじゃ、まだ営業を始めさせるわけにはいかないな。

 まずは最適なお茶っ葉の選び直しから始めるとしましょうか。





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