キテオンの街を離れて、しばらく歩いた後、花の街道と呼ばれる場所がある。
最近になって、そこには多くの魔物が姿を現すようになったのだと聞く。
巨大な甲殻を持つムカデのような怪物が多く現れるようになったとの事だった。馬車に乗りながら、リシュアとエシカ。ラベンダー。そして人形の中に魂が入ったロンレーヌは、怪物の話を御者から聞いていた。
そのムカデのような怪物は、終わりの無いような身体の長さを誇っており、しばしば街道に現れては人を襲う事もなく、通り道の邪魔ばかりするのだという、人に害意を持って襲う事も無い為に人々は手をこまねいているのだという。もしかすると、何か神様だとか上位存在の使いなのかもしれなくて、何かを人間に伝えようとしているのではないかという噂も流れている。
ただ街道にいて、邪魔をするという事はどうしようもない事だった。これでは御者達や道を通りたい者達が困り果てるだけだった。
「もしかすると、その怪物さんに話し掛けたら、何か答えてくれるかもしれませんよ」
エシカは呑気にそんな事を言う。
「そんな、怪物に話なんて通じるものですかい」
御者はそんな風に言葉を返す。
「それは話し掛けてみなければ、分かりません」
エシカは相変わらず、のほほんとした感じで答えた。
そして、街道に出る。
巨大な甲殻を持ったムカデのような怪物が寝そべっていた。
エシカは少女ロンレーヌの魂の入った人形を手にして、怪物の近くへと向かう。そして、怪物へ近付いて話し掛けてみる。
「何故、こんな処で寝そべっているのですか? お寝坊さん」
エシカは怪物に話し掛ける。
ロンレーヌは、どうやら、怪物の言葉が聞こえているみたいだった。
「なんて、言っているのですか?」
エシカは人形に訊ねる。
「なんだか、もうすぐ、この先では地震が来るって。だから、人々がなるべく近付けないようにしているって言っている」
人形は声帯の無いまま、身体を軋ませるように声を出して喋る。
それを聞いた御者が驚く。
「魔法の人形なのかな? それとも腹話術かい? とにかく、その怪物と交信して話す事が出来るんだね」
御者は驚いた顔をしていた。
「はい。このお人形さんは、怪物の魂に話し掛ける事が出来るんです!」
エシカは屈託の無い笑顔で言った。
「それにしても、地震か…………。確かにこの辺りでは、よく多発しているね。ちゃんと気を付けないといけない…………。近頃は、崖崩れも頻繁に起きるみたいだしね」
御者はふうっ、と、溜め息を付いた。
「この怪物はどうしろと言っているのかな?」
御者はエシカに訊ねる。
「大きく回り道をすればいいと言っています。そうすれば、危機を回避する事が出来るのだと」
そういうわけで、エシカ達は大きく回り道をする事になった。
その途中で、ある小さな村に寄る事になった。
その村の名は『ウンディーネ』という水の精の名を取った村だった。
周りは湖によって囲まれている。
吸血鬼の君主がいた街エトワールとは違い、湖に不気味さは無かった。まるで透き通った輝く宝石の海のように湖が広がっている。
四名は此処にある宿で休む事にした。
湖の近くに宿があった。
そこに今日は泊まる事にする。
湖はとても透き通っており、水の精が寄ってきそうな場所だった。
リシュアはぼんやりと湖の方を眺めていた。
強大なリヴァイアサン種のような怪物が、エトワールの湖にはいた。リシュアはそんな事を想い出して、ぞっとする。そう言えば、と、リシュアは考える。旅の想い出というものは旅をしているうちに増えていくものだ。少女ロンレーヌは、ずっとあの街の中で人身御供として、人々に助言を与える為に生きてきた。どれだけの間、彼女と一緒にいるのかは分からないが、少しでもロンレーヌに対して想い出を作ってあげたいと思っていた。
