そして、四名は馬車に乗って、ドラゴンの王から言われた地下洞窟へと向かう事となった。リシュアの身体に残留した呪いは一刻も早く解きたい。だが、緩和する事は出来ても、決して消える事はない呪いである事は示唆されている。
一体、これからリシュアは自身がどうなっていくのか不安で仕方が無かった。
当然、あのブリンガーの街で呪いを受けて、あの魔の王が自身を見逃すわけではないと思った。あれは今まで出会ってきたどのような悪魔よりも強大で、そしてどのような悪鬼の類よりも邪悪なものを発露していた。ブリンガーの街は、おそらくは、何らかの形で近い将来、災厄に見舞われる事になるだろう。だが、それは自分達には関係の無い事だ。自業自得と言っていい。
だが、エシカはリシュアに咎があるとはまるで思わなかった。
当然、ラベンダーもロンレーヌもだ。
理不尽極まり無い者達が災厄を祀り続けて、理不尽極まりない目にあった。それだけに過ぎない。
理不尽ははねのけるしかない。
それがこれまでの旅で分かった事だ。
しばらくして、馬車は地下洞窟へと続いた。
「ロンレーヌは、此処でお留守番ですよ」
エシカは馬車の中に、ロンレーヌを残す。
ロンレーヌは。ちぇ、といった反応をしながらも、どうしても戦えない身体である以上、仕方なく待つ事にした。
ダンジョン潜ったのは、ウンディーネの村の処にあった沼地の王に会いに行った時以来か。割と最近だ、ダンジョンに潜る事は最近では少なくなっている。
リシュアは短剣を手にしながら地下をくだっていく。
エシカもいつでも魔法を使えるように警戒していた。
ダンジョンの中は、猛烈な湿気に襲われていた。
中には巨大な怪物が溢れていた。
大型のトカゲだ。
トカゲが徘徊している。
まるで、ドラゴンの似姿にも似ている。翼を失った竜。そういった怪物が壁中を這い回っていた。無用な戦いはなるべく避けておきたい。三名は、怪物達に気付かれないように息を殺しながら、ダンジョンの奥深くへと進んでいく。
そして、しばらくの間、三名はダンジョンの奥へ奥へと進んでいった。
悪臭を放つ雲のような化け物。
天井を徘徊する大型のコウモリ。
通路中にびっしりと歩いているワニ。
それらがひしめいている。
とにかく、此処は異界としか言いようが無い場所だった。
異形の者達が歩いている。
そう言えば、沼地のダンジョンではモンスターらしきモンスターには余り出会わなかったような気がする。
「…………なんだか、こんな経験は久しぶりだな」
「はじめて、こういう場所に潜ったのは、ローゼリアさんと出会った頃でしたね」
「ああ。本当に懐かしいな」
二人はしんみりとする。
ローゼリア、今は何処で何をしているのだろうか。あのスカイ・フォールの街で、ブラッド・サッカー達と戦っているのだろうか。
そんな事を考えていくに、ダンジョンの奥底へと三人は辿り着いた。
長い回廊がある。三名はそこを抜けていく。
回廊を抜けた先には、泉が湧き出ていた。
「この泉の中に入ればいいんだよな?」
リシュアは上着を脱いで、貴重品を横に置くと、泉の中へと身体を沈める。
すると、全身に何か電流のようなものが走り出しているのが分かった。この感覚が一体、何なのか分からない。ただ、身体の中に何かが入り込んでくる。それはある種、何か大いなる意志のようなものにも感じた。意志だとすれば、泉の水それ自体が、何か自我のようなものを持っているのだろうか? 分からない。
何かが身体から引き剥がされていくような感覚だった。
心の底で、何者かが声を上げる。
<ほう。この魔の王の呪いから逃れようとするとは。これは竜が生み出した泉だな。面白い。だが、我を滅する事など出来ぬ事だぞ、必ずや貴様の身体を使って現世に返り咲いてくれようぞ>
リシュアの身体の奥底で、何者かがせせら笑っているのが分かった。
リシュアは途端に、自らの身体を激しく傷付けたくなった。
一体、何故、この魔の王を名乗る者はリシュアの身体に居座り続けようとするのか。とてつもなく腹立たしい事だった。リシュアにとって、自分の身体は自分のものでしかなかった。自分は自分でしかない。それなのに、呪いとなって、魔の王は彼の心の底に侵入しようとして、実際に、力を振るってエシカ達を傷付けようとしたのだろう。それはとても許されざるべき事だった。
「なんで、なんで、一体、俺なんだよ?」
リシュアは、そう思わずにはいられない。
そして、それは言葉に出していた。
<それは、貴様の血筋と、貴様の才がそうさせているからだよ。我の力を呼び覚ます依り代として相応しいのだとな>
声はわななき続ける。
だが………………。
<だが、この泉。あのドラゴンが生み出した者か。これは聖なる水源となって、我の意思を焼き続ける。……良いだろう。いつかまた、お前の身体を乗っ取れる機会を待ち望み、我が現世に復活する為の礎となって貰うとするぞ>
そう言うと、声は掻き消えていった。
リシュアは泉から這い上がる。
どうやら、リシュアに取り憑いていた呪いは、更に意識の奥底へと沈められていったみたいだった。完全に剥離されたわけではないが、心の奥底に封印されおそらくは生涯、出てくる事は不可能になったのかもしれない。何にしろ、リシュアはドラゴンの王に感謝した。
「戻ろうか。どうやら、俺の呪いは緩和されたらしい」
リシュアは立ち上がる。
「二度と、リシュアが変な事にならないで欲しいですっ! 私はリシュアがずっと、リシュアのままでいられる事。それをずっと望んでいますっ!」
エシカはそう言った。
リシュアは笑った。
そして、エシカの長い黒髪を撫でた。
エシカは嬉しそうに笑った。
†
ドラゴンの王であるエリュシオンいわく、魔の王は、完全にリシュアから剥離する事は無いらしい。だが、生涯に渡って、あの泉の洗礼を受けたならば、リシュアの意識の底から上がっていくのが難しい。あの聖なる泉には、そういう魔法が施されているのだと聞かされた。
そして、魔の王は、自身の名前を想い出したがっている。
彼のものは、自らの名前を想い出せば、それが力を取り戻し、再び、歴史に悪夢を刻む事になるだろう。それだけは言えた。
リシュアは、体内に時限式の爆弾が埋め込まれたような気分が続いたが、これ以上はどうにもならない事も分かっていた。