報告書に目を通していると、また扉がノックされる。
「入れ。」
フィリップ様が報告書に視線を落としたまま、そう言う。失礼致しますと言って入って来たのはソンブラとハリッシュだった。二人は顔を上げた私とフェイロン様に小さく会釈して、フィリップ様の元へ来る。
「ん、ソンブラか。」
フィリップ様がそう言う。ソンブラが言う。
「西の森の封印についての報告書です。」
ソンブラはそう言って報告書を差し出す。フィリップ様は少し微笑んで私を見る。
「リリーに。」
フィリップ様にそう言われてソンブラは小さく会釈すると、今度は私の所に来て、報告書を渡してくれる。
「ありがとう。」
言いながら報告書を受け取り、目を通す。読んでみて驚いた。報告書にはこうあった。
西の森の封印が解かれたのは約18年前、モーリス家に子供が生まれた時期と一致する。
フェイロン様が聞く。
「何かありましたか?」
聞かれて私は報告書をフェイロン様に渡す。ソンブラを見る。ソンブラは少し頷いて、フィリップ様に言う。
「ハリッシュから報告を。」
フィリップ様がほんの少し手を上げて言う。
「あぁ、聞こう。」
ハリッシュは長く伸ばした髭を撫でながら言う。
「西の森の封印が解かれたのはモーリス家に双子のお子様が生まれた時期と一致致します。エリアンナ様とリリアンナ様です。その頃に封印が解かれ、ディヤーヴ・バレドが放たれました。当時、モーリス家を継いでいたモーリス伯爵が同じ時期に西の森に訪れていた事は、確認が取れています。」
ソンブラがフェイロン様の近くに来て、報告書のとある個所を指し示す。そこにはモーリス伯爵、私のお父様が西の森に来ていた事を示す、宿帳の記載があった。
「同じ時期に西の森に両者が居た事、そしてディヤーヴ・バレドの実体を持たないという点、更にはその後、リリアンナ様がお屋敷を出され、敷地内の小屋に追いやられ、遂にはお屋敷自体から追い出されるように東部に出された事を考慮して、私はこう、結論付けました。」
ハリッシュは真っ直ぐに私を見て言う。
「ディヤーヴ・バレドはずっとモーリス伯爵、または伯爵夫人の体内、奥深くに潜伏していた、と。」
お父様とお母様の体内深くに潜伏していた…。フィリップ様が少し考えて言う。
「うん、それなら辻褄が合うね。悪しきものは白百合乙女に触れるどころか近寄る事も出来ないと書物にそう書かれていた。リリーが白百合乙女であると、ディヤーヴ・バレドは知っていたんだろうね。だからリリーを屋敷から、そして敷地内から排除する必要があったんだ。」
そこでハリッシュが少し言いにくそうに言う。
「それから…ソンブラ殿に聞き取りをさせて頂きましたが、その…」
言い淀んでいるハリッシュ。ソンブラもどこか、居心地が悪そうにしている。
「セラピアの事だ。」
そう言ったのはフェイロン様だった。
「セラピア?」
フィリップ様が聞き返す。フェイロン様が頷く。
「あぁ、イービルの唯一の解毒薬の材料。」
そう言われてあの解毒薬を思い出す。
「ソンブラ、話せ、大丈夫だ。」
フェイロン様が言う。ソンブラは顔を上げると言う。
「あの日、フェイロン殿下がイービルを呷り、解毒薬をエリアンナ嬢に作らせました。エリアンナ嬢が解毒薬の材料を持っていると、確信していたからです。」
そしてソンブラが辛そうに言う。
「エリアンナ嬢が出した透明の液体、それがセラピアでした。そしてセラピアは、白百合乙女様、リリー様の涙であるとエリアンナ嬢が言ったのです。」
あぁ、そうかと思う。だから私は…。ずっとずっと遠い記憶の中の事を私は思い出していた。
「リリーの涙…」
フィリップ様が呟く。
「私もあの時はイービルに侵され、音がほとんど聞こえなかった。その中でエリアンナ嬢のその叫びを聞いたのはソンブラだけだ。」
フェイロン様が言う。フィリップ様がハッとする。
「もしかして、そのセラピアは随分前から、用意されていたのか?」
ソンブラが頷く。
