あれからクロはお母様に、『改めて頼む。どうか俺様にフィレンツェアお嬢ちゃんの事を守らせてくれ!』と頭を下げた。
お母様としてはクロがジェスティード王子の元守護精霊だった事に関してだけは少し思うところがあったようだ。だが、事情が事情なだけにと承諾してくれたのでクロはとても嬉しそうだった。お母様も今の状況には危機感を感じているのだろう。
まぁ、「でも、フィレンツェアちゃんの守護精霊はアオちゃんだけなんですからね!」となぜかツンとそっぽを向いている辺り“快く”では無いかもしれないが。クロ自身も私の守護精霊になるつもりはないって言っているのに、なぜお母様が拗ねているのだろうか。
しかしクロはそんなお母様の態度をさほど気にする様子もなく、さっそく公爵家中の使用人たちや守護精霊たちに挨拶をして回りたいと言い出した。その姿はなんだか楽しそうにも見えたのでもちろん喜んで案内をすることにしたが…………うん、お父様はずっと気絶したままなので後回しにしよう。たぶん、起きた後でクロを見たら守護精霊のたぬきと共にまた気絶しそうではあるけれど。
そして、クロと離れるのを嫌がって駄々をこねるセイレーンをルルが鷲掴みにして連れて帰ったのだが、あまりに泣いて喚くので痺れを切らしたルルがクロの鬣を勢い良くごっそりとむしり取ってセイレーンに渡したのには衝撃を受けた。
『痛ぇっ?!おい、ルル嬢ちゃん!ハゲたらどうしてくれんだっ!?』
「だって、セイレーンがうるさいんだもぉん!もしハゲたらセイレーンの治癒魔法でフサフサにしてあげるから大丈夫だよ!それにほら、セイレーンはこんなに嬉しそうだし?」
確かにセイレーンは千切れた鬣を抱えて嬉しそうに潤んだ瞳をうっとりとさせている。やっと泣き止んだセイレーンを見てクロは『まぁ、そんなに気に入ったってんなら……別にいいけどよ』と照れているようだった。クロもセイレーンに好意を向けられて満更でもないのかもしれない。
「また明日ね!」
にっこり笑って大きく手を振ったルルの顔はなんだか晴れやかだった。……いや、今は姿を消してるけどそっちの手にセイレーンを握ってるんじゃなかったっけ?ぶんぶん振り回してるけど、セイレーンは大丈夫だろうか……『目がぁぁぁ回るわぁぁぁ〜』うん、大丈夫じゃなかった。
それから屋敷の中を案内しながら使用人たちみんなにクロの紹介と挨拶をして回ったのだが、その途中でクロは弾んだ声を出した。
『それにしても、この屋敷は賑やかでなんかいいなぁ!みんな俺様を見ても全く物怖じしねぇし、こりゃ最高だ!あんなちっこい精霊たちに群がられたのも初めてだが、人間に全然怯えられなかったのも初めてだぞ!』
『ふぉっふぉっふぉっ!公爵家にいる守護精霊たちも使用人たちも、みんなアオ様の気配で鍛えられておりますからのぉ!それに今日からはクロ殿も我々の仲間ですじゃ。申し訳ありませんが、王家に携わる精霊たちのように形式ばったような事などをイチイチやるような守護精霊や人間はここにはおりませんのであしからずご了承くださいですじゃ』
クロの背中の上で穏やかな笑みを浮かべてそう言っているのはお母様の守護精霊であるコウテイペンギンの長老だ。私と一緒に公爵家の屋敷の中を案内してくれているのだが、さすがと言うべきかすっかりクロと打ち解けているようだった。ちょっぴり皮肉を言ったような気もするけれど、クロと長老はそれすらも楽しんでいるように見える。(でも、お父様とたぬきはきっとクロに怯えて気絶する)
たぶん長老はお母様に言われてお目付け役として付いてきたのだろう。だが、それは杞憂だったとわかったようだ。長老のつぶらな瞳は新しい仲間を歓迎しているようでとても嬉しそうだった。
『ハハハ!その方が助かるってもんだ!俺様は元々、堅苦しいのはどうにも苦手でなぁ。しかし王家連中の守護精霊たちはそうゆうのが
クロはそう言いながら息を吐いてから苦笑いをした。どうやらジェスティード王子の守護精霊と言う立場は王家の精霊たちの中でも特殊だったようだ。詳しくは聞いていないが、そのせいでジェスティード王子が調子に乗っていたのにも困っていたのだとか。確かに自分の守護精霊に他の人間がかしずいているのを見たら、あの王子ならそれすらも自分の手柄だと調子に乗りそうだとは思った。
それでも、精霊同士の仲はそれなりに良かったらしく少し寂しそうである。
『まぁ、いいさ。もう全部、終わったことだしな……。俺様はもう過去は振り返らねぇことにしたんだ。ここでは俺様は新参者だからな、どんどんこき使ってくれて構わねぇぞ!』
そう言って豪快に笑ったクロの姿に、長老が『それは頼もしいですじゃ』と目を細めた。
私的には、クロならばすぐにブリュード公爵家に馴染みそうな気はしていた。それから残りのみんなにも挨拶をし終えたが、誰ひとり嫌な顔をすることなくクロを受け入れてくれたので一安心である。
「これで終わりよ。屋敷の中の場所はだいたいわかったかしら?」
『ああ、問題はねぇよ』
長老がお母様の元へ帰るのを見送り、最後に私の部屋へ案内するとクロは部屋の中をぐるりと見渡す。
『……ああ、この部屋には特にあの“青い精霊”の気配が色濃く残っているな。これだけでも、アオがどれだけフィレンツェアお嬢ちゃんを大事にしているのかがよくわかるってもんだ。────あのオッドアイの王子といい、フィレンツェアお嬢ちゃんといい、それにこの公爵家のみんなやルル嬢ちゃんでさえ……俺様には羨ましくて仕方がねぇ。人間と守護精霊のいい関係ってのがちゃんと出来てやがる。“お互いを信頼し合う”っていうのは、言葉で言うほど簡単じゃねぇからな。
どこで間違えたのか、俺様には……出来なかったことだ』
ポツリと呟いたクロの背中はどこか寂しそうだった。ジェスティード王子の守護精霊を辞めた事を後悔はしていないとは言っているけれど、それでも思うところがあるのだろう。
「クロ……」
なんと声をかければいいのかわからず、私はそのまま黙ることしか出来なかった。だって「そんなことないよ」なんてセリフなど、クロにとってはなんの慰めにもならないとわかっている。クロだってそんな言葉を望んでなどいないのだ。
私はジェスティード王子の事なんか大嫌いだ。だが、クロにとっては大切な人間だったとよく知っている。どんなにわがままで、理不尽な事ばかり言ってきても……ジェスティード王子がこの世に生まれ落ちた瞬間から、いいえ、その前から見守ってきた大切な命だっただろうから。