フェイロン様が私を見る。
「今、この王宮で色々な噂が出回っている事は私も承知しています。そして私は兄上からあなたを託された。」
フェイロン様の真摯な眼差しが私に注がれる。
「何としてでもあなたを守ります。」
フェイロン様は立ち上がると、私の前に膝を付いて私を見上げて言う。
「今一度、ここに誓いましょう。私はあなたを守ります。私の騎士の誓いを受け取ってくださいますか。」
騎士の誓い、それは一騎士が一生をかけて守り通す事を意味するもの…。
「私に騎士の誓いを…?」
聞くとフェイロン様が微笑む。
「私が騎士としてお守りしたいのはあなただけです、リリアンナ様。」
フェイロン様が手を差し出す。私は戸惑いながらも、その手の上に自分の手を乗せる。
「ありがとうございます。」
フェイロン様はそう言って私の手の甲に口付ける。口付けた瞬間、ふわっと私の手から金色の光が沸き立ち、キラキラと光の粒がフェイロン様を包む。夕陽に金の粒が反射してフェイロン様がその輪郭を際立たせる。フェイロン様は微笑んで立ち上がり、私の手を取ったまま言う。
「お部屋までお送り致します。」
お部屋に戻って私は一人になる。胸がドキドキして苦しい。フェイロン様に騎士の誓いを頂いた。そんな事、許されるのだろうか。彼は今や一騎士では無く、一国の王子様なのに。彼は国王様やフィリップ様が倒れられてから、立派にこの国を率いている。あの若さで騎士団長になった方だもの、それは当然なのかもしれない。
「フィリップ様、これは…」
ウォルターが私の腕を見て驚愕する。私は苦笑いして言う。
「あぁ、これは父上と同じ症状だ。」
私の腕は、腕に通っている血管が黒く浮き出ていた。私が毒を飲まされた父上の首に見た物と同じものが私の腕にも現れている。日々、リリーからの治癒で症状が広がるのを抑えてはいるが、治るまでには至らない。私にも毒が盛られていた事になる。
「一体、いつこんな事が…毒見だって毎回しているのに…」
ウォルターが真っ青になっている。
「毒見など意味を持たない毒だ。この毒は私にしか作用しないのだからな。」
対象者の有している物と混ぜ合わせて作った毒。その者にしか作用しない毒…厄介だ。だが私がこの毒に侵された事で分かった事がある。それはこの毒の広がりをリリーの力で抑える事が出来るという事。完治するには解毒薬が必要になるが、これ以上広がるのは留める事が出来ている。リリーに負担をかけてしまうが、命を長らえる事で解薬に必要なものが分かれば、助かる可能性は高い。
「ウォルター、私が父上と同じ毒が使われていると仮定して、その毒の広がりが今は抑えられている。これは恐らくリリーの治癒のお陰だろう。完治までは出来なくとも、命を長らえる事は出来ている。早急にこの毒の解毒薬について調べて、解毒薬を作らなくては。」
ウォルターが頷く。
「必ずや、解毒薬を。」
その時、部屋にソフィアが入って来る。腕の黒い血管を隠すように袖を直す。
「この事をリリーにもフェイロンにも共有してくれ。」
そう言うとウォルターが頷いて部屋を出て行く。ソフィアはリリーが私の元へ残して行った。私に何かあればすぐに伝えられるように、と。ソフィアはずっと私の傍に居て、私の世話を甲斐甲斐しく行ってくれている。
「すまないね。」
言うとソフィアは少し微笑んで言う。
「殿下のお世話が出来るなんて、私は幸せ者です。」
ソフィアの顔色が悪い。きっと無理をしているのだろう。
「ちゃんと眠っているかい?」
聞くとソフィアは苦笑いをする。美しい金色の髪、澄んだ空のような綺麗な青い瞳。壊れてしまいそうな儚い微笑み。胸の中でまたあの感情がグッと込み上げて来る。諦めた筈の自分の感情。自分の立場を考慮した上では自分の気持ちなど、二の次にしないといけない。死に瀕しても尚、私はこの国を憂い、この国の為に何をなせるかを考えている。目の前の愛しい人に手を伸ばす事も出来ずに。今のこの状況ならば或いは、許される吐露かもしれない。
「私が殿下を癒す事が出来れば良いのに…」
ソフィアが小さな声で呟き、次の瞬間にはハッとする。
「申し訳ございません…」
私はそんなソフィアの呟きを聞いて少し笑う。そして言う。
