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34:毒はないが愛はあるはず

 ニーマ市自警団では、各部隊ごとに大部屋――団員からはオフィスと呼ばれる、団員たちの机や書棚を備えた空間が与えられている。

 そこには業務に関わる資料以外にも、各々がお菓子やお茶やボードゲーム等も好き勝手に持ち寄ったりしている。団員たちの事務所と、セーフルームも兼ねた空間なのだ。

 中には枕とお気に入りのブランケット、そして抱き枕も兼ねたぬいぐるみ持参の猛者も存在する。


 そんなオフィスの奥には、隊長とその補佐官、そして副隊長が利用する執務室も必ず別個に配置されている。これは管理職特権による個室の占拠というよりも、抱える案件や書類の機密レベルが必然的に上がるため、書類とついでにその管理者も隔離しようという魂胆によるものだ。

 第三部隊の執務室は、つい先日まで「惨状」「地獄絵図」あるいは「災害跡地」という形容がぴったりな空間だった。


 汚机おつくえ職人の才能があるギデオンはもちろんのこと、仕事に追われるあまりストレス過多となり、周囲の整頓がおざなりになっていたティーゲルによるアシストがあってこその地獄絵図空間だった。

 このように元補佐官には遠く及ばないものの、まあまあな散らかりぶりを魅せていたティーゲルの机も今は昔。現在は書類も全て仕分けされた上で、ファイル立てに収まっている。文房具も散乱することなく、まとめてペン立てに入れられ、非常に文明的な様相を見せるようになっていた。

 以前は机に書類を一枚置く余白があれば上々という具合だったが、今なら横一列に三枚並べても問題ない。それもこれも、ファリエのお陰であろう。


 今朝その執務室へ一番乗りしたのは、シリルだった。

 彼は就業時間中に手を抜くことなど一切ないが、同時に早出や残業などという非生産的行為も絶対しない、という確固たる信念を持つ男だ。

 なので本日も通勤に利用している巡回バスが、偶然にも全ての信号に捕まらなかったため、定刻より早く着いた結果の一番乗りだった。

 自席の引き出しに使い込まれた鞄を収納し、今日の団員の予定を確認しようとファイル立てに手を伸ばしたところでドアが開いた。ちらりと視線だけを向けると、二番乗りはティーゲルだった。


「おはようございます、隊長」

 自分より先にシリルが出勤している、という珍しい状況にティーゲルも目をぱちくりさせた。しかしすぐに破顔して、すまし顔の彼に挨拶を返す。

「うむ、おはよう。今日は早いんだな。何かあるのか?」

「いえ。普段より少々、バスが早く到着したものですから」


 シリルはファイル立てから予定表を取り出しつつ、ティーゲルを横目に捉えていたのだが、その顔が途中で彼に向けられる。ティーゲルが見慣れぬ代物を、隠すように脇に抱えていることに気付いたのだ。水色の生地にピンクの水玉が散った、大層可愛らしい大判ハンカチに包まれた何かである。大きな箱形の代物らしく、まあまあ怪しい。


 よってシリルは単刀直入に訊くことにした。彼は気になったことは遠慮なく尋ねるし、そこにボタンがあれば躊躇なく押すタイプである。きっと有毒生物を歴史上初めて食べた人々と、同じ系統に違いない。


「隊長、その小脇に抱えられた品は何なのでしょうか。まさかわいせつ物の類ではありませんよね?」

 謎の小包について尋ねられ、ティーゲルの広い肩は一度跳ねてしまった。しかしシリルへ振り向いた時には不可思議そうではあるものの、そこに動揺の色はなかった。

「どうして出会い頭に、犯罪を疑われないといけないんだ?」

「失礼いたしました。では、爆弾でしょうか? はたまた毒物――」


 普段の不愛想面のまま小首をかしげるシリルを見つめ、ティーゲルの眉が情けなく下がる。肩も落ちた。

「俺は一応、後ろ指をさされない生き方をしてきたつもりなのだが……そんなに法を犯してそうなのか? これは弁当だ。もちろん無毒の」

 つい無毒である点を付け加えてしまったが、幸いシリルからの揶揄やゆはなかった。代わりに疑問符だらけの表情を向けられる。とは言っても彼の場合、わずかに眉をひそめる程度の変化しかないのだが。


「お弁当、ですか? そちらはどう拝見しても、市販品ではなく手作りのお弁当に見えますが……たしか貴方は、目玉焼きもまともにお作りになれない、大層不自由な御手の持ち主でいらっしゃったのでは?」

「ぅぐっ、よく覚えているな」

 対して表情豊かなティーゲルは、肩を跳ねさせて目も泳ぎ、大いに動揺した。


「私の七歳になる愛娘でも、目玉焼きぐらいは作れますので。我が家の天使以上に自活能力に乏しい成人が、まさか職場に存在するだなんて、と印象に残っておりました次第です」

 一桁年齢の技術未満であると言われたのがショックで、ティーゲルは二の句が継げなかった。事実として、目玉焼きもよく黄身が割れたり焦がしたりしているので、余計に反論が出来ない。有り余る腕力を発揮し、リンゴの生絞りなら得意なのだが。


 黙りこくったまま自分の机に向かうティーゲルを、シリルが目を細めて見据える。

「つきましては隊長が後生大事に抱えられているお弁当の入手経路を、念のため伺ってもよろしいでしょうか? こちらは完全なる野次馬根性ですので、貴方には黙秘の権利もございます」

 わざわざ己の下世話さを言い添える辺りが、なんとも彼らしい。ティーゲルは黙秘しようかとも思ったが、その作り主も着替えを終えたらこちらに来るのだ。彼女がシリルに話を振られた際、知らんぷりで上手く切り抜けられるとも思えないので、諦めてため息をつきつつ白状した。


「あー……これはファリエ嬢にな、うん、作ってもらったんだ」

「はァッ?」

 入団以来、初めて耳にするシリルの素っ頓狂な声だった。顔も珍しく引きつっているので、いいものを拝んだような、感慨深い気持ちになる。


 が、ティーゲルが自白するよりわずかに早く、執務室のドアが開かれていた。ひょっこり顔を出した、稟議書片手のヘイデンも出し抜けにこの発言を耳にして

「え……? どういうことですか?」

と、思わず会話に乱入する。


 ティーゲルが机の端に置いている、弁当にしか見えない包みと併せて諸々を察したらしい。シリル同様に目を見開き、メガネもずり下げ、わなわなと全身を震わせている。

 しかしその顔は珍しく、かなり険しい形相となっていた。

「隊長まさか……うちのファリエちゃんに、ご飯作らせてるんですか?」


 憤怒一色のヘイデンが、平素になく低い声でティーゲルを詰問する。

 ファリエの教育係として彼女を優しく見守って来たヘイデンは、現在も妹同然に見ているようだ、とここに来て悟った。完全に、弁当のことを打ち明けるタイミングを見誤ったらしい。

(これはあれだ――『お前に娘はやらん!』と怒られる流れに違いない。俺はまだ、告白すらしていないのに)

 世の中って理不尽だな、とティーゲルはぼんやり考えた。現実逃避である。

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