「相変わらず汚いな、お前の部屋は」
文句を言いながら玄関で靴を脱ぐ客人に、俊太は構うことなくスリッパを投げつける。背中に当たったそれを無言で履くと、新藤は廊下の端々に脱ぎ散らかされた靴下や飲みかけのペットボトルをまたいで部屋まで来た。
「うるせぇな、これが落ち着くんだよ。まぁ、適当に座れって」
俊太がそう言って冷蔵庫に酒を取って戻ると、新藤は本や服を綺麗に片した一角に座っていた。意外と潔癖症の新藤らしく、その手にビールを渡して笑う。
「とりあえず、おつかれー」
缶を開けて、お互いに最初の一口を流し込む。買ってきたつまみをテーブルに出しながら、俊太は最初のジャブを打つ。
「この間は、悪かったな。さゆりが感じ悪かっただろう。俺、あいつと店に行く前に別れ話で揉めてさ」
「え、お前たち別れるの? なんだかんだで、結婚するものだと思っていたけど」
ゴーヤチャンプルーを端で物色しながら、新藤が驚く。マンションの下にあるスーパーで買い出しをしている時、新藤が真っ先にこれを選んで文句を言ったが、どうやら一人ででも食べたいらしい。苦みがいいというが、俊太には全く理解できなかった。
「別に他に誰かいるとか、じゃないんだ。でも、あいつへの気持ちはもう限りなくないっていうか」
「おー、モテる男は違うねぇ」
「いや、モテねぇし。しかも、あの後あいつすごく酔っぱらって……。結局うちに来たから、なんとなくそうなって」
「なんだそれ。全然別れる気ねぇじゃん」
学生時代に戻ったようなやりとりをして笑った後、新藤がポケットから小さなメモ帳を出した。そう、今夜は旧友と飲むために来たのではない。事件の調査、つまり新藤は仕事の一環で訪ねてきている。新藤から電話をもらった時から、俊太はどこまでをどう話すべきか考えて来た。しかし、まだ答えは出ていない。一人で決めるには、荷が重い。そっと唾を飲み込み、乾いた口の中を潤すようにビールを含んだ。
「悪いな、忙しいのに。でも、探偵事務所は盗聴される可能性もある。警察だと、きっとお前が話しにくいだろう。店だと……なぁ」
「全然かまわないよ。俺も、共有したいとは思っていたし。結局、お前が一番知りたいのって」
「そうだな。やっぱり一番は理沙の父親……、藤本さんの事件だろう。お前、何を知っているんだ。もちろん、捜査上の秘密だとは思う。でも、絶対に俺は口外しない」
メモ帳にペンを走らせながら、まっすぐに新藤が見つめてくる。俊太は、視線を外すと、小さく息を吐いた。
「いいんだ。仕事とはいえ、むしろこれまで黙っていて悪かったよ。でも、よく聞け。俺はこれを話すことで刑事を首になる覚悟もあるし、もう二度と話さない」
新藤の顔に、さらに緊張が走る。それでも、俊太は迷っていた。
「これは、俺がやっと刑事になった頃の話だ。ある事故で死んだ女が、ある迷宮入りした事件の家族だって分かって、現場がざわついたんだ。もしかしたら事故じゃないかもしれないって」
俊太は、当時の緊張していた自分を思い出しながら話す。周囲の先輩は口が悪く、態度も横柄だった。でも、常に周囲を警戒して思考を巡らせたかと思えば、酒を飲みにつれていってくれて豪快に騒ぐ。その差に驚きながらも、憧れが増すばかりの頃だった。
「実際には、事故だったんだけど。迷宮入りの事件の方が注目されて。俺も資料を見る機会があったんだ。それを見て驚いたよ。理沙ちゃんの父親の名前が載っていた。しかも、失踪したことで、重要参考人の一番目だったんだから」
「どうして理沙の父親だって知ったんだ?」
「最初は、捜査資料に理沙ちゃんの名前があったからな。事情聴取をされていたんだ。といっても、彼女はまだ高校生だったし……色々あって、大概は母親の方だったみたいだ」
俊太の脳裏に、捜査資料に書かれていた病院の名前が蘇る。参考資料として貼られていた写真に映る理沙は、病院のベッドの上にいた。
「そこに、善さんや叔父さんもいたんだな。それって、どういう事件だったんだ? 俺、ネットでも検索をしてみたけど出てこないんだよな。時代が古いって言うのもあるけど」