「ソフィア、悪いけれど、体を起こすのを手伝ってくれるかい?」
そう言うとソフィアが私を支える。私はソフィアの支えで起き上がり、ソフィアの持って来てくれた食事を口にする。
いつからだっただろう。私がソフィアを意識し出したのは。東部の屋敷に居た時は快活な子だなと、そう思っていただけだった。けれど、リリーが来てから、リリーと共に居るソフィアはまるでリリーの姉のようにリリーを慈しみ、あらゆる事を教え導いていた。リリーの一番近くに居て、リリーを支え、今ではリリーの一番の理解者だ。私はそんなソフィアを見ていて、彼女は聡明なのだと知った。そして街へ出た時に見た、ソフィアの恥じらう顔。恐らく初めて目にしたソフィアの女性としての恥じらい。抱き寄せたのはほんの一瞬だったけれど、その一瞬で私は彼女を守っているという、私でも彼女を守れるのだという事を自覚したのだ。私は幼い時から病弱で、守られる事はあっても、身を挺して誰かを守る事はそれまで無かった。それがあの一瞬で咄嗟にそれが出来た。
そしてこの王宮に来てから、もう一つ、変化があった。リリーの恐らくは初めての恋だ。私は知っている。リリーが頬を染める相手が誰なのかを。リリーの心の内に居る人物が誰なのかを。大々的に私と婚約した事で、きっとリリーは苦しんでいるだろう。自分が持つ感情は持ってはいけない感情だと思っているかもしれない。私はリリーに対し、妹に持つような感情しか持てないでいる。婚約式の時のダンスも、慣習としてリリーと最初に踊ったけれど、その後、フェイロンとダンスをしている時のリリーの方が輝いていた事を私は知っている。そして私も同じように、リリーとのダンスよりも、ソフィアとのダンスの方が心が躍ったのだ。
フェイロンならばきっとリリーを幸せに出来るだろう。いつか、私がこの病を克服し、リリーからの治癒が必要無くなったら、二人は結ばれるだろうか。或いは、私が居なくなれば、二人が結ばれるだろうか。目の前で食事の手伝いをしてくれているソフィアを見る。私が死んだらソフィアは泣くだろうか。
「ソフィア。」
呼び掛けるとソフィアが私を見る。
「はい、殿下。」
微笑みを湛えてそう言うソフィアを見て、私は思う。あぁ、やっぱり私は死にたくはない。目の前の彼女を幸せにしたい。私と共に笑っている未来が欲しい。
「私は欲張りなんだ。」
急に私がそう言ったので、ソフィアは訳が分からないという顔をする。その顔が可愛くて笑う。そして手を伸ばしてソフィアの頬に触れる。
「傍に居てくれてありがとう。」
ソフィアは頬を染めて言う。
「私がここに居られるのはリリー様がそれを許してくださったからです。」
リリーがソフィアをここに残した事に他意は無いだろう。リリーは純粋に私を心配して、自分が一番心の許せるソフィアを残した、それだけだろうと分かっている。
「そうだね、リリーには感謝しないといけないね。」
ソフィアは少し笑って言う。
「はい、殿下。」
私は侍女からの言伝で王太子妃宮を出た。キトリーとウェルシュ卿と共にフェイロン様がいらっしゃる王子宮へ入り、侍従の方の案内でフェイロン様の執務室に入る。
「リリアンナ様、ご足労ありがとうございます。」
フェイロン様がそう言う。近くにはウォルターも居た。
「こちらへ。」
フェイロン様に促されてソファーに座る。
「話してくれ。」
フェイロン様がそう言うとウォルターが話し出す。
「フィリップ殿下からの言伝です。」
そう言ってウォルターはフィリップ様のお考えになった事を伝えてくれた。フィリップ様にもあの日、国王様に現れた症状である黒い筋が現れている事、恐らくは自分にもイービルが盛られている事、そしてその毒の作用は私の治癒で広がりを抑えられるという事…。
「一刻も早く解毒薬の解明をしなくてはなりませんが、今のところ、リリー様からの治癒でお二人ともその命を長らえる事が出来ています。」
私の治癒でお二人ともその命を長らえる事が出来ている…。
「お二人ともがその命を長らえる事が出来ているのは、リリー様が白百合乙女様だからだろうな。」
フェイロン様がそう言う。ウォルターが力強く頷く。