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第30話 王子苦悩

グレアスは、近頃不穏な動きを見せるロレアス王国について、父である国王に相談しようと決意した。

ジュエルド王が王位を継いで以降、ロレアス王国は急速に軍備を強化しており、外交の姿勢も以前より好戦的になっている。

ジュエルド王が婚約を一方的に破棄した当時は、グレアスも『それもまた彼の決断』と、静観の姿勢を貫いていたが、軍備拡張が続く状況を前に、ついに重い口を開く決断を下したのだ。

王宮の廊下を静かに歩きながら、彼は国王との謁見のための心構えを整えようと深呼吸をする。

父上に会うたびに思い出すのは、幼い頃に聞かされた王としての心構えや、国の安全を守ることの大切さだった。

今日はその教えを胸に、率直に自分の考えと不安を伝えようと心に誓う。

玉座の間へ続く重厚な扉が開かれ、グレアスは静かに一礼して中に入った。

玉座の間に足を踏み入れると、そこには威厳をたたえた父王が鎮座していた。

父王は年を重ねてなお鋭い眼光を持ち、決してその厳しさを緩めることのない人物だ。

幼いころから、グレアスにとっては絶対的な存在であり、強く尊敬している一方で、わずかに畏怖の念も抱かせる相手だった。


「父上、今日はご相談があり参上いたしました」


グレアスは丁寧に頭を下げた。

父王はゆっくりと頷き、声をかけた。


「グレアスよ、ここまでの道中でお前の思慮深さが伝わってきた。話したいことがあるというのは重々承知しておる。さあ、聞かせてくれ」


父王の言葉に、グレアスは胸の奥にわだかまる不安が再び押し寄せてきたが、それを押し殺し、深く息を吸い込んで話を始めた。


「…近ごろのロレアス王国の動きについて、懸念がございます。ジュエルド王が即位して以降、彼らの軍備が急速に強化され、外交方針も変化しています。このままいけば、我が国との間で衝突が避けられないのではないかと考えています」


グレアスの口から紡がれた言葉を、父王は静かに聞いていた。

その目はじっとグレアスを見つめ、彼の心の内を探ろうとするかのようだった。

そして、しばしの沈黙の後、父王は深い声で答えた。


「確かに、我が国の領内に報告される不穏な動きがあることは承知しておる。ジュエルドは…先代とは異なる、己の力に酔いしれるような振る舞いを見せておるようだ。だが、お前はどうしてそこまでこの件を危惧しているのか、具体的に聞かせてほしい」


その問いに、グレアスは少しだけ表情を曇らせたが、意を決してさらに踏み込んだ。


「…ジュエルド王が、クレアとの婚約を一方的に破棄したことは、ご存じかと思います。あの決断自体は、彼の判断であるとしても、それ以降の行動を見る限り、私は彼に…もはやかつての盟友としての信頼を抱くことが難しいのです。そして、ロレアス王国が我が国を敵視する動きを見せるのであれば、国と民を守るための準備を整えるべきだと考えます」


グレアスの中で、ジュエルドに対する不信感が積もり重なっていた。

幼いころから縁があった相手ではあったが、今や彼は隣国をも脅かす存在と変貌を遂げている。

もしも戦が避けられないのならば、今のうちから手を打つ必要がある。

父王はしばらく沈黙したまま、グレアスの言葉を慎重に吟味しているようだった。そして、静かな声で口を開いた。


「ジュエルドの変化は私も感じておる。あの男が即位した当初、私は若き王の誤ちであれば、やがて正道へと戻ってくれることを願っていた。だが、どうやらその期待は裏切られつつあるようだな…」


父王の声には、かつての盟友に対する深い失望と苦々しさが滲んでいた。

ロレアス王国とは長きにわたる友好関係があっただけに、その絆が破られようとしている現状が、心に痛みをもたらしているのだろう。

父王は、ふっと苦笑を浮かべるようにして続けた。


「グレアス、お前がジュエルドに抱く疑念は理解した。しかし、我々がまだ表立って動くことは難しい。このような状況では、迂闊な行動がかえって相手に戦の口実を与えかねない。だからこそ、慎重であるべきなのだ」