「問題は、そこだな。結論として、殺人の要素が薄いんだよ。迷宮入りといっても、最後は事故死で処理されている。事件は、地方の山の寺で起きたんだ」
俊太は、袋からさらにつまみをとって、皿に出す。新藤が必死でメモをする手帳を盗み見ながら、話を紐解いていく。
それは、理沙や俊太を含む世代が、高校生の頃の話だった。トレジャーハンターとして活動していた善、藤本、近藤、新藤の叔父である優作、そして死亡した丸井は、時々集まっては探検のようなことをしていたようだ。大抵、昼間に活動をした後、近くの旅館や山寺に泊まっては酒を飲みかわし、それまでの自分のハンター実績を自慢し合うのが常だったという。
「その時は、山寺にある彫刻が目当てだったみたいだな。寺の住職がしつこく交渉されたっていう証言も書いてあった」
「ハンターっていうより見学ツアーみたいだな。それがどうして、殺し合いになるんだ?」
「捜査資料によると、食事に出されたキノコに間違って毒が入っていたらしい。宿泊客は、幻聴や幻覚を見て、五人も侍がいるって大騒ぎをしたみたいなんだ」
「それで、喧嘩になったと。それなら、事故だよな。丸井ってやつは、崖下に突き落とされたんだろう?」
「そうだ。調書によると、丸井が近藤に襲い掛かったらしい。それも、ナイフを持って。優作さんはものすごく笑っていたようで、当時のことを覚えていないと書いてあった。とにかく面白かったと。善さんは、嘔吐をしていたようで侍に怯えながらトイレに籠っていたそうだ。唯一、キノコを食べなかったのが藤本だったんだ」
「確かに、理沙もキノコ類は嫌いだって言っていたな」
新藤は、こんな話題でも理沙のことを話す時に口元が緩む。俊太は、そんな二人の愛情をうらやましくもあり、少し憎らしくもあった。すでに自分の前にいない人間を、どうしてそんなに強く想えるのだ、と。
「藤本は、丸井に襲い掛かられている近藤を助けるために引きはがし、寺の外へ連れ出したらしい」
「それで?」
「翌朝、崖の下で死んでいる丸井が発見されたんだ」
「なんだそれ。そんなの、藤本さんが突き落としたっていう証拠は何もないじゃないか。それに、幻覚を見ている男なら事故ってこともあるし」
「でも、藤本は警察の調書を受けることなく、姿を消した。失踪したんだ。まるで逃亡するようにな。後から、藤本は丸井から借金をしていたことも分かったんだ。怪しいだろう」
「ただ、指名手配をされたり、容疑者にされたりしていないだろう」
いちいち新藤の質問は鋭い。だからこそ、面倒くさくもあるのだ。
「警察だって馬鹿じゃないさ。無駄に手配をして訴えられるわけにもいかないからな。大々的でないだけで、捜査は継続中ってことさ。でも、漏れていない情報がほとんどだ。気を付けてくれよ」
俊太がいうと、新藤は再びメモ帳にペンを走らせている。最近は、新藤の周りに姿を見せている藤本を、警察の誰もが見つけられないことに俊太は驚いていた。逃げ方が尋常でなく心得ているようだ。新藤の事情を知っていると、ついすでに藤本も幽霊で、事務所の人間にしか見えていないのではないかと考えてしまう。
「それならやっぱり、近藤先生は自殺なのかな。でも、今更なんのために……」
新藤は、顎の下を撫でながら考えている。確かに、警察が調べたところによると、近藤は自殺で決まりのようだった。だが、大学教授として名誉を築き、仲間にも金にも困っていない人間が、学校で自死する理由が思い浮かばない。突発的な衝動だとしても、わざわざ生徒の前に飛び込む必要があったのだろうか。
「怪しい人影を見た者はいない。むしろ、お前がもらったメモの紙が一番怪しいと思っている。捜査上に報告をはしていないけれど、もし近藤が自殺だったにしても、何かに切羽詰まっていたということだろう。仕事や家庭の悩みでなければ、昔の事件に関連しているかもしれない」
「とにかく、仲間割れをしていたってことだな。だから、表立ってそのメンバーが集まるようなこともなくなったし、一緒にハンターもしていない。でもきっと、裏で連絡はとりあっているんだろうな」
新藤が、わしわしと両手で頭をかき回す。俊太は、新藤におかわりのビールを差し出しながら、手帳に書き込まれるメモをぼんやりと見つめていた。