すぐにハリッシュが部屋にやって来る。デスクの上の羊皮紙を見せると、ハリッシュが考え込む。
「何か思い当たる事は無いか?」
聞くとハリッシュは難しい顔をして言う。
「今は何とも。早急にお調べ致します。」
そう言ってハリッシュは頭を下げ、部屋を出て行く。椅子に座り込む。どうしたら良いのか、何から手を付ければ良いのか…。
「殿下。」
クラーク卿が声を掛けて来る。クラーク卿の顔を見るとクラーク卿は精悍な顔つきで言う。
「少しお休みになって下さい。殿下にまで倒れられては困ります。」
真摯な眼差し。その瞳には芯の通った強さがあった。息をつき、クラーク卿に言う。
「夜会の前に君に話した事を覚えているかい?」
クラーク卿が少し笑って頷く。
「はい、殿下。」
背もたれに寄り掛かり、言う。
「あの話はあくまで可能性の話だったが、今の君を見ていると私の中でそれが確信に変わって行くのが分かるよ。」
クラーク卿を見る。
「君は強い。それは剣の腕だとか、そういう意味では無く、人として強い。少なくとも私はそう感じている。」
クラーク卿は微笑み、言う。
「殿下のお話の真偽がどうであっても、私が殿下をお支えする事に、変わりはございません。」
クラーク卿の瞳…その瞳を見ているとどうにも泣きたくなって来る。視線を落とす。
「殿下、一度、リリアンナ様にお会いになった方がよろしいかと。」
クラーク卿にそう言われて私は少し笑う。
「そうだね、リリーは今、きっと無力感でいっぱいだろうしな。」
クラーク卿を包む雰囲気が柔らかくなるのを感じる。
「殿下がリリアンナ様からの治癒をお受けになれば、それはリリアンナ様の自信の基盤にもなります。殿下もお疲れでしょうから、リリアンナ様からの治癒をお受けになり、そのお疲れを癒されればお二方にとって、それ程良い事は無いでしょう。」
クラーク卿を見る。こういう判断が出来る事、それがもう既に答えでは無いのか?
私は昨日の夜に彼に送って貰い、部屋に戻ってからベッドに入りはしたものの、なかなか寝付けなかった。私の力が跳ね返され、体ごと飛ばされた。その時に感じた違和感。あの拒絶される感覚は一体何なのだろう。今まで自分の力が拒絶されるなんて事は一度も無かった私にはそれが何なのか、分からない。ただ、何か邪悪なものが自分の力を邪魔している事だけは分かる。私は大神官様に白百合乙女だと宣言された身。その私が癒す事が出来ないとしたら、他の誰にもそれが出来ない事になる。もしそうなら国王様は今のまま眠り続けるのか、最悪の場合は…そこまで考えて私は恐ろしくなった。私はまだ完全に自分の力を把握しきれていない。どこまで出来るのか、なんて分からない。不安で、不安で眠れなかった。
「リリー様。」
声を掛けられ閉じていた瞼を開ける。ソフィアが私を心配そうに見ていた。
「おはようございます。」
そう言われてもう朝なのだと知る。
「フィリップ殿下がお見えです。」
そう言われて体を起こす。昨日の夜、フラフラだった私の体は、ほんの少し回復していた。
「お会いになれそうですか?」
ソフィアが私の体を支えながら聞く。
「えぇ、大丈夫です。国王様の事も気掛かりなので。」
ソフィアは私の髪を梳き、濡れた布で私の顔を拭いてくれた。
「リリー、おはよう。」
フィリップ様がお部屋に入って来る。眠っていないのだろう、お顔にお疲れが見える。フィリップ様は私の居るベッドに腰掛ける。
「眠れなかったかい?」
聞かれて私は頷く。フィリップ様が微笑む。
「そうだよね、私も眠れなかったんだ。」
フィリップ様の手が私の頬に触れる。
「リリー、これだけは最初に伝えさせて欲しい。」
フィリップ様の手に触れる。自然と光が溢れ出し、フィリップ様の体を光が包む。
「君は何も悪くない。君は出来る事をやってくれた。今もこうして私を癒してくれている。それは他の誰かでは出来ない事なんだ。だから自分を責めないで欲しい。」
そう言ってくださるフィリップ様は本当にお優しいのだと分かる。きっと責めたいに違いない。私が白百合乙女なら、どんな病気でも、どんな症状でも治せないといけないのに。涙が溢れて来る。
