ペイガンの村に嵐のごとき風が吹き荒れる。
魔女集会の当日だった。
空は暗く淀んでいた。
風は何処となく寂寥感を連れ去ってきて、空の淀んだ雲は不気味ささえ感じた。
エシカは何だか嫌な予感がしていた。
リシュアも嫌な予感が溢れていた。
「私は集会に参加する事をお断りしますわ」
いつもは好奇心旺盛であるローゼリアがそんな事を言い出す。
「風の精霊達が騒いでいますね」
ティアナは空を見て呟く。
風の精霊達か。
魔女集会というのは、世界各国の様々な魔術に長けた女達が集まり、それぞれの魔法を披露する年に一回の場なのだという。お祭り的なイベントでは無く、あくまで密会の場みたいなもので、各々、集まった者達の一年の修練の結果を見せ合う場なのだとティアナから聞かされている。
「確かに、俺も参加するのはお門違いかもしれないな。男性は入れないんだろう?」
リシュアがティアナに訊ねる。
「あくまで、付き人という立場でしたら魔女集会に入る事は出来ますよ」
「しかし………………」
リシュアは悩んでいるみたいだった。
先日の件がある。
呪いみたいな魔法にあてられて、また酷い目に合ってしまったら堪ったものではない。
「私はリシュアに付いてきて欲しいです!」
今回の魔女集会には、ティアナを通してエシカも参加する事になっていた。エシカは自分自身の過去と向き合いたい。
†
崖の辺りにはヒルデがいた。
彼女の周りには、小さな空飛ぶクラゲのようなものが飛び回っており、彼女はそのクラゲ達に話し掛けていた、
リシュアはげんなりした顔をしながら、ヒルデを見なかった事にして崖の付近から遠ざかる。ヒルデは何か歌を歌っていた。それは彼女が通じる天使達の為に歌われる讃美歌なのだろうか。あの天使達のいる空間に迷い込んでしまって、リシュアにとって彼女の存在は恐怖以外の何者でもない対象だった。
ただエシカはそんなリシュアの態度に対して、少し複雑そうな表情をする。
「どうしたんだ? エシカ?」
「ええ。……その、私も、自身の持て余してしまう程の力故に迫害を受けて、闇の森に閉じ込められました。ですので、あのヒルデという少女も、私と似たような境遇を背負っているのかもしれません。だから、安易に無碍にする事はどうなのかと……………。あ、もちろん、リシュア達が酷い目にあったお気持ちはお察しするのですが…………」
「確かにそうだな………………。言われてみれば、確かにそうだ……」
リシュアは小さく溜め息を付いた。
魔女。
それは世界中のあらゆる場所で、故郷では、忌み嫌われていた者達が集まった集会なのかもしれない。
ヒルデはクラゲ達と一緒に、風が吹き荒れる嵐の目の方を見ていた。
まるで彼女は嵐そのものと会話しているような印象も受けた。
リシュアとエシカは、結局、彼女に声を掛ける事無く、その場を去る事にした。
†
宿の中では微妙な空気が漂っていた。
獣使いの魔女であるヴォルディも、そわそわしているみたいだった。
彼女は腕を組んで、壁に寄り掛かり渋い顔をしていた。
「どうされたんですか? ヴェルディさん?」
エシカはいつものように天然そのものといった調子で、ピリピリとした空気も読まずに獣使いの魔女に話し掛ける。
ヴェルディは少し笑った。
「そうだね。ディーバが悪巧みをしている節がある。あたし達の力を使ってね」
ヴェルディは歯噛みしていた。
「悪巧み、ですか……?」
「ああ。あの女が契約している悪魔ダルードを使って、あたし達の見せる魔法を記憶させようと考えているんだ。ダルードの魔法は悪夢としてフラッシュバックを起こす力をもたらせるらしい。それで何か邪悪な事を考えている節があるんだ」
ダルード。
エシカの夢の中に出てきたシャベルを手にした悪魔か。
記憶を掘り起こし、エシカの過去の罪を暴き出した。
それによって、エシカは自身の過去の罪の大半を想い出しつつある。もしかすると、悪魔ダルードは、記憶を封じる魔法を解呪する事も行ったのかもしれない。
「ディーバという魔女が行おうとしている事は予測出来るか?」
リシュアが訊ねた。
「まず、大都市の一つを、ダルードを使って、侵略、征服しようと考えていると思うね。奴は支配欲が強い。それは、人一人から都市にまで及ぶ。何しろ、彼女は本来は王族出身で、その血筋の忌み子として生きてきたらしいからね」
「忌み子ですか……………」
エシカは想う。
もしかすると、ディーバという女性は自分と似ているのかもしれない。
周りから忌み嫌われ、自身の力を持て余して生まれてきた存在。
なら、エシカにとって彼女はもう一人の自分自身とも言えるのではないか?
