ドアを開けたら、エプロンつけた王子様が微笑んでいた。
アラフォー王子様だけど。
当然、驚いた。ダイアナは、わたし以上に驚いていた。
ダイアナはわたしと違って、これまでいくつも大貴族主催のパーティーに出ている。
だから多分、マルケ殿下の顔や背格好も知ってるんだろうね。
「あの。もしや」
そのダイアナが、おずおずと口を開いた。
「ああ、きみ、僕を知っているのかな?」
マルケ殿下は、にこやかに訊ねてきた。
「はい、あの……マルケ殿下、であられますか?」
ダイアナが応える。
「その通り、僕はマルケだよ。……ふむ」
マルケ殿下は、ダイアナの姿を眺めて、ふと気づいたように、つぶやいた。
「見覚えがあるね。確か、ガルベス子爵家のご令嬢だったかな?」
「はい。ダイアナ・ガルベスです」
「そうか、思い出した。先年のブランデル侯のパーティーにいたね。うん、見違えたよ。すっかり美人になったね」
「あ、ありがとうございます」
さっとうつむいて、恥ずかしそうに応えるダイアナ。
ううむ、紳士だな。流れるように女子を持ち上げる。さすがは第一王子さま。
とか勝手に感心してると、そのマルケ殿下、今度はわたしのほうへ、穏やかな眼差しを向けてきた。
「では、そちらの眼鏡のお嬢さんが、シャレア・アルカポーネ嬢かな」
……なんで第一王子さまが、わたしの名前を知ってるんだろう?
「はい。おっしゃる通り、シャレア・アルカポーネです。マルケ殿下。お目にかかれて光栄に存じます」
内心ではちょっと焦ってるのだけど、どうにか表面は平静を装いつつ、ご挨拶できた。
とはいえ、やはり、こう訊ねなければなるまい。
「あのー。わたしをご存じなのですか?」
「ああ。コープスどのから、色々と話は聞いているよ」
当然のようにマルケ殿下はうなずいてみせた。
そうかー。マルケ殿下、レオおじさんのお知り合いだったかー。
これは意外……でもないか。聖光教の枢機卿にして、先日までガリアスタ大聖堂の責任者をやってたのがレオおじさん。
見ためは全然そんな偉く見えないし、実際そう偉ぶったところもない人だけど、実は偉い人なのだ。第一王子と顔見知りだっておかしくはない。
ん?
あれ、もしかして、そういうことなの?
「では、あらためて挨拶しよう。僕はマルケ・アウェイク。この国の王子だ。少し、事情があってね。このお店の所有者であるコープス氏の紹介で、ここで商売をやらせてもらうことになった」
やっぱり、そういうことかー。
商売をやりたがってる知り合いがいる、そいつに店を任せようと思ってる……と、つい先日、レオおじさんから聞かされてたけど。
そのお知り合いが、まさか第一王子さまだとは。しかも現在ただいま王宮から逐電中。
レオおじさんは、もうとっくに事情を把握してるんだろうな。下手すると、レオおじさんこそが、事態の背後で糸を引いている首謀者だったりするかもしれない。
「もう知ってるかもしれないけど、僕はいま、王宮から逃げてきてる身でね。今後は偽名を使わせてもらう。どうか僕のことは、マルクと呼んでもらいたい。二人とも、いいかな?」
一字違いじゃないですか。たいして変わらないような……。
でもここは、素直に応じておくべきでしょう。
相手は王族。雲上の貴顕。無駄なツッコミを入れて、ご機嫌を損ねるわけにもいかないしね。
「わかりました。マルクさん」
「はい。マルクさん、ですね」
わたしとダイアナは、ともにうなずき、承知の旨を伝えた。ダイアナも、わたしと同じ考えのようだ。ここは、無闇な詮索などはするべきじゃない、と。
「うん、それでいい。さてと。実は、ついさっき、開店準備に取り掛かったところなんだ」
マルケ殿下あらためマルクさんは、いそいそと背後の棚に向かい、ティーセット一式を取り出して、カウンターに置いた。
厨房にはもう火が入っていて、湯気を噴くヤカンも見えていた。
「二人とも、そこに座って。ちょっと、味見をしてもらいたい」
なんと、マルクさん手ずから、お茶を淹れてくださるらしい。
もちろん、わたしとダイアナは興味深々、カウンターの席についた。
マルクさんは、なんとも楽しそうに、慣れた手つきで用意を進め、ヤカンのお湯をティーポットに注いだ。
蒸らし、抽出、待つ間もあらば。
ほどなく、ふたつの白磁のカップに、琥珀色のお茶が注がれた。
ほわほわと湯気がたち、マスカットにも似た、かなり強い芳香が漂ってくる。うわ、これ、めちゃくちゃ高級な茶葉だ。
近所の市場で扱ってる普及品じゃない。ひとつまみで、同量の宝石ぐらいの価格で取引されるようなやつ。
もしやこれ、王宮から持ち出してきたの?
ダイアナもびっくりしている。
「この香り……! もしかして、すごくお高いものでは?」
「ん、そうなのかな? いや実は僕、あまりそのへん詳しくなくて。部屋に置いてあった茶缶をいくつか、適当に見繕って、持ってきただけなんだ」
そう言って、マルクさんは穏やかに微笑んだ。
なんというテキトーな。人当たりはよくても、やはり王族なんだなあ。鷹揚というか、なんというか。
第一王子が普段嗜んでるような茶葉なら、そりゃ高級品でしょう。最高等級のお茶でしょうとも。
わたしとダイアナは、おずおずと、カップに口をつけた。
まず鼻先にかぐわしきフルーツ系フレーバー。
口に含めば、ほわぁん、と広がる、ほのかな茶葉の甘み、深いコク。
遅れて、わずかな渋味が、スッと舌の奥を通っていく。
これは。
「お、おいしい……!」
「ほわぁー……」
二人して、思わず声が出ていた。
もう、めっちゃくちゃおいしい、見事なストレートティー。
淹れ方も完璧だ。第一王子は紅茶の達人だったのか。知らなかった。感動すらおぼえるおいしさだ。
「どうだろう? これで商売、できると思う? 採点を願いたいんだけど」
と、機嫌よさげにきいてくるマルクさん。
「0点」
「0点です」
わたしとダイアナは、同時に答えていた。お互い、考えることは同じみたいだね。
「えっ? まずかった?」
「いいえ。おいしかったですよ。でも」
と、わたしが言えば。
「いくらなんでも、お茶っ葉が高級すぎますよ。これで商売は難しいと思います」
とダイアナが続けた。
いくらここが貴族街に近い王都のアップタウンとはいえ、たった一杯で庶民のひと月ぶんの収入が吹っ飛びそうなお茶で、カフェをやっていくのは、さすがに無理がありすぎる。
これじゃ、まだ営業を始めさせるわけにはいかないな。
まずは最適なお茶っ葉の選び直しから始めるとしましょうか。