百年間の間、少女ロンレーヌはキテオンの為に尽くしてきたのだろう。そして、その使命を当たり前のものとして認識している。貧しき者の為に生きる事、差別される者の為に生きる事。それが当たり前のようになっていた。
リシュアはただ、湖の向こうを見ていた。
余りにも美しく広大だった。
薄着で水浴びをしている者達もいた。
長閑な景色が続いている。
だが。
突然の事だった。
小さな地震が起こった。
ぐらぐらと揺れ動いている。
人々の何名かは、大きな悲鳴を上げていた。
リシュアは戸惑う。
「大きな地震じゃない。みな落ち着いてくれよ」
リシュアは冷静に周りの人間に告げた、だが、人々は地震に対して恐れ戦いているみたいだった。まるで、何か強大なものに対する畏怖であるかのように。逃げまどう人々の姿もあった。地震の時は動かないのが当たり前だ。しかし、何故、人々は逃げようとしているのかリシュアには分からない。
ふと、空を見ると、何かが近付いてくるのが分かった。
それは巨大なヘビのような姿をしたドラゴンだった。強大なコウモリの翼を広げて湖の上を飛び回っていた。おそらくは、あのドラゴンにみな恐れ戦いているのだろう。
「……なんなんだ? 一体、あれは?」
リシュアは困惑していた。
<この辺りの近隣住民から聞いたのだが。あれは、この辺りに生息している沼の王であるアルダージュというドラゴンらしい>
ラベンダーが近くで説明する。
大きさは、ラベンダーの巨大化時の十数倍といった処だろうか。人間の数十倍の大きさはある。極めて巨大なドラゴンだった。そしておそらくは、かなり危険な存在なのだろう。
<ひとたび、この辺りに近付くと小さな微震を起こす。人々は恐れている。あのアルダージュが人間達に害を為さないかという事をな>
「邪竜という事か?」
リシュアは首を傾げる。
<一概にそうは言えない。邪竜かどうかは分からない。少なくとも、今の処、アルダージュの目的はまるで分からないそうだ。人間を飲み込んだりもしないらしいしな>
「つまり、邪竜なのかそうなのかはまるで分からないって事か」
<そうだな。その通りだ。それに邪竜かどうかなんて、あくまで人間基準で見るべきだ。この世界には様々な種族が生きている。戦争を行う者が一方的に悪とは言い切れないように、あのドラゴンも、ただたんにその生態において生きる為に動いているだけかもしれない。今の処、あのドラゴンの脅威は小さな地震を引き起こす事らしい>
「無暗に悪として認識して討伐するべきではない、って事か」
<そうだな。もっとも、あれだけ強大な怪物だ。簡単に討伐されるとは思わないのだがな>
リシュアは遠くから空飛ぶ巨大なドラゴンであるアルダージュを見ながら、物想いに耽っていた。竜には竜の考えがある。どのような種族も、彼らなりの倫理観で生きている。それにしてもだ。この村、ウンディーネの人々は明らかにあの竜に対して怯えているみたいだった。まるで世界の終わりのような表情を見せている。
リシュアは思い付く。
「実際に、アルダージュの元に行って、何故、地震を起こすのかを聞いてみるのはどうなのかな?」
リシュアらしい提案だった。
後ろにいる、エシカとロンレーヌも頷く。
「そうですね。実際に話してみないと分かりません。ひとまず会話して、何故、人々を脅かしているのか聞いてみるのが良いのではないかと思います。何か誤解のようなものがあるのかもしれませんから」
エシカはそう言う。
「私はドラゴンというものを直接見てみたい。連れていって貰えないかな? ドラゴンの棲み処に。私は色々な場所を見聞きしたいの」
人形はカタカタと喋っていた。
「じゃあ、決まりだな。この村を脅かす、強大な竜、アルダージュの処へと行ってみよう!」
リシュアはそう言って、みな賛同した。
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