「恐らくはそうです、エリアンナ嬢が持っていたセラピアはガラス製の小瓶二つ分でした。」
誰もが言葉を発せないでいた。当の本人である私も。
「そうか…もうその頃からディヤーヴ・バレドは動き出していたんだな。」
フィリップ様が言う。
「黒魔術を巧妙に使い、文字を見えなくし、封印がかなり前に解かれていた事を隠し、更には傾倒する者たちを操り、国の転覆を狙っていたのでしょう。」
セバスチャンがそう言う。ふと背中に温かさを感じる。見ればそれはフェイロン様の手だった。フェイロン様は私に微笑みかけ、優しく背中を撫でてくれている。私はその温かさに救われる。
その後の調査で黒魔術師ディヤーヴ・バレドに傾倒していた者たちが続々と捕らえられた。ディヤーヴ・バレド本体が失われた事により、体内に潜伏を許していた者たちは、私の両親同様、屍のようになってしまったという。フィリップ様にイービルを盛ったのは給仕を務めていた者、私にイービルを盛ったのは十人ほど居た侍女の中の一人だった。彼らは今、地下牢に入れられてはいるものの、まるで魂が抜けたようになっているそうだ。
今回の騒ぎが落ち着きを見せた頃、国王様の国葬が執り行われた。
国中が悲しみに包まれ、誰しもが国王様の死を悼んだ。一番、悲しみの底に居るのは王妃様だろうと私は思った。お二人はいつも仲睦まじく、慈しみ合っていらっしゃった。大切な人を失うという事…、それは私には想像も出来ない。
国中が喪に服している中でフィリップ様の戴冠に向けての準備も行われていた。フィリップ様は日増しにお元気になって行き、国葬が終わった頃には政務に復帰もされた。フェイロン様と二人三脚で執務を行う姿は、この国にはもう【忌み子】など居ないと、そう宣言しているようだった。
「リリー様、王妃様がリリー様にお会いしたいと…」
キトリーにそう言われて私は頷く。
「分かりました、こちらから伺うと、そうお伝えしてください。」
私は立ち上がり、王太子妃宮を出る。いつものようにウェルシュ卿、キトリーが付いて来る。
王妃宮に入る。王妃様のお部屋の前について、扉をノックする。
「どうぞ。」
そう声が聞こえて、私は部屋に入る。王妃様は喪に服したままの服装で、ソファーに座っていらっしゃった。
「リリー、良く来たわね。」
王妃様は微笑んでくださったけれど、その微笑みは悲しみでいっぱいだ。
「王国の月、王妃様に…」
そう挨拶しようとする私を王妃様が止める。
「挨拶は良いから、座って。」
王妃様は自身の座っているソファーに座るように促す。私は促されるままに王妃様の座っていらっしゃるソファーに座る。王妃様は私を見て、微笑む。
「リリー、来てくれてありがとう。」
そう言って王妃様は私に手を伸ばす。王妃様は私の頭にそっと触れ、髪を撫で、髪を一房掬うと言う。
「この色、グレゴリーを思い出すわ。」
そう言われて王妃様がどれだけの悲しみの中に居るのか、想像も出来なくて、何も言葉を紡げなかった。王妃様は愛おしそうに私の髪を愛でて言う。
「とても素敵な髪色ね。リリー、あなたにとても良く似合っているわ。」
そして私の髪を離し、今度は私の手を取る。急に手を取られ、少し驚く。
「あのね、リリー、今日はとても大切な話があってあなたを呼んだのよ。」
王妃様の手は温かい。私の手からふわっと白い光が沸き立って、キラキラと王妃様を包んでいく。王妃様はその様子を見て、少し笑い、言う。
「あなたはフィリップと婚約しているわね。」
そう言われて私は頷く。
「はい。」
言うと王妃様が微笑んだまま言う。
「フィリップにね、あるお願いをされたの。」
そして王妃様は少し真摯な顔になる。
「今、国王陛下が崩御されて、フィリップの戴冠までは私がこの国のトップよ。」
そして少しだけ口元を緩めながら続ける。
「だから私の言う命令が、王命という事。」
王妃様の瞳の奥にフィリップ様が何やら企んでいる時にする悪戯っ子のような光が見える。
「リリー、あなたとフィリップの婚約を解消します。」