父王の考えは最もであり、グレアスも同意せざるを得なかった。

無用な戦火を招くことは避けなければならないが、それでも何か手を打たねばならない。

そう思い悩む中、グレアスは新たな意見を述べた。


「ならば、我が国も隣国との連携を深めるべきではないでしょうか。周辺の国々とも協力し、ジュエルドの軍備増強が脅威となり得ることを伝えることで、同盟としての備えを固めるのです」


父王は小さく頷いた後、冷静な声で答えた。


「その案は良いな。確かに、我々だけでなく周囲の国々も、ロレアス王国の増長に対する警戒感を抱き始めている。だが、同盟といっても各国それぞれ思惑がある。どのようにして我らが共に立つ目的を見出すかが鍵となろう」


父王の言葉は重かったが、グレアスは覚悟を決めていた。

この国を守るためには、決して甘えや希望的観測に頼ってはならない。

目の前の脅威を的確に見据え、必要な行動を取るべき時が来たのだ。

もしもジュエルドが我が国に牙を向けてくるのであれば、決して後れを取るわけにはいかない。

そして、その会話を締めくくるように、父王は厳粛な表情で言葉を紡いだ。


「グレアスよ。お前は王として、民を守る覚悟があるか」


グレアスは父王の瞳をまっすぐに見据え、力強く頷いた。


「はい、父上。私はこの国と、その民を守り抜く覚悟を持っています」


その決意を胸に、グレアスは新たな責務を背負い、いずれ訪れるであろう戦火に備えるべく行動を開始する決意を固めた。

グレアスは父王の問いかけに対して、すぐに答えたものの、その心の中には複雑な感情が渦巻いていた。

国王として、また一人の王子としての義務と責任が重くのしかかっていた。

それは単なる言葉や決意で終わるものではなく、実際に行動に移さなければならないという現実が、彼に迫っていた。

父王はしばらく黙ってグレアスを見つめ、その後、ゆっくりとした口調で言った。


「お前がこれから背負うべき重責を、私はわかっているつもりだ。ただし、急いではならん。今はまだ我々の状況を整える時間が必要だ。周囲を見極め、慎重に動くことが肝要だ」