「泣かないで、大丈夫だから。」
フィリップ様が私の手を握る。
「昨日の夜に分かった事を今から話すよ、だから良く聞いて。」
フィリップ様を見る。フィリップ様は変わらず微笑んでいる。
昨日の夜にかなりの事があったようだった。国王様は西の郊外に住むディル・マルタンという下級貴族に毒を盛られた。その者は捕らえられ今は地下牢に居る。
「私が知り得た事を順を追って話そう。」
フィリップ様はそう言って、近くに居たソフィアにも座るように促し話し始める。
「以前から白百合乙女について調べていて、とある書物に白百合乙女についての記述を発見したんだ。何百年も昔、国を揺るがすような争いが起こった切欠は双子の王子の誕生だった事はリリーも知っているね。」
そう、だから双子の妹や弟は忌み子と呼ばれて来たのだ、私のように。
「実はその争いの際に暗躍したのが西の森の黒魔術師なんだ。」
西の森の黒魔術師…。
「その黒魔術師を封印したのが白百合乙女だったそうだ。今回、その封印の石板が破壊され、封印が解かれてしまった。」
封印をしたのが白百合乙女で、その封印が解かれてしまった…。
「それは危ない事なのですか?」
聞くとフィリップ様が難しい顔をする。
「そうだね、かなり危険であると私は見ている。」
フィリップ様の真剣なお顔で事の重大さが伝わってくる。
「封印を解かれた黒魔術師は実体を持たず、人々の体を媒介しながら、媒介となった人間は思いのままに動かせるそうだ。その人自身の意志とは関係なく、ね。」
人を思いのままに動かす事が出来る…。恐ろしい事だ。
「今回、父上に毒を盛った犯人であるディルもまた、西の森の黒魔術師に傾倒していたんだ。鎖骨の下のあたりにその紋様が浮かんでいた。」
フィリップ様が腕を組む。
「西の森の黒魔術師の目的は恐らく、国の転覆だ。この国の滅亡と言っても良い。」
国の滅亡…。こんなに栄えているこの国が…?
「それではその黒魔術師を封印するのがリリー様だと?」
ソフィアが聞く。ソフィアのその言葉で私は自分の置かれている立場を初めて自覚する。フィリップ様が苦笑いする。
「そうだね。」
私が封印を…?そのやり方さえも分からないのに?それに…。
「私は国王様の治癒の際、その力に跳ね返されました。」
そう言うとフィリップ様が言う。
「あの毒はね、リリー。大聖女でも癒す事の出来ないイービルという毒が使われている。」
イービル…。聞いた事の無い言葉だ。
「イービルは対象者の有している物と混ぜ合わせる事で初めて毒として作用するらしい。」
対象者の有している物…。
「今回の夜会で私を始めとする騎士たちは皆、モーリス家に注視していた。そして護衛の対象をリリーに限定していたと言っても過言では無い。」
私に護衛の注目が集まれば、それは…。フィリップ様を見る。フィリップ様が頷く。
「そう、君に注視していた私たちは裏をかかれたんだ。」
溜息を一つ、フィリップ様がつく。
「それとね、もう一つ、リリーに話しておきたい事がある。」
話しておきたい事…。
「これはあくまで可能性の話だから、確定事項では無い、という事を前提に話すよ。」
そう言われて私は頷く。
「さっきも話した通り、この国を揺るがす程の争いが何百年も前に起こっている。その時に暗躍した西の森の黒魔術師や白百合乙女という存在が今、こうして目の前にある。」
西の森の黒魔術師の封印が解かれ、更には私という白百合乙女という存在…。
「もし、これが史実通りだとするならば、その切欠は双子の王子の誕生だ。」
双子の王子の誕生…。
「それは、フィリップ様が双子である可能性があるという事ですか?」
聞くとフィリップ様が頷く。
「うん、そうだね。そしてその私の双子である人物がすぐ近くに居るとしたら。」
双子の王子様のもうお一人が近くに…。そう思った時に思い浮かんだ人物。ハッとしてフィリップ様を見る。フィリップ様が頷く。
「そうだよ、恐らく、リリーが思い当たる人物が、そのもう一人の王子だ。」