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第70話

王宮の中では少しずつ、でも確かに俺を推す声が聞こえて来ていた。病弱な兄上を廃し、第二王子である俺を推す声…。頭が痛い。俺は国を率いて行けるだけの裁量は無いと思っている。今は国王である父上や、倒れられている兄上の代わりを務めているだけ。代わりは出来てもその者にはなれないと思っている。


ここ何日も、兄上の周辺では怪しい動きがある。未然に防げてはいるが、それもいつ崩壊するか分からない。今はソンブラとウォルターが兄上に張り付き、兄上には余計な心配をさせないように気を配っている。セバスチャンはハリッシュと共に解毒薬のヒントを探している。それぞれに水面下で動き回っている。表舞台には俺が立ち、何とか兄上の廃嫡を阻止している。時間との戦いだなと苦笑いする。


そんな俺の元にまたエリアンナ嬢から手紙が届く。いつも書かれている内容は同じだ。自分を婚約者として王宮に入れて欲しい、早く婚約の書面を交わして欲しい、二人の時間を過ごしたい…嫌気がさす。その日も同じような内容だろうと読み飛ばしていたが、ふと目に付いた文章。


私は特別な聖女なのです、だから国王様も王太子様も癒す事が出来ます。


何を言っているんだろう。エリアンナ嬢には神聖力は無い筈。白百合乙女様であるリリアンナ様が癒せないのに、何者でも無いエリアンナ嬢が癒せる?


戯言だ。


だがそれからその言葉が頭から離れなかった。モーリス家は怪しい動きを随分前からしていた。黒魔術がかかっている羊皮紙を持っていたり、リリアンナ様からの祝福を受けている俺の手が弾かれたり。そして夜会の日、リリアンナ様からの祝福が降り注いだ時、エリアンナ嬢はテラスに逃げていた事を俺は見逃していない。


でも、だからこそ、と思う。


黒魔術に関するものがモーリス家から発見されている。これは事実だ。彼らがどのように黒魔術、そして西の森の黒魔術師ディヤーヴ・バレドと繋がっているかは分からない。そして使われたイービル。大聖女でも癒せない毒…。もしかしたら西の森の黒魔術師ディヤーヴ・バレドは解毒薬の材料を持っている…?もし万が一にもそうならば、モーリス家に居るエリアンナ嬢がこんなふうに書いて寄越すのも頷ける話ではある。


あなたはこの国の王となるお方。私がそれを叶えます。


そう結ばれていた手紙。本当に腹が立つ。俺が王?もしそうであるならば、それは父上と兄上が廃されるという事と同義だ。叶える、だと?俺が王になりたいと思っていると言うのか!苦虫を噛み潰すように顔を顰める。だが、もし俺の考えが当たっているとするならば…。モーリス家を利用しない手は無い。もしそれで父上も兄上も助けられるなら、俺はどうなっても良い。だが、今は父上と兄上がイービルによって倒れている。こんな状況でモーリス家の人間を王宮には入れられない。そんなリスクは冒せない。深くため息をつく。どうするべきか…。




連日、私はフィリップ様と国王様の治癒に力を注いだ。フィリップ様の言うように私の治癒の力がお二人の命を繋いでいると思うと、居ても立ってもいられず、お二人の元へ向かってしまう。そして空いている時間はただひたすらに祈る。誰も傷付きませんように…。




キラキラと俺の指先が光る。あぁ、リリアンナ様だ。また祈っていらっしゃる。ここ連日、ふとした瞬間に自分の指先が、手が、そして全身が光に包まれる事があった。


━━━白百合乙女の加護━━━


白百合乙女の加護はやがて国中を包む、とそう言われている。事実、今も離れた場所に居る俺がこうして加護を、祝福を感じ取る事が出来るのだ。俺は少し笑って、立ち上がる。




王宮内の神殿で祈りを捧げる。私の周りの心優しい人たち、そしてこの国の民…誰にも傷付いて欲しくない。誰も傷付かず、皆が穏やかに暮らせますように、私は祈る。


「リリアンナ様。」


声がして振り向く。そこにはフェイロン殿下がいらっしゃっていた。


「フェイロン殿下。」


私は立ち上がり、挨拶をする。フェイロン様はクスっと笑って言う。


「そのような挨拶は必要無いです、私の事もフェイロンと。」


もうクラーク卿とはお呼び出来ない。だから私は照れ隠しもあって、殿下とお呼びしたのに。フェイロン様の銀色の髪が風に揺れる。あぁ、なんて素敵なんだろう。思わず見惚れてしまう。クスっと笑う所はフィリップ様と似ている。フェイロン様はゆっくりと歩いて来て、私の前に立つ。