ならば、エシカはディーバを糾弾出来ない。
少なくとも、エシカは沢山の人を過去に自身の力に翻弄されて殺したのだから……。
エシカが想い悩んでいると、リシュアから肩を叩かれた。
「エシカ。他人の気持ちに寄りそう事も大切だけど。エシカは今、人を困らせたり苦しませようとしているわけじゃないだろ? けれども、そのディーバという女は違う。だから、まるで自分と同じみたいだ、なんて考えなくていい。エシカはエシカ。その女はその女だよ」
リシュアは穏やかな口調で告げる。
エシカはリシュアのそんなさりげない優しさに救われている……。
ずっと、一緒に彼といたい。そんな想いに駆り立てられている。この感情は何なのだろう? エシカはよく分からない。愛情? 友愛? ……?
これまで色々な国を巡り、色々な人々や、色々な怪異に出会ってきた。それはリシュアがいたからこそ楽しかったのだ。ただ、そんな自分はリシュアと一緒にいてはいけない不安に駆られる。彼は何処までも眩しい太陽の象徴で、自分は闇を背負って生きている。
「私は魔女集会に参加して、何かを見つけ出す事が出来るのかもしれません……」
エシカはリシュアの掌を握り締めた。
リシュアもエシカの掌を強く握り返す。
それぞれ月と太陽のような存在なのかもしれない。
あるいは闇と光なのか。
†
もうすぐ、夕暮れだ。
魔女集会が始まる。
エシカはティアナからの紹介で魔女集会に参加するという形になった。基本的には男性は参加する事は出来ないが、リシュアはエシカの付添人という形で魔女集会に参加する事になった。
「まあ。気楽にしてくださいね。年に一度の集会と言っても、みなが一年のうちに磨いてきた魔法の見せ合いみたいなものですから」
ティアナはおっとりといた口調で、緊張するエシカに優しく言う。
エシカの使い魔みたいな体裁で、ラベンダーも集会に潜り込む事が出来た。
「でも、なんだかとても楽しみです」
今のエシカは炎の魔法を使える。
それが得意技だ。
アンダイングの邪教相手には、エシカの炎の魔法が活躍した。
だが、エシカは夢の中で知っている。
本当は自分は死霊術の使い手であり、あらゆる闇の魔法も扱え、自身の魔法によって不死の力を得たのだと…………。そして死霊術などの邪悪な魔法は自ら使う事を封印しているのだと。
旅の始め頃に、覚えている。
エシカは、リシュアに回復魔法を行おうとして生命奪取の魔法を使ってしまった。……本当はエシカは自身の魔法を使うのが怖いのだ。自分の周りの人間を破滅させてしまうのではないかと考えてしまうから……。
エシカは、死者の記憶を読む事も出来る。……イエロー・チャペルでの事件解決には、使わなかったが……。
死者に触れる事がシャイン・ブリッジの街で使い、後になって怖くなった。
死者の記憶を読めるという事……死霊術の延長でしかない……。
エシカはずっと、不安定さを抱えて旅を続けていた。
リシュアは光の刃を操る魔法使いとして、ぐんぐん成長していっている。だが、エシカは自身の力がつねに暴走しないかとても怖く……。
「不安になる事はありませんよ。エシカさん」
ティアナは優しく笑う。
「不安になる事は……無い…………?」
エシカは困惑する。
「貴方の使える魔法。貴方が隠し持っている魔法。貴方がみなに見せたくない魔法。貴方の心が自ら封じ込めている魔法。全て使っていいんですよ。魔女集会に参加する者達は、みな、色々と事情があります。この会は、みなの魔法の発表会みたいなものですから」
実際に、ディーバもヒルデも異端の魔女として迫害された過去があるのだとティアナは言った。
「私は、本当は、死霊術を使う事が出来ます…………っ!」
エシカは呻くように言う。
ティアナは少し驚く。
「“災厄の魔女”として、数十年もの年月。記憶を失い、闇の森の中に封じられてきました。そして色々な場所を巡って旅をしました。本当に良い想い出作りでした」
エシカは項垂れ、顔を覆う。
「沢山の人々を殺した悪夢を見るんです…………。仲間達には隠れているのですが…………。ディーバさんの使う悪魔が、より鮮明に、私の罪を想い出させて、私はますます自分が罪人である事を再確認する事になりました…………っ!」
エシカはその場で泣き崩れた。
……分かっている。リシュアもラベンダーも、そしてティアナもローゼリアも、過去にエシカがやった事に対して責めないだろう。だが自分の心はいつもはちきれそうで、旅をしていて、こんなに幸せになっていいのかという葛藤ばかりだった。
大き過ぎる力を手にしてしまい、それを振るってしまった。
それ故に、リシュアの祖国ヘリアンサスのみならず、複数の国家の者達を大量に殺した。こうやってみなと笑い合う資格なんて本当は無いに決まっているのだ。自分は罪人以外の何者でも無い。だから永遠の時間をあの闇の森の中で、自分の罪と向き合うべきだったのだ。
エシカが殺してしまった人々は、もう、悩み苦しむ事も出来ない。
リシュアが無言でエシカを強く抱き締めた。
エシカはリシュアの胸で泣き続けた。
†