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第九章『Overnight』②

 約束の土曜日。

 今日はもう最初から泊まることがわかっているので、怜那とは昼食を済ませて午後からにしようと話していた。

 そろそろ時間だな、と空き時間を利用して仕事をしていた沖が時計を見たとき、ちょうどインターホンが来客を告げる。

 とりあえずさっと机の上を片付けて、沖は玄関へ向かった。開けたドアの向こうには、大き目のリュックを背負った恋人が笑顔で立っている。

「その荷物、いったい何を持って来たんだ?」

「何って、着替えと洗面道具とか。たいした量じゃないよ、リュックが大きいだけ。ちょっとした旅行用のしかなかったから。でも服って軽いけど結構嵩張るんだよね、今の季節は薄着だからまだいいけど」

 中へ通しながらの沖の問い掛けに、怜那は確認するように返して来た。

「あ、それ以外には別に何も要らないよね?」

「それだけあれば、もう他は要らないだろ。お前が何を想定してるのか知らないけど、ウチにあるものは全部使っていいから」

 いったい他に何が? と浮かべつつ訊いた沖に、怜那の口から出たのは意外な代物だった。

「えーと、タオルとかかな。友達んとこは、タオルに限らないんだけど予備なんてそんなにないことが多いからさ。いつも泊まりに行くときは、私一人じゃなくて複数だから余計になんだけど」

「タオルはもちろん持って来なくていいよ。普通のもバスタオルもちゃんとあるから」

 合宿所じゃあるまいし、と苦笑交じりの沖の言葉に、定位置のベッド脇のラグに腰を下ろした彼女はよかった、と微笑む。

「その子たちの部屋ってたいてい狭いワンルームか、せいぜい1Kだから。しかも大抵二、三人で行くから凄いよ、まさに雑魚寝ざこねって感じで。……どう考えても『パジャマパーティー』なんて可愛いもんじゃなくて『雑魚寝』なんだよね。なんでだろ、『女子がパジャマで』までは同じ筈なのにさぁ」

 内容は半ば文句でも、怜那は実に楽しそうだ。

「なんかお前の話聞いてると懐かしいよ、あーそうだったよなって。しかし俺が大学生だったのなんて、ほんの数年前のはずなのになぁ、凄い遠い昔に感じるのは何なんだろうな」

 沖の、年の差を感じさせる発言に、彼女は可笑しそうに声を立てて笑った。

「でもさ、そういう子たちの部屋と比べたらやっぱりここ、沖さんの部屋って結構広いよね。この部屋の広さっていうより、ダイニングキッチンが別にあって食事はそっちですればいいっていうのが」

 学生の部屋を基準にすれば、やはり沖の部屋は余裕があるように見えるのかもしれない。きちんと片付いているせいもあるだろうが。

「そりゃまぁ、学生と一緒にする方が失礼なのかもしれないけど」

 親がかりの学生と社会人では、やはり根本的に違うことくらいは、怜那も承知の上だ。

「でも一人暮らしの子のとこ泊めてもらうのってさ、今の季節はなんとでもなるからいいけど、寒くなったらこんなの絶対無理じゃないのって感じだったよ。だって、春ならちょっと肌寒くてもエアコンがあれば十分だけど、冬はエアコンだけじゃ寒いだろうし。毛布や布団の予備なんて普通はないしさ」

 友人の部屋に泊まりに行った時を思い出しながらいろいろ話していた怜那が、急に少し声のトーンを変えた。

「だけど、全然知らない土地にひとりって、私は経験ないけどやっぱり寂しいんだろうなぁ」

 なんだかんだと文句を言いつつも呼ばれて押し掛けて行くのは、友人の寂しさを紛らわせてやりたいからなのだろう。

 怜那は一見そうは見えないが、実際にはかなり優しく思いやりのある性格だ。

 ……誰にでも、とはいかないけれど。

 寂しい友人の気持ちに、おそらくはさり気なく寄り添ってやっているのだろう彼女に、沖もわざわざ言及することはしなかった。

 いい子だな、なんて褒められても、この恋人が反応に困るだろうことはわかる。

「そうだな。俺は大学時代は寮だったから、寂しいなんて感じる暇もなかったけど」

 怜那の内面にはそれ以上触れることなく、沖は自分の話で返した。

「たまには一人になりたかったってくらいでさ。でもホントに一人きりだったら、やっぱり最初は辛いかもな」

「え、沖さんて寮だったんだ? 全然知らなかった」

 沖の言葉に、怜那は少し驚いたようだ。

「うちの大学にも寮はあるんだけど、個室じゃないのと二年くらいしかいられないらしいから。知らない人と同室になるのがイヤとか、どうせ途中で引っ越すんならって入りたくない子もいるみたいだったな」

「大学によって、その辺の事情はまったく違うだろうな」

「あーでも、そっかぁ。それってつまり沖さんにも、私と同じような時期があったってことなんだよね」

 何か不思議、と妙にしみじみと呟いた彼女に、沖は笑ってしまう。

「当たり前だろ、俺にだって大学時代も高校時代も、もっと言うなら子ども時代だってあったんだよ」

「それくらい、私だってちゃんとわかってるよ。わかってるけどさぁ、やっぱ沖さんはずっと年上の人だから、なんか別世界っていうか」

「まぁ、な。それって親にも子どもの頃はあったんだけど、当然だって理解はしててもなんかヘンな気がするのと同じかもしれないな」

「あ~、そう! そういう感じかも」 二人でいろいろとお喋りして時間を過ごし、そろそろ日も暮れる頃。

「夕飯どうする? なんか食べに行こうか?」

 沖の言葉に、怜那は承諾を返した。

「そうだね。昼はともかく夜は、私の作るものよりその方がいいな」

「いや、お前の料理はホント凄い美味いよ。いつも作ってくれて助かってるし、ありがたいと思ってるから──」

 彼女の料理に不満があり作って欲しくないための申し出ではない、と沖は少し焦ってフォローする。

「ありがと。でも私、そういう意味で言ったんじゃないよ。フツーに今日は外の方がいい。──それに『作るのはお前の役目だろ!』みたいな方がやだ、絶対」

「そんな厚かましいこと、言うわけないだろ……」

 心外だ、とまでは口に出さないものの呟いた沖に、怜那は感心したように返して来る。

「沖さんのそーいうとこ、やっぱいいね。ホントの大人って感じ」

「いや当たり前! これが普通だから。覚えとけ!」

 ムキになる沖を、怜那はハイハイと軽くいなした。

「私、こんな時間までここにいるのも初めてだしね。沖さんが普段食べてるようなお店に行ってみたいかな。ちょっと興味ある」

 さらりとした彼女の声に、沖も安心して「じゃあ、駅前でも行こうか」と腰を上げた。


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