「祈りを?」


そう聞かれて私はフェイロン様を見上げて言う。


「はい、私に出来る事はそれくらいなので。」


フェイロン様の瞳が揺れる。




目の前のリリアンナ様に手を伸ばしかけて止める。今すぐにでも抱き締めてしまいたい、そんな衝動を抑える。


「少し、散歩でもしませんか。」


そう言ってリリアンナ様を促す。神殿を出て歩く。今日のリリアンナ様はアイリス色のドレスを着ている。風に揺れる長い亜麻色の髪と、手には俺が差し上げたハンカチ。リリアンナ様の歩調に合わせて歩く。


リリアンナ様はモーリス家でまるで下女のように働かされていたとソンブラから聞いた。その現場を見ていなくとも分かる。モーリス家の人間ならばやるだろう。それだけ邪悪で醜悪、下劣な環境に身を置いていたのに、リリアンナ様には微塵にもそれを感じない。一緒に居ると心が洗われ、膝を付いて愛を捧げそうになる。


このところの騒ぎで、連日リリアンナ様も焦燥されているだろうと思っていた。何しろずっとリリアンナ様からの加護を、祝福をこの身に感じていたからだ。今日もお顔の色が優れない気がした。少しでも息抜きが出来るように、何か、何かしなければ。そう思う。手入れの行き届いた庭園に入る。そこで俺は思い付く。


「リリアンナ様、ピクニックしませんか。」


そう言うとリリアンナ様が驚いた顔をする。


「ピクニック…ですか?」


驚いたお顔もまた可愛い。クスっと笑い、つい手が伸びてリリアンナ様の頬に触れる。リリアンナ様は頬を染められながらも俺の手が触れると目を閉じて微笑む。




庭園の芝生に敷物が敷かれ、そこにバスケットと飲み物が用意される。リリアンナ様を敷物の上に促し、俺も座る。日差しが温かい。リリアンナ様は少し戸惑っているようだった。


「そんなに気を遣わずに、ここには二人だけなのですから。」


庭園に準備させた後は人払いをした。誰かに見られていると感じれば、きっとリリアンナ様がリラックス出来ないと思ったからだ。風が吹き抜ける。ハラハラと木の葉が舞う。どこからか飛んできたのか、花びらがリリアンナ様の髪についている。それに手を伸ばす。リリアンナ様がその様子を見ている。


「花びらが…」


そう言って花びらを取るとリリアンナ様が手を差し出す。その手に取ったばかりの花びらを乗せる。リリアンナ様はその花びらを持っていたハンカチに包む。何故、そうしたのか、分からなかった。


「何故、花びらを…?」


聞くとリリアンナ様は頬を染めて小さな声で言う。


「今日の記念に…」


そう言われてふっと笑う。本当にこの人は可愛い人だ。リリアンナ様の髪を一房掬う。リリアンナ様はそんな俺を見ている。俺は掬った一房の髪に口付ける。途端にリリアンナ様の顔が真っ赤になる。俺はクスっと笑い、その髪から手を離す。




しばらくそこでゆっくりと時を過ごした。二人で何も話さず、時折、バスケットの中身の軽食に手を伸ばし、それを食べて微笑み合う。何も話さなくても、一緒に時間を過ごす事がこんなにも幸せだと思った相手は今まで居なかった。そしてこれからも居ないだろう、リリアンナ様以外には。兄上はリリアンナ様をリリーと呼ぶ。いつか、自分も彼女をリリーと呼べるようになりたいと願っている自分に笑う。ソンブラや侍女のソフィア、キトリー、セバスチャンはリリアンナ様をリリー様と呼ぶな…と思う。なら俺もそう呼んでも大丈夫だろうか。


「リリアンナ様。」


呼ぶとリリアンナ様が俺を見る。


「はい。」


胸が高鳴る。嫌じゃないだろうか、と心配になる。


「もしよろしければ、リリー様とお呼びしても…?」


本当は違う。自分も兄上のようにリリーと呼びたいのだ。でもそれは許される事じゃない。


「あの、お好きなように呼んで貰って構いません…」


リリアンナ様が恥ずかしそうに俯く。そんなリリアンナ様を見て微笑む。


「私の事はフェイロンと。」


そう言う。リリアンナ様が小さな声で言う。


「はい、フェイロン様。」


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