気持ちを切り替えて、ローゼリアは船から見える景色を楽しんでいた。
エシカは少し暗い顔をしていた。
リシュアとラベンダーはエシカを気に掛けながらも、それはそれとして船の景色を楽しむ方に思考を切り替えているみたいだった。
昼の海は美しい。
空には無数の海の鳥が飛んでいる。
水平線の彼方は、何処までも神々しかった。
苦々しい感情を、海が洗い流してくれるかのようだった。
†
やがて、二日後、新たな土地に上陸する。
そこもまた、港町だった。
ローゼリアは船酔いが酷くて、ぐったりしていた。
「べ、別に、わたく、し、大した事は、ありませんのよ?」
そう言うローゼリアはぐったりとしていて、かなりやつれていた。
船旅の経験があると言っても、その事に関しては特に慣れてはいないみたいだった。
さっそく、この地での宿を取る事にした。
こちらの街も、やはり海産物が特産品として売られているみたいだった。そう、街だ。この前みたいに小さな村ではない。大きな都市が広がっていた。
この街の名前は『ナイト・ウィッシュ』と言うらしい。
あらゆる望みが叶う街。つまり、ある種の欲望の街だ。
その欲望の象徴として、巨大な黒いカモメの像が展示されていた。
その黒いカモメを見たら、あらゆる願いが叶うとの話だ。
「陰鬱とした場所を立て続けに巡っていたから、たまには、こういう場所もいいかもしれないな」
と、リシュアは笑う。
エシカは少し心が落ち着いたみたいだった。
リンディに会って彼女を取り逃してからか。
あるいは、ペイガンの村でディーバから悪夢として記憶を掘り返されたからなのか。
とにかく、エシカの心はとても不安定だった。
ただ、今は少し落ち着いている。
それはとても傾向だとリシュアは考えている。
<色々とあったと思うが。とにかく、今は心を切り替えるのが大切だろうな>
そうラベンダーも告げる。
「そう言えば、この街の産業である“カジノ”という場所に行ってみたいんだが、どうかな?」
リシュアはおそるおそるみなに訊ねる。
「やめておいた方が…………。貴方、すぐに身ぐるみ剥がされそうですし。旅の路銀の事もそろそろ考えないといけない頃ですのよ!」
ローゼリアは呆れ口調で言う。
「ちょっと、気になっただけだよ……。確かに賭け事は、俺はからっきし弱いけどさ」
リシュアには、上に二人の兄がいる。
トランプなどで賭け事をして、彼らに勝った試しがない。
「せめて、今ある路銀の事を考えてから、カジノなんて場所には行ってくださいませ?」
「わかった。ほんと、わかったって」
ローゼリアの口酸っぱい言葉に、リシュアは辟易していた。
もしかすると、ローゼリア自身、賭け事で大失敗した事が過去にあるのかもしれない。
そんなこんなで、宿を取った四名は、この街の絶景となっている黒いカモメの像の場所へと向かった。その辺りは広い公園になっているらしい。宿に荷物を置いて鍵を掛けた後、すぐに四人で街の名所へと向かった。
そこは巨大クジラを模したアスレチックがあった。
子ども達が騒いでいる。
磯の香りと共に、心地良い風が吹いている。
もうすぐ、雪が降るであろう。
そんな寒空の下でも、子ども達は薄着で元気そうだった。
「あそこにブランコがありますわね。何だか、色が可愛らしい」
ローゼリアは思わず、ブランコに乗ってみる。
彼女は相変わらず、子どものように無邪気だった。
「ははっ。相変わらずだな。エシカはどうする? なんか、魚を象ったアスレチックの球体があるぞ。その中に入って、球体を回してみるか?」
リシュアが冗談交じりで、エシカに訊ねる。
エシカは頷く。
「はいっ!」
エシカは元気付けてくれるリシュアに対して、凄く嬉しそうだった。
取りとめのない旅の日常。
それが、どうしようもなくリシュアは心地良く思うものだった。
殺し殺されという事を、考えなくて済むもの。
そう、別にリシュアは悪を討伐したくて旅をしているわけではないのだ。世界各国を巡る旅。放浪者として、好きに生きる事。それは王宮では決して行えない事だった。あるいは、許されない事だった。
回転するアスレチックを回しながら、リシュアとエシカはそのアスレチックの中に乗る。ぐるぐると360度、世界が回っていく。そう、まるでこの世界そのものを見ているかのうようだった。そう考えながら回転を強めていく。
あの暗い世界から、リシュアが、そしてラベンダーが、エシカを連れ去っていってくれた。それはエシカの人生を一変させるものだった。
そうして、今は自由に旅をしている。
今、自分は幸せなのだ。
エシカは回転する遊具から、ふいに飛び降りる。
目を周りながら、地面に倒れ込んだ。
「大丈夫か!? エシカ!?」
リシュアは困惑する。
「大丈夫ですよ、リシュア」
エシカはふらふらと生い茂る草の上に横たわりながら、空を眺めていた。
空がとても美しい。
雲がたゆまなく動いている。世界はこんなにも美しいものなのか。
改めて、その事にエシカは気付いて、ふいに涙を流しそうになる。
「エシカ…………」
リシュアは、エシカの心情を考える。あの暗い森の中で閉じ込められて世界を知らぬまま人生が終わりをただ待つだけしか無かった彼女。リシュアはそんな彼女を連れ出したのだ。
エシカにとっても、リシュアにとっても、これまで出会ってきた者達との想い出は、ある種の宝物のようなものだった。
だから、その宝物をこれからも作っていこう。
人助けなんて無理にしなくてもいい。
悪人退治なんて無理にしなくてもいい。
自分が罪を背負って生きている事ばかりにうつむかなくてもいい。
もっと、シンプルに生きている事そのものを楽しみたい…………。
「あはははははははっ。リシュア、なんだか、私は空を見ていると楽しくなりました」
「そうか。俺はそう聞いて、本当に嬉しいよ」
エシカは立ち上がる。
そして、四人で高台へと向かった。
高台の方にあった、黒いツバメの銅像は素晴らしい意匠のものだった。
そして、此処からは広い、とてつもなく広い海が見える。
あの陰鬱とした村シンチアから、二日かけて、このナイト・ウッシュという地に来たのだ。この地はとても心が洗われるような気がした。
<海は何処までも広大だな>
ラベンダーが呟く。
他の三名も頷いた。
ふと、ぽつり、ぽつりと、何かが空から降ってくる。
それは、雪だった。
雪を見たのは、今年、初めてだ。
四名はしばらくの間、空を眺めていた。
「そろそろ、宿に戻ろうか。どしゃぶりになる前に」
リシュアが先に踵を返し、他三名もそれに続いた。
†