グレアスはしばらく黙って考えた。

確かに、今は焦って行動するべき時ではない。

だが、ジュエルドがこのまま暴走し続けるのであれば、いつかその時が来ることを理解している。

国の動向をじっくり見守りつつ、できるだけ冷静に、そして無駄な衝突を避ける方法を見つけ出さなければならない。


「はい、父上。私はもう少し準備を整え、様子を見ます。ですが、もしもその時が来れば、私は決して躊躇しません」


とグレアスは力強く言った。

父王はそれを聞き、少し満足げに頷いた。


「お前の覚悟は感じ取った。だが、冷静さを保ちなさい。最も大切なのは、民の命を守ることだ。血を流すことが本当に最善の方法なのか、よく考えて行動するのだ」

「わかりました」


とグレアスは答え、父王からの言葉を胸に刻んだ。

その後、会話は少しの間続かなかった。

どちらも思慮深く黙っていたが、その沈黙の中で、それぞれが抱えている重い責任をひしひしと感じていた。

しばらくして、父王がようやく口を開いた。


「グレアス、お前のこれからの道を一歩一歩見守ることにしよう。だが、何か問題があればすぐに私に相談してほしい。私はお前を信じている。だが、冷静で賢明であれ」


その言葉は、単なる激励ではなく、父王からの深い愛情と信頼を感じさせるものだった。

グレアスはその気持ちに応えるべく、より一層の覚悟を新たにした。


「ありがとうございます、父上。私は必ず、皆を守り、国を守るために最善を尽くします」


グレアスは深く頭を下げた。

そして、部屋を出る準備を整え、父王の指示に従うことを心に誓った。

その後、グレアスは父王と別れ、思い出すのはジュエルドの姿だ。

王としての矜持を持ちながらも、その心はすでに歪んでいる。

彼の動きに、グレアスはこれ以上の後悔や遅れを取らないよう、進んでいかなければならないことを感じていた。

ジュエルドが暴走を続ける限り、避けられない衝突が待っている。

それに備えて、グレアスは今、冷静に周囲を見守りながら、未来への準備を進めていった。

その夜、グレアスは王宮の自室に戻り、父王との会話を反芻していた。

国を守るという覚悟は揺るがないが、ジュエルドとの衝突が避けられないのなら、無用な血が流れることも覚悟しなければならない。

しかし、戦争という選択肢は最後の手段だと、彼は何度も自分に言い聞かせていた。

ジュエルドが進めている動きには疑念が募るばかりだったが、グレアスには確かな証拠がまだ揃っていなかった。

現時点での判断としては、まず情勢の分析と、信頼できる仲間や家臣と情報の共有を進めることが必要だと考えていた。

彼は重々しい気持ちを抱えたまま机に向かい、夜遅くまで今後の対策について思案していた。



翌日、グレアスは城内の信頼できる部下たちを集め、情報を共有するための会合を開いた。

そこには、国の中枢に位置する数名の貴族や将軍たちが並んでいた。


「みな、集まってくれて感謝する」


とグレアスが口を開くと、集まった者たちは一斉に真剣な表情を浮かべてうなずいた。


「ロレアス王国が不穏な動きを見せていることは、すでに耳にしているだろう。父上からも冷静に対応するよう言われているが、私たちは確かな備えを進めるべきだ」


一同の間に緊張が走った。

将軍の一人が口を開く。


「殿下、ロレアスが戦争に向けた動きを進めているという報告も上がってきております。しかし、正確な目的はまだ不明瞭です。単なる牽制なのか、それとも本格的な侵略を狙っているのか…」

「それがわからない以上、我々も慎重に進めるしかない。しかし、準備は怠らないでくれ」


とグレアスは冷静に指示を出した。


「また、彼らの情報網や暗部との接触も試みる。可能であれば、向こうの内情を掴むための工作も進めたい。どんな些細な情報でも重要だ」


「かしこまりました、殿下。すぐに手配をいたします」


と別の家臣が応じた。



会合が終わり、城内は再び普段通りの静けさを取り戻していた。

しかし、グレアスの胸の内には不安が渦巻いていた。

ロレアスが動き出したとなれば、彼の大切なものをすべて守るために、避けられない試練が待っている。

クレアのことを思い浮かべ、彼女と共に過ごした日々が頭に浮かぶ。

彼女の無邪気な笑顔や、たくましくも優しい心を思い出すと、彼はさらに強い決意を抱いた。


「クレア、君を必ず守る。どんな危険が待っていようとも…」


彼は静かに誓いを立てた。



そして数日後、グレアスは自室にいるクレアを訪ねた。

彼女に直接、これからの情勢について話すつもりだった。

クレアは彼の顔を見るなり微笑んで、まるで不安を感じていないような表情で出迎えた。


「グレアス様、今日は何かありましたか?」

「クレア…少し、君に話しておきたいことがある」


とグレアスは真剣な表情で切り出した。


「ロレアス王国の動きが不穏なんだ。私たちの国に対して、何かしらの策謀を巡らせている可能性がある」


クレアは一瞬驚いた表情を見せたが、すぐにそれを落ち着かせると、彼に静かにうなずいた。


「わかりました、グレアス様。でも、あなたが私を守ってくれることを信じています」


彼女の言葉に、グレアスは安堵の笑みを浮かべた。


「ありがとう、クレア。君の信頼が、私にとって何よりも力になる」


二人はしばらくの間、静かに見つめ合い、言葉を交わすことなく、ただ共に過ごした時間の意味を感じていた。

そして、いつの日か必ずその時が来る。

戦の火蓋が切られる日が。

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